迷彩表紙

□その空の果てまで
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きゃあ、と凡そ男らしくない悲鳴が聞こえた。

ウォレットチェーンは、ナイフを持った方だけでなく、幸村を拘束していた男の手までも同時に縛りあげた。
逆手を取られ、仲良くよろけるのが可笑しい。
フックが鎖に上手く嵌まって、仕上げも上々だ。

佐助は文字通り、空を飛ぶような早さで、彼らの中に割って入った。
ナイフを瞬く間に奪い、主犯格と思しき輩の喉元に突き立てる。
その間、ずっと笑顔を浮かべたままで―。
口元だけは、三日月のような綺麗な弓を描きつつも、目の表情は綺麗に消し去っている。
殺しの際には氷の表情を貫くのが常だった。
そうだ。これは暗殺者の目だ。

いくら素行が悪いとは言え、一介の男子高校生が初めて目の当たりにし、耐え得るものでは無い。

「ねえねえ。これってさあ・・、苦無と違って投げるのには向いてなさそうだけど。スパッと斬る分には勝手が良さそうだねえ。いや、刺す方がいいのかな?」

楽しげに訊ねながら、首筋にすっと刃先を当ててみる。
切れ味は抜群だ。
微かに力を込めただけで、面白い程血が吹いた。
だが、忍びの修業を始めてから現在まで。数えきれぬ程に行った行為では、新鮮味も欠けようというものだ。

「おっと危ない。証拠隠滅・・と」

佐助は指紋が付かぬよう、持ち手をハンカチでぐいと擦った。
白い生地に、飛び散った血の赤が花柄のようにみえる。

「・・お、おい、お前、何を・・」
「はい、これはあんたに返すよ。だめじゃない、友達を怪我させちゃあさ」
「お・・俺?」
「そうさ。あんたがナイフの使い方が判んなくて不注意に振りまわしたから、この人にあたっちゃったんでしょ」
「ち、ちが・・それは、お前が」
「―五月蝿せえなぁ・・」

殊更静かに言ったのに、不良たちは竦み上がり、すっかり顔色を失くしてしまった。
低く感情を抑えた声だからこそ、効果は高いのである。

「・・ほら、俺様の気が変わらない内に早く失せるんだ。次はねえぜ」

口元から三日月は消えていた。
瞳はガラスのように透明なのに、それは底の見えない漆黒を湛えて―。
他校の生徒たちは、互いに声も発さず、我先にと逃げ出した。
余程恐ろしかったのだろう、友人を突き飛ばさんばかりの勢いだった。

「お馬鹿さん!なんてな」

周りに誰も居なくなったのを確かめて、佐助は道に落ちていたチェーンを拾い上げる。
ドサクサ紛れに持って行かれなくて良かったと思う。
きっと、贅沢を嫌う自分が、値段や形に拘って、散々探しまわった大切な物の筈だから。

「佐助・・・ッ!」

背後で声がする。主の声だ。
ああ、どれ程ぶりだろう。掠れ上ずったこの声は、意識して興奮を抑えている時のものだ。

夢の中で、もう何度も再会を果たした人。

―どこに行ってたんだよ、旦那。山の中も、川岸も散々探したんだからね。
―すまぬ。怪我が酷くて歩く事も叶わず、匿われておったのだ。流れた先の・・小さな集落にな。

怪我をした足を引き摺る幸村の肩を抱きかかえて、城に戻ったのも数えきれぬ程だった。
その他に「実は傍に居たのに・・」というパターンもある。

―あれ、旦那じゃない。なんだ、ずっと部屋に居たんだ。おかしいな、俺様全然気付かなかったよ。
―お前は薄情だからな。俺に団子を買ってくるのをずっと忘れておったろう。もう何年もだぞ。

旦那、旦那。
会いたかった。たとえそれが夢で、目が覚めるれば泡沫と消えてしまうと判っていても・・。

「・・佐助・・。俺の佐助、なのか?」

これは夢では無く、現実で。
だけど、あまりに待ち焦がれすぎて・・。
どうしたら良いか判らなくて、わざとらしく頬を抓ってみた。

夢の中でもこの方法を取り、あまり効果が無いのを知っていながら、だ。
稀代の忍びも、唯一無二の主を前にしたら、この程度のものなのだ。

とはいえ、あんまり焦らし過ぎると、主は怒り出してしまうだろう。元来が短気な人なのだ。

久々過ぎて匙加減を間違えそうだよ、と佐助は軽く鼻を啜った。
そして、振り返る。
愛しい主は、眉頭に皺を寄せ、口を半分開いていて。
当に叫び出す寸前だったのだ。命拾いをしたらしい。
弁丸の大声は障子を破る程などと、よく揶揄されたものだし、何よりヘタをしたら、自分もつられて失態を犯してしまうかもしれない。
取り乱して泣くなど・・猿飛佐助のする事では無い。

佐助はわざとおどけた表情で、幸村に向かってひとさし指を突き出してみせる。

「・・旦那、久しぶり。ははは、何その格好・・!楯無はどーしたの?」
「佐助・・・本当に・・久しぶりだな、佐助」

幸村の唇は震え、紡がれる言葉も途切れ途切れで―。
苦しそうに、はあと息を吐き出している。
こんな顔をさせるのは自分の行いが悪いのか。
そうは思えど、あの時勝手に消えたのは主の方なのだ。

じっとこちらを見つめる茶色の瞳に膜が張り、ゆらりと揺れるのを見れば、胸が搾られるように痛んだ。

「旦那・・ふるえてるの・・?」
「当たり前だろう。やっとお前に会えたのだ。・・やっと」
「やっと・・。だよね。だって俺様は今まで眠くて、吐きそうで・・空を見てて・・」
「空を?」
「でも、あんたが危ないって・・。自分じゃどうしようもないって誰かに言われた瞬間、突然ここに繋がったんだ。そしたら目の前であんたが襲われてたよ」
「佐助・・・」

幸村が忍びの名を愛しげに口にしながら、手を伸ばした。
佐助は肩を掴まれ、抵抗を考える間もなく引き寄せられる。
背中に手を廻され、腕の中にすっぽりと納まれば、矢張り主は震えていて。
ああ、自分はなんて駄目な忍びなのか。

幸村がこんなにも動揺をしているのは、離れていた間の佐助の忠心に、満足をしていない所為だろう。
自分がこの人を裏切る筈なんてないのに、と思えば佐助は哀しくなり、主をきつく抱き返すのだ。

「旦那・・そんなに泣かないでくれよ」
「だが。お前が帰ってきたのだぞ。泣かずにはおれようか」
「帰ってきたってなんだよ。てか、俺様は今ホント大変な状態で・・これだって頭が最後に錯乱してるだけだよ」
「大変・・?学校で何かあったのか?」
「・・学校じゃない。大坂から薩摩に向かう途中の、山で」
「大阪?何を言っておる。大丈夫か?」
「・・・・・うん」
「佐助」
「・・うん、まあ、色々あるんだよ、俺様にも」

ああ、そういうことかも、と小さく呟く。
今の状況と、佐助が実際見聞きして知り得た知識を総動員すれば、推測できる事がひとつあった。

「佐助?どうしたのだ?具合が悪いのか?」
「・・・あっと、ごめんね。こんな状態で妄想に浸っている場合じゃないのに」

ざわざわと校門から、一年生の集団が出てきて、佐助は慌てて体を離す。
二人の間に距離が出来た瞬間、その喪失感に体がぶるっと震えた。

誤魔化すように話題を変えるのは、きっといつの時代も同じパターンなのだ。

「ねえねえ、俺様はどこ住んでんの?やっぱり旦那と一緒?だったら嬉しいなあ」

ともすれば、涙涙の展開になりそうなところを、まるで給料を上げてよというような気安い雰囲気で暈してみせる。











「へえ、これが俺様の部屋か〜。すっごいふっつーの家庭って感じ。エッチな本はやっぱベッドの下かな?」
「知るか。破廉恥な事を申すで無い」
「もう、旦那ったら相変わらずの恥ずかしがり屋さんなんだな!」

佐助は興味深気にいちいち感想を言いながら、自分の持ち物を点検して回る。

机の上にはノートパソコン、真っ黒なオーディオセット。
シンプルなベッドの脇には本棚が備え付けてある。
クローゼットには、案の定緑色の服が多く掛っていた。

小さなテーブルの前に、二人向かい合って座る。
オレンジジュースの2リットルボトルをそのまま気付薬の如くに呷った後、幸村は知っている限りの説明を始めた。

「御両親が、海外赴任をされていてな。この家にお前は一人暮らしなのだ」
「なるほどね。そんでフランス関係の本がこんなにあるんだ」
「そうだ。お父上は旅行会社勤務で、日本人向けのサービスを展開されておられる」
「ああ・・俺様は連れて行ってもらえなかったのね。凱旋門にセーヌ川・・」
「お前が、ここに残ると言ったのではないか」
「そりゃそうか。俺様がアンタを置いて、遠くに行ける訳が無いしな。相変わらずお世話が大変だろうからさ」
「・・・・・・」
「ねえ。そうなんだろ?」
「・・・・」
「旦那?」

暫し沈黙が漂う。
佐助も先を急がず、幸村の言葉を待った。
時計の秒針が、一巡するまでの間は、とても長く感じられた。

幸村は、静かに口を開く。

「・・不思議だな。お前はこの時代の暮らしに馴染んでいる。携帯だって扱えるし、コンビニで買い物だってできる」
「うん。まあ・・今がいつだってちゃんと判っているつもりだし・・。体も自然に動くというか、特に不自由は無いね」
「でもここでの自分を、覚えておらぬという」
「記憶とかの障害でよくあるパターンじゃねえの?脳の打ちどころによっては、自分のことだけ忘れちゃうとか・・。一部の言葉だけが出てこない、みたいな」

佐助はウーロン茶をきちんとグラスに移して飲んだ。
自然に手が動いたので、いつもこうやっているのだと判る。
対する幸村は、やはり面倒らしく、直飲みだった。

「ふむ・・。この間ちょうど習ったのだが、脳内でニューロン間の繋がりに変異が生じたか・・もしくは人格ごと変わる精神的な問題なのかもしれぬな」
「ニューロンとか難しいことなんてわかんないんだけど・・。俺様は焦って無意識にやっちゃったんだろうね。旦那のピンチを救うには忍びの力が必要だったってのは紛れも無い事実だからさ」
「そうか・・では、ここに元居たお前はどうなるのだ?」
「さて。どうなってるんでしょう・・」

佐助がこれ程落ち着いて居られるのは、ここでの暮らしには不自由が無さそうだということと、幸村が目の前に居るからだ。
誰よりも大切に想っていた人が目の前で、自然に振る舞っていてくれるから。

ここに元居た自分―。
佐助は幸村の質問には答えず、逆に質問を重ねた。

「ねえ、旦那?ひとつ聞いてもいい?」

色々聞きたい事があるのだ。
だが、一番怖くて、一番知りたい事を先に聞いてしまおうと思った。

「なんだ、佐助。改まって」

幸村は佐助の真剣なまなざしを受けて、咄嗟に居住まいを正した。
どんな事を訊ねられるのかと、唾を飲み込んで身構えたのである。
果して、突きつけられた質問は、準備をしていて尚、緊張感を総動員する必要があるものだった。

「あのさ・・あんたと俺、今でも恋仲・・なのかな?」
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