10/16の日記

21:32
街のミステリー(幸村)
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「改めまして、こんにちは!」

佐助殿が、瞳を蕩けんばかりに細めて笑った。目もあやな色の花が綻ぶようだ。
途端に普段はどっしり構えている筈の心臓が、駆け足で走り始める。

「は・・!こ、こんにちは!」

あまりにもシュミレーション風景を捏ね繰りまわし過ぎていた所為だろう。
俺には一瞬それが現実なのか、想像なのか判断しかねた。

「・・まことの土曜日でござる、な」
「プッ!」
「な、なにがおかしい!・・のでござるか」

だが、すぐにこれは現実なのだと知る。

何故なら、再び目にした佐助殿は俺の脳内の佐助殿よりも、さらに好ましい顔をしている。
声だって、鼓膜を数十倍も優しく撫ぜてくれるのだ。

「どうしたの?この間の・・店でのテンションと何だか違うじゃない?」

調子狂った、とでも言うように、彼は笑いながら肩を竦めた。
白いカップの中の、真っ黒なコーヒーが大人っぽい。
反対にファッションは店とは違い、緩やか且つお洒落な雰囲気で。まるで大学生みたいだ。

もしかして、カチコチの俺に呆れているのか?

取り敢えずは緊張を解す為に、冷たい飲み物を一口。
俺は固まる頭を宥めすかしながら、無難な言葉を選び出した。

「この間は酔ってしまっていたが故・・随分と失礼な口調になってしまったのでござる。目上の方に対してとんだ失礼を致した」
「やだなあ、なんだか違和感めちゃくちゃ感じるんだけど」
「は、違和感でござるか?」
「無理しないでよ。自然に行こうよ、自然に」
「自然に・・」
「そう。もうめんどくさいこと考えずにさ、ふっつーにやろ?あんたのあの口調、かっこ良かったんだもん」

ね、真田の旦那?と微笑まれた。


佐助殿がそんな風に笑うから、俺は普通でいられないのだ。
少しはこっちの心臓具合も考えてくれと主張したかったが、きっと彼には何のことやら判らないであろう。


俺の心の中がオレンジ色の洪水で溢れ返って・・・泣きたくなっているというのに。


「判った。ならば俺もこの調子で通させてもらうことにしよう」
「うん、いいね。やっと旦那らしくなった。俺様感激〜」
「そうか?こんなので良いならいくらでもがんばれるぞ!」

ついつい弾んだ声を出してしまった。
褒められるのが、素直に嬉しい。

佐助殿も嬉しそうだ。証拠にふわんと頬を緩めている。


「じゃあさ、これ飲んだら買い物いこっか。で、買い物すんだらお昼する?」
「おお、いいな。実は佐助殿も未だなら昼を誘いたいと思っておったのだ」
「ふふ、旦那が好きそうな美味しいお店、思い出しとくね」

それから二人、カフェを出た。
佐助殿の勧めてくれる洋酒店は日比谷公園の近くにあるらしい。
小さな店だけど・・・と、言いながらも、俺の気に入る筈だと絶対の自信がありそうだった。

佐助殿のミステリーその一だ。



果して、それは彼の目論見どおりになった。
都会の片隅の小さな洋酒店だが、レジ横に立呑みコーナーも設けられており、なにやら楽しげな雰囲気で。
酒屋特有の、ひんやりした空気が心地良い。

店の主は、ワイン屋には似つかわしくない、豪放に髭を生やした男だった。

「来た来た!いらっしゃいませ。まあ、何時間一日でもゆっくりしていってください」

佐助殿と一緒に訪問した所為か、丁寧に名刺まで渡してくれた。
生成りの紙には根津甚八、と書かれている。

「これはかたじけない。某は、真田幸村と申す」

今日は名刺入れを持っていなかったが、少し位はカードケースに入れて居た筈だ。
鞄の中からそれを取り出すと、記憶通りに入っていた。
根津殿は、俺の差し出した名刺をしげしげと眺めた。

「BASARA銀行内為市場営業部、真田幸村さん・・。これはいい。家宝になりそうだぜ、なあ、猿飛さんよ」

ほら、と顔先に翳して、見せびらかしている。
名刺なんて、どこそこに配り歩いて、撒き散らしている物だ。
なのに、佐助殿は唇を噛みしめて心底悔しそうな表情を作る。

「ずりー、俺様だってまだ貰ってないのに。甚八、それをよこしなさい」
「だれが。いくら長の命令でも聞けないな。悔しかったら力づくで奪ってみろ」
「な、なんだと、お前なー!じゃあ力づくで奪ってやるよ」

ふたり絡みあって、名刺を持つ手を掴んだり。
振りほどいたり。

――面白くない。

俺を無視して、何をいちゃついておるのだ、と訳の判らぬ怒りが込み上げたきた。
その肌の、熱を感じる迄の距離に居ていいのは・・と理不尽な事まで考える。

それで、つい。

「やめろ」

冷たく言い放ち、佐助殿の手首を掴んで自分の方に引き寄せる。
指にぐいっと強い力が入ってしまった。
案の定、佐助殿は驚いて、目を瞬いている。

「あまり無防備なのはどうかと思うぞ、佐助殿」
「無防備って、ここ・・知り合いの店で」
「知り合いの店でも危険であろうが。そんな可愛い様子では危なっかしいにも程がある」
「・・・う」

佐助殿の頬が、髪と同化するくらい赤く染まった。

「それにな。お前が欲しければいくらでもやる」

俺は、佐助殿の手首から手を離し、かわりに持っていた名刺全部を押しつけた。
5枚はあるだろう。

「足りぬなら、また今度渡すぞ。あと何枚必要だ?」
「あんね、旦那。あんたもいい加減シャレってもんを」
「佐助殿が欲しがるのならば、一箱だって持ってくるつもりだ。・・それで佐助殿が俺だけに笑いかけてくれるなら」
「ひい、やめて。それ以上言わないで」

佐助殿は俺から逃れようと身を引いた。
その背後、根津殿がなにやらブツブツと呟く。

「・・もう、アイツらの言ってた通りだ。ちっとも変わられてないなぁ」

呆れた口調とは裏腹。嬉々たる表情で、俺達の様子を眺めていた。

それにしても、ちっとも変わってないとは。
俺はいつの間にか、どこかで、何かをしでかしていたのであろうか。

全くもってミステリーだ。
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