迷彩表紙
□野分立ちたる宵には
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「ありゃ、これまた酷いやられ方をしたもんだね」
前栽の木が根元から折られ、池の中に突き刺さっている。その姿はまるで、水に浮かぶ大きな盆栽、否、小さな島だ。
忍びの水術を駆使してもああはなるまい。
全くもって自然の力とは凄まじいものだと思う。
佐助は庭を横目に、小走りで廊下を渡った。
季節は長月に入ったばかりで、この季節に嵐などとは実に珍しい。
鬼島津の住む南の土地ではこの程度の雨風はよくあるのだろうが、なんといってもここは信州、上田だ。
久方ぶりの天災に、城中上を下への大騒ぎ。
特に備えがあるわけでもなく、只管雨戸を閉ざし、息を殺して耐えるのみである。
佐助は国境の様子を視たその足で、主の待つ部屋に向かった。
果して未だ室に居てくれているだろうか。
主は確か、今宵は贔屓にしている花魁に会いにゆくと言っていた。
花魁・・中尾太夫は今一番の売れっ子で清楚な美貌が売り。幸村の筆おろしの相手でもある。
あの時は破廉恥だと騒ぐのを宥めすかして、それは大変な騒ぎであったのだが・・。
今は昔の、笑い話だ。
幸村は情を交わした相手には案外一途で、足繁くとまでは行かなくても、ちょくちょく顔は出しているようだ。
よく金が続くものだと感心するが、どうやらそれは主の小遣いで賄っているらしく、特に咎めるべき点も無い。
どこでどう捻出しているのか、やりくり上手のコツを一度じっくり聞いてみなければなるまい。
「真田の旦那、いらっしゃいますかぁ?」
既に艶な場所で酒でも飲んでいるか―。
もしかすると、城下に向かう途中の道で風に怯えているかもしれない。
お化けの仕業だと震えていたら可愛いのにな・・。
戦場では誰よりも豪胆な主は、勿論好もしい。
が、いつまでもおぼこく無垢で居て欲しい、と願うのは佐助の長年に渡る悪しき癖なのである。
「俺様は泥棒じゃありませんよ!ってワケで失礼します」
返事も待たずに襖をあけると、果してそこには主が居た。
忍びの不躾を怒っているのか。
眉を顰めて、読んでいた書を閉じた。
「お前は・・相変わらず暢気な顔をしてから。城の廻りは大事なかったか?こんなところで油を売っていてよいのか?」
「もう、俺様の心、旦那知らずだよなあ。アンタの為に危険も顧みずに、参上してやろうかって程の忠臣なのにさ」
「参上とは、いずくに」
「何言ってんの。初音屋に決まってんじゃん。今宵はじーっくり中尾太夫といいコトするつもりだったんだろ」
「う・・む・・」
「いいなあ〜、あんな別嬪さん、ホント羨ましい。流石は真田の旦那!」
「そ、そんなにからかうな。お前、随分悪い顔になっておるぞ」
そこで幸村が顔を赤らめるので、佐助はついつい下卑た笑いを浮かべてしまった。
「ほんと、残念だよね。野分さえ来なければ、ねえ」
「・・・俺が初音屋に行けぬのがそんなに嬉しいのか?」
「気のせいでしょ。それより、折角なんだからお話でもしようよ」
「ふむ、佐助とゆっくり話か!それもよいな!」
佐助の提案に、途端に嬉しそうに居住まいを正す主。
うん、可愛い。廓に破廉恥を愉しみに行こうとしていた男にはとても見えない。
ちょろいな、と佐助は心の中で舌を出しつつ、出来る限りの猫撫で声を出してみた。
「でしょ?たまにはね、積もる話を」
「うむ!」
「で、早速だけど、忍隊の給料体系について、一つ提案があるんだよな。今の歩合制の最低賃金を見直すっていうか。おもに俺様なんだけど」
「・・・・」
はっきりと給料を上げろと言った訳では無いのに、嫌な顔をされた。
まあ、最終的にはそちらの方向に落ちつけようと、目論んではいたのだが・・。
真に己の主は獣の如く勘が良い。
「給料の話などつまらぬ!無粋はやめよ!」
ふん、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らされて。
無粋な人に無粋と言わるのは、とてつもなく不快なものだ。
給料の話の腰を折られたのを合せると、更に不快指数が増す。
佐助はそんなこんなで、借金の如く膨れ上がり続ける不快を押し隠しつつ・・取り敢えずと言った返事を返した。
「無粋ってね。そりゃあまあ、俺様は忍びですし?こんな手持無沙汰な夜に、アンタを悦ばせるなんてできませんけど」
中尾太夫のようになんてさ。
口を尖らせて反論すれば、主は何を言うかと不思議そうな顔を返してきた。
「艶事は、忍びの得意とするところであろうが!・・まさかお前」
「まさかって何だよ」
「閨技が不得意なのか。忍びの中の忍び、猿飛佐助ともあろうものが!」
まるきり珍獣を見るような目付である。
「な・・!馬鹿言ってんなよな」
そうきたか。
頭に血が集まる音がする。
カァッとかグラグラとか、文字にすると可愛らしいものだが、実際はそんな生易しいものではない。
なんとかして、この生意気な主をやりこめてやらなければ腹の虫が納まらないのである。
破廉恥だ、破廉恥だと色ごとから逃げ回っていた可愛い幸村様は一体どこに消えてしまったというのだろう。
矢張りあの女狐の仕業なのか。
いきつく先は羨ましいという感情ではあるが、それを認めてはおしまいだった。
「言っとくけど。俺様は凄いよ。超一流は、なんでも一流なの。その技たるや色忍びも真っ青だね!」
「・・そ・・・・そうなのか・・色忍びも真っ青とは・・強く出たな・・・!」
自分で振って置いて、なにゆえに傷付いた顔をしているのだろう、この人は。
佐助の大法螺、大風呂敷だとでも捉えているのだろうか。
如何にも苦しげに言葉を絞りだしている様も、わざとらしくて癪にさわる。
「あ、もしかして信じてないな。俺がどんだけの人数を腹上死させたか知ったら、アンタ吃驚して腰抜かすぜ」
「・・腹上死か・・・過ぎる快楽で以て心臓をヤるのだな・・。否、俺はその程度では・・腰など抜かさぬぞッ・・」
大方破廉恥だと叫びたいのだろう。
幸村が唇を噛みしめ、体を震わせて、必死に耐えている。
破廉恥な話を振ってきたのは自分だというのに、ちょっとばかり突っ込んでいけばこの始末。
所詮は付け焼刃、この道に於いて調子に乗るなど片腹痛い。
佐助はここぞとばかりに、きゅうきゅうにやりこめてやる事にした。
生意気なのだ。
全く、旦那の癖に・・・。
「まあまあ、所詮旦那みたいな奥手には理解できないだろうけれどね。忍びの房術の凄さってのは」
「お前はいつもいつも俺を奥手と馬鹿にしておるが、俺とて当代一の太夫に手ほどきを受けておるのだぞ!」
「ふーん。だから?」
「お前達に負ける訳がない!」
「なんですと・・?」
忍びが性戯で、花魁に劣ると言うのだ。
忍び飼いの癖に、そんな横暴あって良い筈が無い。
自分の部下たちを信じていないという事になるのだから。
いっその事、ここで忍隊に集合を掛けて糾弾会を開いてやろうか―。
だが、幸村は佐助の反抗心に満ちた睨みを必死の形相で受け流し、声も高らかにこう提案してきたのだ。
「花魁の技の方が上なのだと・・俺で試しても良いぞ」
「誰がアンタ相手に試すかっての。気持ち良すぎて死んじまったら困るだろ・・大切な雇い主様が」
「ふん、なんだかんだ申しても、自信が無いゆえに逃げるつもりだろうが」
「な・・それはそのままあんたにお返ししてやるぜ!」
佐助は息まいた。
これは自分だけの問題では無いのである。
佐助が劣ると言われる事は、すなわち忍びが・・可愛い部下たちが侮られるという事で。それでついつい受けて立ってしまったと言う訳だ。
雨交じりの暴風が雨戸を叩き、隙間から稲光が走る。
その煌々と部屋を照らす光の所為で、佐助は全く気付かなかった。
幸村の瞳がきらりと瞬いた事に、だ。
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