がんばる小悪魔ちゃん 番外編

□小悪魔ちゃん 歌う
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それはまだ由愛がモデルとして働き、紙面を飾るようになってから2ヶ月が経とうとした頃だ。
人見知りをする性格ではなかったのと、彼女が纏っている柔らかな雰囲気が相まって、由愛に友人ができ、人脈が広がっていくのにそう時間はかからなかった。
歓迎会でのカラオケ大会。この世界の音楽をあまり知らない由愛が歌ったのは、商店街でよく耳にしていた曲ばかりだ。
しかしこのときに歌ったのがある主の切っ掛けだろう。
新人モデルの香苗由愛は歌が上手い。彼女の歌声は他の歌手にはない何かを持っている。そう由愛の知らないところで噂は広がり、巡りめぐって後に共に音楽活動をすることになる平田の耳にも入っていた。


「お願いします。俺の作った曲を貴女に歌ってほしいんですっ」
いきなり現れた平田との初対面場所は、友人に連れてこられたカラオケ店の廊下だった。
「ごめんなさい。いきなりそんなことを言われても困ります。そもそも私が歌っているところなんて」
「さっき歌っていたの聞いてました。聞き惚れていました。この曲の持ち主よりも香苗さんの方が上手く歌いこなせていたと思います」
「えっと、ありがとございます。でもあの、私は」
「じゃあ一度だけでもいいですっ。香苗さんの歌声を録音させてください!」
なんだか話が勝手に進んでしまっている。
これは困った。どう対処すればいいのだろう。
新聞の勧誘なら経済的に無理です。と断るか、わざとエンテ・イスラ語で意味のない言葉を話せば、不思議とすんなり帰ってくれる。だから試し平田と名乗るこの男にエンテ・イスラ語で話してみたが、「日本語、話せますよね」と見破られた。
こうなってしまうとどうすれば良いのか分からない。
今は真奥と芦屋がいない。頼れる人がいないというのはこうも心細いものかと身に沁みた。
「あっ、あの、本当に困ります。急にそんなことをお願いされても。第一私よりももっと上手な人がいると思いますので」
「いえっ、俺は香苗さんがいいんです。貴女でなければいけないんです。ですから俺を助けると思ってお願いしますっ」
深々と狭い通路のど真ん中で頭を下げられるという初体験をした由愛は、「……はい」としか言いようがなかった。


由愛の気が変わらないうちに、と平田青年はそのまま由愛を自身が取っているカラオケ部屋に連れてきた。
「ちょっと待っててください。すぐに準備を済ませますから」
そう言って、平田はパソコンを立ち上げ、そこに持参したマイクを差し込んだ。
「曲はさっきので良いですよね」
パソコンの方の準備が整うと、カラオケ機器に選曲番号をリモコンで送信した。
ほどしなくして曲が流され、パソコンに接続されたマイクを渡された。
何の説明もなしに、なぜか由愛は平田の前で歌わされる羽目になった。
「それじゃあ何かありましたら、連絡しますね」
そう言って由愛が歌い終わるとそうそうに平田は部屋から出ていった。
なんなのだろうか、あの人は。
連絡先の交換なんてしていないのに連絡するって。いや、まず何かあったらって何かをする前ふりなのだろうか。
なんでもいいがとりあえず、真奥と芦屋の迷惑にならないことであるようにと、不安を積もらせながらも由愛は誰かに願った。


それから3日後の事。由愛は森編集長に呼び出された。
撮影スタジオの上の階が編集室になっており、その片隅に編集長のワークデスクが置かれている。
他の編集社員たちよりも仕事量が多いはずなのに、森の机は他と比べて片付けられている。
「編集長」
由愛の呼び掛けにパソコン画面を見据えていた森は顔を上げた。
「ああ、香苗さん。わざわざすまないね、こんなところに呼び出してしまたって。何か悪い話をされるんじゃないかと思っているなら心配ないよ。ちょっと事実確認をしておきたいことがあっただけだから。――ちょっとこれ、聞いてもらえる」
パソコンに差し込んだ小型ヘッドフォンを由愛につけさせると、とある動画サイトに上げられた動画を再生した。
聞こえてくる若い女性の歌声。
由愛の知っている曲ではあるが、この声の主が誰なのかは分からない。
1分半ほど聞いたあと、森に目を向けた。
ニコリと森は笑んで、「興味ある?」と尋ねられた。
それはこの声の持ち主に対してだろうか。それともこの曲にだろうか。
由愛がどちらの意味なのかを悩んでいると、森はパソコンの画面へと視線を落とした。
「もしあるようなら誘いも来てるからやってみると良い。評判も良いみたいだし」
「……ごめんなさい。何の話ですか?」
「何って歌うことに決まってるだろう」
「えっと……」
どうしてそんな話になるのだろう。
歌うことは嫌いじゃない。でもこの話の流れでは誰かと歌わなければいけないみたいだ。
誰だろう。知っている人なのか。それとも……。
あれこれと由愛が考え込んでいる合間に森は「どうする?」と返答を求めてくる。
「…………ごめんなさい。話の意図が掴めないです。えっと、んと……どうして私が歌うのでしょうか?」
あやふやのままにしておくわけにはいかず、正直に理解出来ていないこと、この話の経由を尋ねれば、森は目を丸くしていた。驚いているのはこちらの方である。
「あれ、歌手活動しようか悩んでこの動画を自分でネットにあげたんじゃないのか?」 
「……我が家にそんな高額な物を買う余裕は今のところないです……」
なんだか申し訳なさそうに肩を落とす由愛に、魔王城があるアパートの外観を見たことのあり、彼女の家庭事情を知っている森はその言葉に納得した。
「誰かに頼んだりとかは」
「してないです。そもそも私はそんなサイトがあるのも知らない……ん?」
何かが引っ掛かる。そう感じて、由愛は森の言葉を思い返して小首を傾げた。
「あの森編集長。もしかしてさっき歌を歌われていたのは私ですか?」
「…………」
森は由愛を凝視して、深々とため息を吐いた。
「すまん。ちょっと菱田呼んできてもらえるか」
なにか怒らせてしまうことでもしただろうか。
ご立腹気味の森。
由愛は急いで下のスタジオにいる菱田を呼びに行った。

なぜ菱田を呼ぶのか。これはこの動画のことを森に教えたのが菱田だからだ。
菱田の話を聞いてから森は菱田に怒り、この動画をネットに上げた人物を近くの喫茶店に呼び出した。
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