novel 2

□星に願いを
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『三月八日の夜から九日、明け方までにかけてはよく晴れて、今話題の流星群もよく見えるでしょう』

最新式のデジタルテレビの中でふんわりと女性アナウンサーが柔らかい笑顔を見せた。
きし、と椅子を鳴らした後、なぁ、と言い出した彼の声は、それはそれは楽しそうで、はい、と答えた自分ももしかしたら幾ばくかはその気配を取りこんでいたかもしれない。
明日は暇かと言ったのは彼、えぇまぁ予定はありませんと答えたのは自分。
それなら流星群一緒に見ようぜと言ったのは彼、構いませんよと答えたのは自分。

三月八日は特別な日の前の日。あなたが卒業していく、一日前。

「はい?学校で見るんですかー?」
「そう。丘の上にあるからこの辺じゃ建物としては高いし、周り住宅街で灯り少ないから。俺のマンションより駅前だから見えねぇ。平日に遠出も出来ねぇだろ」
「せんぱいの、マンションは知りませんけどー…その時間って、校舎とっくに閉ってますよ、ね?」

主な流星群が無い三月、散在流星群だって一般的に多いのは秋の明け方だし、春に有ったとしても大体が夕方。
条件としてはあまりいいものが揃っていないこの時期に、大型の流星群があるとニュースになっていたのは知っている。天文部などと部長、副部長、部員、全て含めて二名のもはや部ではなく同好会的なものではあるが、それでも天文学を志すものの端くれだ、テレビで話題になる前から知ってはいたし、散々自分達も口にしていた。
が、まさか『一緒に見よう』と言われるとは夢にも思いはしなかった。
だって、それは総部員二名の内、一名が卒業していく卒業式の前日なのだ。ましてや場所はその翌日、高校生活最後を迎える学び舎なんて。
来年度から廃部の決まったこの天文部最後の活動が珍しい春の流星群観測だなんて、出来過ぎていて、流石は学生であり、大学進学を控えている今で既にあちこちの研究所や企業から声のかかる、部長様なのだと思う。
端正な容姿と明晰な頭脳から星の王子様などと絵本の中の登場人物みたく呼ぶ女子生徒も居るらしいが、同時に女関係の活発さと薄情さが有名だ。

「閉まってるだろ、そりゃ」
「それじゃ、出来ないじゃないですかー…」
「そんなの、こっそりここで居ればいいだろ」
「こっそりって…」

卒業式前夜なんて恐らく準備等で普段よりも教師が残っているのではないか。
フランはごく一般的な疑問を持ち、それをくちにしてみたが天上天下唯我独尊傲岸不遜のベルフェゴールが聞き入れる筈が無かった。
こっそり隠れて教師が見回りに来たら隠れれば問題無い、の一点張りでそこには予定変更だとか妥協だとか、およそ社会を生き抜き周囲の人間と擦り合わせをする為の努力は垣間見られない。
凡人が及び付かない発想を持ち、それを実現するだけの実力を備えているからこそ天才と呼ばれるのだと分かってはいても、それに付き合うともなれば話は別だ。

「もしばれたらどうするんですかー…せんぱいはともかく、ミーは間違なく叱られますよー…」
「俺が大丈夫って言ってんのにばれる訳ねぇじゃん。お前の事は俺が何とかしてやるから」

随分な安請け合いだと、フランは、はぁ、と呆れを含んだ溜息を宙へと吐き出すが、自信たっぷりに向けられた笑顔にそれ以上、言い募る事は無駄だと諦めて視線を外し、電気ポットと小型冷蔵庫を三往復分眺めた後、こっそりとベルフェゴールへ視界を戻した。
向かいに座ったベルフェゴールの瞳は厚い前髪に覆われておりはっきりとは見えなかったが、携帯端末に指を滑らせていたので、又メールでもしているのだろうと、ぼんやりと眺めるふりをしてフランはその淡麗な姿で焦点を結ぶ。
瞬間、とくりと鼓動が高鳴り目を細めると西日を従え、金無垢の髪が甘やかな蜂蜜色に染まるベルフェゴールが眩しかった。
眩しくて、まぶしくて見ていられない位。

「…べる、せんぱい…」
「あ?何だよ?」
「…ぇ…っ」

視界が尊い蜂蜜色に満たされ、フランは意識せずその名を呼んでしまい、当然の様に反応が返され自分がベルフェゴールを呼んでしまった事に気付いた。
これといった用事がある筈も無く、上手に誤魔化せる程の技量もないフランはついていた頬杖を外すと、顔を上げ用件を待つベルフェゴールと気まずく視線が重なり、ゆっくりとテーブルへ移動する。
時間の空白が五秒程出来て、春休みの宿題について、という何とも味気ない話題を思いついた時、出入り口からノック音がして返事を返すとすらりとした、いわゆるモデル体型の女子生徒がベルフェゴールを呼び、フランはその瞬間自分の体温が目の裏側辺りに集中したのを感じて不意に息が苦しくなった。

「わり、すぐ戻るから。ちょっと待ってろ」
「や…あの、大した話じゃないんで…そのまま帰って、も、大丈夫です、よ?鍵閉めときますから…」

言葉が結びに向かうにつれてどんどんとフランの声が小さくなり、最後は殆ど唇の中だけで呟かれていた。
ベルフェゴールからの返答が無いまま、女性と二人連れ立ち閉じられた扉の内側でフランは力無く机に突っ伏すと、先程よりも深い溜息を吐き出して自分近辺を二酸化炭素で充満させて、ぎゅう、と瞳を閉じた。
ここ一月程、二人きりの天文部に頻繁に女子生徒がやってくるのは入部希望でも無ければ、天文部への依頼でもない。
卒業式を控えるベルフェゴールに最後の駆け込みで告白をする人間やら、派生して一日だけデートをして欲しいという人間やら、涙ぐましくせめて制服の釦が欲しいという人間やらであり、その度フランはぎしぎしとした胸の痛みと遣る瀬無さを感じていた。

「…すきです…」

文字にするならばたったの四文字。だけれどその四文字に皆一体どれ程の想いを篭め、勇気を奮い立たせているのだろうか。
既に自由登校となり、通常授業のないベルフェゴールを探し出し、後ずさり逃げだしてしまいそうな足を叱咤し、ひゅるりと呼吸と共に飲み込んでしまいそうな声を喉の奥から絞り出し、ほぼ関わりを持った事の無いであろうベルフェゴールに想いの丈を伝えているのだ。
どれだけベルフェゴールがにべもなく断っていようとも、そんな勇気を持つ彼女らを笑う資格等誰にも無い。
笑われるならば自分の方だ。
去年の三月に三年の先輩が一度に五人卒業してしまってから、天文部員は二人きりになり、丸一年間共に部活動をしてきたのだ。
活動内容の性質上、夜に二人で星のよく見える丘に行った事だってあるし、変なところで面倒見がいいらしいベルフェゴールがテスト期間中、勉強を見てくれた事もあった。
きっとベルフェゴールを恋い慕う人間から見れば、成り変わってやりたいと望まれる程の恵まれた立場だろう。自分自身そんなものはよく分かっている。
だが結局自分は告白どころか何一つ意思表示も出来ず、校内でも評判の高い女子生徒とベルフェゴールが並ぶ後ろ姿を見つけては一人虚しくなって、こうしてベルフェゴールが呼び出されるのを向かいの定位置から眺めては溜息を吐き出すだけだった。

「…すきです…」

もう一度口に出してみると、心無し口の中が塩辛くなった気がして、それは涙が口の中に入ってきてしまった時とよく似た味だった。

中等部の頃から名前は知っていた。まだ弱冠十四歳でありながら、国内最高学府の大学で行われる宇宙開発に関する論文発表の場において学者や名誉教授と呼ばれる人間の中に一人一般の中学生が混じり堂々と発表したその論文は石破天驚(せきはてんきょう)の出来だと専門誌で報じられ、海外メディアですら取りあげたとも聞いた。
同じ宇宙工学を志してはいたものの、一般的な中学生の域を超えない自分にとっては雲の上の存在で、会った事も話をした事もないベルフェゴールという人がどんな人であるのか、想像もつかなかった。
専門学科のある高校ではなく、何故かエスカレーター式の高等部に進学したのだと噂で聞いた時は随分風変わりな人なのだろうと驚いたが、その後、高等部で初めて言葉を交わし更に驚く事になる。
天文学やそれに纏わる物理学だけでなく文学や芸術等ありとあらゆる方面で天才の称号を欲しいままにしている事、研究や学者といった単語から連想される一般的な姿とは程遠く、その容姿はランウェイを歩くモデルにもひけをとらない美しさを持っている事、更にはそれをきちんと自覚しており随分と派手な女性関係を持っている事、何よりも歯に衣着せぬ、どころか最早暴言と言った方が正しい程に口が悪い事、個性の強い三年生とベルフェゴールで構成されている天文部に入部して、初めて知ったのだ。
ちなみに高等部に持ちあがりをした理由もこの天文部にあるのだと聞いたのは、それから三ヶ月後だ。
個性が強い三年生一同の中でも圧倒的な威圧感を放つ当時の部長を『ボス』と呼び、人を小馬鹿にするベルフェゴールにしては珍しく手放しで認めていた。
入部して成程、自分も当時の部長が如何に優秀でありベルフェゴールにも引けをとらない人物であるのか知ったが、それと同時に随分と血の気が多く、論文発表等にはさして興味を持たずにいた為に知る人ぞ知るという状態である事も知った。
幾度と暴力沙汰を起こしている為、天文部にも関わらず徹夜観測活動禁止という何とも曰くつきの部活動ではあったけれど、どこ吹く風で全員がマイペースだった。
雲の上の存在だと思っていたベルフェゴールが実は女たらしで、その上関係を持った女にも随分薄情な態度をとっていると知った時、何故か衝撃を受けて、心のどこかで自分は無意識に理想像を持っていたのだと痛感した。
人の髪の色一つとって「カエル」と呼び付けるベルフェゴールに突っかかり、王子と呼ばれている事を知って、堕王子だと言い返せば「可愛くない後輩」だの何だのと言われ理不尽な先輩命令を下されて、又、言い合いになる。
何度も頭にきて、何度も部活を辞めてしまう位の言い合いをして、それでもけろりと話し掛けてくるベルフェゴールに脱力して、思わず笑ってしまって最後は二人並んで星を見上げていた。

「わり、フラン…話、何だっけ」

ぼんやりとしているところにドアが開かれ、フランは慌てて身体を起こすと再び向かいに座ったベルフェゴールに視線を向けた。
恐らく告白なり何なりをうけていたのであろうが、特に変わった様子もなく出ていく前に交わしていた会話を呼び起こし、意識せず名を呼んでしまったフランが逆におたおたと、歪な笑顔を向ける。

「え、あの…っいえ、大した事じゃないんで。それより、せんぱい良かったんですか?ミーの事なら…」
「…別に、大した事じゃねぇし。卒業式近くなって…色々聞かれるだけ」
「いろいろ…」

恐らくその「色々」の中身はフランの考察しているもので間違いないだろう。いつの頃からだろうか、ベルフェゴールが誰かと噂になる度、呆れの中に羨慕の情が入り混じり始めたのは。
喉の奥に何か熱くて苦しいものが閊(つか)えた気になって、眉が中央に寄せられ唇はむっつりと上向きの弧を描いた。
ベルフェゴールと噂になる女に今まで感じた事のない濁った感情を抱き、だけれどその天秤に釣り合う程の妬みを抱き、程なくして別れたらしいと聞けば安堵して。
ささめかれる噂の真偽を誰より知りたがっているくせに、部活でベルフェゴールに会う度言葉が出ないもどかしさと、誰と付き合っていても部室にやってきて変わらず笑いかけてくれる嬉しさが同じ場所から生まれているのだと知ったのは。
一年の夏から芽生え始めた淡い感情は、街路樹の葉が紅や黄に染まるころには目を逸らす事も出来ない位自分の胸の真ん中にあった。

「じゃあ卒業式はきっともっと大変ですね…。ミーのクラスでもせんぱいの釦とかブレザーとか欲しがってる人、居ましたよ」
「そんなもん知らねぇし。俺の物は俺の物だっての」
「…せんぱい、らしいですね」

大きな感情の名前が恋なのだと知ったけれど、泣きたい想いが強くなるだけだった。
自分は男、ベルフェゴールも男。男同士の恋愛に特に偏見は無いが、あくまでそれは第三者的立場での話であって。
男である自分が同じ男のベルフェゴールに恋心を抱いたとして、報われるとは万に一つも考えられなかった。
気持ち悪がられてしまうか、馬鹿にされて笑われるか、或いは言ったところで信じてもらえないかもしれない。物凄く運が良かったとして、今まで通り先輩後輩でいようと言ってもらえるかどうか。
唯でさえ男同士の恋愛なんて成就する可能性が低いのに、ベルフェゴールはそこに輪をかけて女には事欠かず色ごとには盛んなのだ。
誰も幸せになれない初恋はひっそりと風化するのを待って、後輩として向かいの席に座っているのが自分に許された精一杯なのだと気付くのに時間は必要無かった。
隣には、居られない。

ふ、とフランは自嘲気味に笑うと不思議そうな顔をしたベルフェゴールと視線が重なった。
不自然ではないように立ちあがると、フランは書架棚から幾つか本を抜き取りベルフェゴールへと差し出し口を開く。

「なら、本も持って帰りますかー?必要な本以外は全部図書室に移動する事になってるんで、もう少しずつ分けていかないといけないんですよ」
「要らね。お前欲しけりゃやるよ」
「…いいんですかー?せんぱいの物はせんぱいの物なんでしょー?」
「お前ならいいよ」
「…っ」

思わず本を取り落としそうになってフランはぎゅ、と事典の背表紙を握りしめた。部活の後輩に本を譲り渡すだけで深い意味は無い事など分かっているし、ましてやベルフェゴールはフランの気持ちなんか知る筈も無いのだからと頭では理解していたが、どうしてか頭のてっぺんがぎゅ、と掴まれたような落ち着かない気持ちになってしまう。
廃部の決まっている天文部の部室を春休み前に片付けろと既にお達しがあり、少しずつ私物を持ち帰ったり不用品は廃棄したりして室内は随分とさっぱりしていた。
望遠鏡や赤道儀をする、と指で撫でてフランはベルフェゴールに向き直ると、なるべくいつも通りの表情を向ける。

「それじゃあ、有り難く頂きますね。図書室に移動する分とこれから分けるついでにもうちょっと掃除しときますから、せんぱい先帰ってくれて大丈夫ですー」
「何で、片付けなら俺もするし」
「いいですよー。せんぱいだって厳密に言えばもう引退した身なんですから。ミーが責任もって綺麗にしときます」

瞬間、ベルフェゴールの表情が何だか泣きそうな、ぐう、と何かを押し込めたものになりフランの隣に立った。

「生意気言ってんじゃねぇよ。部長は俺だっての」
「って言っても部員はミー一人ですけどねー…」
「うるせぇよ」
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