迷彩表紙
□やさしい嘘をつく
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「おい佐助、私は予定通り、これで上がらせて貰うぞ。帰る時はセコムを忘れるな」
「もー、判ってるってば。それより待ち合わせまでに一時間程しかないみたいだけど・・買い物大丈夫なの?」
「前からある程度下見は済ませてあるからな。グズのお前とは違う」
「はいはい。万年独り者の俺様とは全然違うよね。偉いよね、かすがは」
「当たり前だ」
ふん、と胸をのけぞらせれば、女の子の誰もが羨むGカップの胸が揺れて。これは拙いとさりげなく視線を外す。
セクハラ扱いでもされたら堪らない。
まったく以て面倒臭いが、それもかすがゆえなのだ。
恋人への指輪を買った男の客を見送った後、かすがは、帰り支度を整える為にスタッフルームに戻った。
彼女にはとても麗しい恋人がいる。
高校の頃からの片思いが成就したときには、佐助も嬉しくて、一緒に大泣きしたものだ。
そしてかすがは、佐助の為にも泣いてくれた。
口は悪いが、心の優しい大切な友人とは、今は職場の同僚として助け合って過ごしている。
「―佐助、大変だぞ」
カタンと扉が開いて、真白が目に飛び込んだ。
ファー付きのコートはやっぱりかすがに似合っている。さすが彼氏の見立てだよな・・・なんてぼんやりとしていたら、一気に目を覚ます羽目になってしまった。
クリスマスも間近に迫ったこんな日に、こんな事を教えてくれるからだ。
「真田・・とうとう結婚するらしいぞ。知っていたか?相手は親密取引先の社長の令嬢だそうだ」
「・・へえ、そうなんだ。知らなかった。・・誰も俺様には教えてくれないし」
「それはそうだろう。皆お前には隠そうとしている」
「うん」
「だが、私は違う。何故って、お前にいい加減前を向いてほしいからだぞ」
「うん。判っているよ」
「判っているなら、早く忘れろ。アイツは結局、世の中に屈したんだからな」
世の中というよりは、真田という由緒正しい家柄にだろう。
巨大な会社に、なのかも知れない。
どちらにしても同じことだ。
佐助は本心を隠すべく、へらへらと笑みを浮かべた。
もっともかすがにこの姑息な方法が通じた試しはない。
「でもさ、愛情・・あるかも知れないよ?」
恐る恐る言えば、かすがは馬鹿にしたように目を眇めて、こちらを見る。
案の定、だ。いい加減学習しなければなるまいに。
「それはそうあって欲しいという、お前の願望だろう?」
「かもしんないけど。だって俺様、旦那には誰よりも幸せになって欲しいから。我ながら健気だよね」
「アイツの幸せが何かも考えない癖に、何が健気だ。偽善者め」
話しているうちに感情がエスカレートしたらしく、かすがはどっかりと音を立てて、カウンターの前のチェストに座り込んでしまった。
これはやばい。
誰だって、説教をされるのは嫌なものだ。
特に判り切った事を蒸し返されるのは。
だから慌てて時計を見るふりをする。
「それより早く行かなきゃお店閉まっちゃうよ」
「ああ本当だ!もう五分もロスしてしまった、お前の所為で!」
とかなんとか。ブツブツ文句を言いながらも、慌てて立ちあがり、かすがは出て行った。
白いコートの裾がひらりとひらめいて、まるで雪みたいだ。
刹那のきらめきは儚く、美しい。
そういえば、今年のクリスマスは雪になると誰かが言ってたっけ―。
恋人たちにはホワイトクリスマスは、ロマンチックで嬉しいかもしれないけれど、独り者には、単に寒いだけ。
帰り道が凍結しないか心配だし、ひとつも良い事なんてないのだ。
しんとした店内には、グレゴリオ聖歌が流れている。
明るいクリスマスソングよりも、敬虔な気持ちになれるかと思って掛けてみたのだが、効果が出過ぎてしまったらしくて。
やたらと鬱屈とした気分になる。
「クリスマスプレゼント、かあ・・」
そしていつの間にか、心は五年前のクリスマスに飛ぶ。
小さなツリーに、二人で飾りを付けた、幸せに満ちた夜。
サンタに、プレゼントボックス。内緒で舐めたワイン。
それから―。
「いらっしゃ・・・」
いつの間にか感傷に浸っていた佐助の目に、白い残像を溶かすような熱が飛び込んできた。
久しぶりに感じる、体中が沸騰するかのような熱だ。
佐助は瞬きも忘れ、熱の出どころを見つめた。
ドアを開けたその人は、前よりも大人びた声で佐助に話しかける。
彼はこんな風に優しく話しかけてくれる人だっただろうか。
「久しぶりだな佐助。少し中を見ても良いか?」
「どうぞ・・・・・」
「指輪を探している」
「はい。どうぞごゆっくりご覧ください」
「おい、敬語は止めろ。むずがゆいではないか」
実に5年ぶりの再会だった。
佐助が高校を中退して、それから一度も会っていない。
なのに、この人はまるで昨日も一緒に帰ったかのように話しかけてくる。
傷はもうすっかり癒えたのか。
佐助の方も、さすがに表の傷は塞がっていた。
だけど、未だ心に出来た瘡蓋は時折思い出したように剥がれては、血を流しているのだ。
「指輪って・・結婚指輪の事?」
彼―、真田幸村が、カウンター前のチェストに座った所を見計らって、訊ねてみる。
一瞬の沈黙が降りて来た。
「そうだ。良く知っておるな」
「かすがに聞いたんだ」
「かすが殿・・ここは二人で切盛りしておるのだったな。ホームページで見た」
「うん。共同経営してるよ」
「相変わらず仲が良いのだな・・俺の知らぬ5年の間もずっと仲良しだ」
寂しそうに呟くのは止めて欲しい。
だって、あんたは幸せのど真ん中にいる筈だろう?
そう願ったからこそ俺は・・。
高ぶる感情を抑えようと、佐助は左手首につけているシルバーのバングルを指でなぞった。
こうすると不思議と自分を取り戻せるのだ。
最早儀式はすっかりと身に染みついて、何かあった時に必ず縋るおまじないになっていた。
「あのさ!マリッジリングってやっぱ優雅なラインがいいよね。ゴツイやつじゃなくてさ」
「何でも良い。そのケースの中にあるような奴でも」
「お馬鹿さんだねえ!髑髏なんてダメでしょ!それこそハリーウインストンとかティファニーとかさあ、お金持ちなんだし」
「ブランドには拘らん。俺はお前のデザインが良いのだ」
幸村らしいといえばらしいけれど、この店はゴシック系のいかついものが多い。
スカル、クラウン、クロス等々。
普通のお嬢様が結婚指輪に贈られて喜ぶものではなかろうに。
「じゃあ、さ。オーダーメイドにする?女性が喜びそうな可愛いデザインを考えるよ」
「俺の為に作ってくれるのか・・」
「うん。だいたいのデザインをきめとこう。でいつ渡す予定?」
この時期にアクセサリーに来る客の目的など、聞かなくても判るのだけれど。
そして返事は予測通りだった。
「クリスマスだ。関係会社を招いて大きなパーティが行われる。そこで彼女には伴侶として付き添ってもらう事になっている」
じっと食い入るように、瞳を覗きこんでくる。
佐助の表情の変化を見極めようとしているのか。
案外と悪趣味だ。今まで気付きもしなかった。
せめて動揺する様はみせるかと、俯きカウンターの下からデザイン帳を取り出して。
目の動きは多分見られてないだろうと思う。
再び向かい合うと、佐助は仕返しとばかりに、精一杯の笑顔を作って見せた。
「・・・なるほど。じゃあ、指輪は場を盛り上げる大切なアイテムだね。責任重大だ」
幸村は鷹揚に頷いた。
これから結婚する相手とのマリッジリングを、元の恋人に作らせるなんて、一体何を考えてるのだか・・。
「お前にしか作れまい」
「うん・・そうだね」
だが、少しその訳が判るような気がするのは、きっと自分もまだ忘れられていないからかもしれない。
彼と一緒に過ごした教室の空気も。
部屋で抱き締めあった、体の熱さも。
陳腐な言い方だが、人を愛する喜びを知り、同時に苦しみを知った。
佐助は毎日毎日飽きもせずに、必死に幸村を愛していた。
だから、五年前のクリスマスイブが二人で過ごす最後の夜になるなんて、想像もしていなかったのだ―。
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