迷彩表紙

□その空の果てまで
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血が無くなると、どうしようも無い程の眩暈に襲われるものだ。
腕に胸に、わき腹に。
刺さった矢のどこが致命傷になるのかは判らないが、確実に死は佐助の傍まで訪れている。
眠い。吐き気がするのに朦朧として、なんだかぼんやりと眠い。

佐助は目を閉じて、最後に文句のひとつも言えなかった主の顔を思い浮かべてみる。
あの時はもう二度と会わなくてもいいと思ったものであるが・・。

今際の際になってみれば、会いたいのか、会いたくないのか自分でも判らなくなってきた。
きっと顔を合わせても、口から飛び出してくるのは文句ばかりなのだろうけれど。

・・あの人・・今頃どこで何をしてるのやら。

脳裏に思い描く在りし日の幸村の顔が、白い霞みでぼやけてくる。
主は弁丸になったり幸村になったりしながら己に向かって語りかけてくれるのだが、最早正確な言葉として届きはしない。

佐助は五感の中では、最後までまともに働いてくれている耳に力を込める。
名を、呼ばれた。
つられるように顔を上げれば、木々の間から突き抜けるような青空がふわんと拡がって―。
あの人の居る場所に繋がるような気がしたのだ。














「ねえねえ、まつねえちゃんからサンシャインプールのチケット貰ったんだ!なんと5枚もだよ!この夏満足に遊べなかった君たちへのプレゼントだ!」

前田慶次がはしゃぎ声を上げると、いつものメンバーがわらわらと机の周りを取り囲む。

「なんだ、新聞の契約でもしたのかよ。男は黙って海だろーが。水は水でも塩素臭いのじゃなくて、塩辛い水の方だぜ!」

元親は眼帯で隠されて居ない方の目を輝かせている。
文句を言いながらも、絶対にプール行きのメンバーに入るつもりに違いない。

昼休みの教室の、机を寄せて出来る島の一番窓側、後ろ側。
今居るのは、首謀者の慶次に元親、それから佐助だった。
取り敢えず三人はその場のノリで参加が決定し、「あとは誰を誘おうか」「女の子も誘っていいか」などと実に和気藹々とした雰囲気だったのだが。

購買帰りの幸村が教室に入ってきた瞬間、微妙な空気が流れる。

「あっ・・と。ゆっきーだ!」

慶次がその空気を断ち切るように、殊更明るい声で言った。

「ねえねえ、ゆっきーも誘ってみるかい?あとは政宗だな。うん、ベストメンバーだと思わない?」
「おお。いいな。アイツらも喜ぶ」

元親の言葉を遮る様に、佐助は口を挟んだ。

「俺様やっぱり行くのよそっと。日に焼けるのヤだもんな」
「あー・・!」

ガックリと擬音も聞こえてきそうな失望を顔に張り付け、慶次と元親は頷き合った。
作戦は失敗に終わったとばかりに、互いに肩をぽんぽん叩きあっている。

「やっぱ行かねえのか?」
「うん、行かない」

いつもの事なのだ。
佐助が幸村をさり気なく避けるのは。
しかもそれはあくまでもさり気なくという言葉がぴったりで、彼らの間で何か変だと噂になったのも、つい最近だった。
たとえば、教室の移動のタイミングをずらしたり、昼はあまり口をきかなかったりとその程度なのだが・・。
一旦気付いてしまうと、気まずい事この上ない。

「ねえ、佐助さあ。さっきは行くっていってたじゃん。日焼けなんて日焼け止めたっぷり塗っとけば良くない?」
「日焼けだけじゃなくて、その日は用があるのを思い出したんだよな」
「てか、てめえおかしいぞ。真田の何が気に入らないのか知らねえが」

襟首でも掴まれそうな剣幕に、佐助は慌てて身をひるがえした。
どうでもいい事で喧嘩するなどまっぴら御免。
そう、彼にとっては真田幸村などどうでも良いというカテゴリーに位置すべき存在で、寧ろ積極的には関わりたく無いだけだ。

「気に入らないも何も・・。ほんのすこーしウマが合わない相手ってだけだよ」
「でも、佐助とゆっきーは前はすっごく仲がよかったって聞いたよ。元々は気が合う筈なんだからさ、もっとちゃんと話す機会を作って」
「話さなくても判るんだよ。こういうのって。体温が違うってやつさ」
「お前なあ」
「特に夏はね。暑苦しいのを避けるのが人情ってもんでしょ、ね。真田君」

幸村が近付いてきているのを知っていながら、悪びれも無く言い切った。
どう思われても構わない、というスタンスはそのままに。あくまでも風のように軽やかに笑ってみせるのだ。

「・・そうだな、佐助は確かに暑いのが嫌いだったな。・・ずっと前から」
「うん。だからね、真田君が嫌いってワケじゃないんだよ。真田君の体温が苦手なだけで。気を悪くしないでくれたら嬉しいな」
「判っておる。・・無理はするな」

幸村は薄っすらと笑った。
幸村の偶に見せる、哀しみと自嘲を乗せたその微笑みは、佐助を何故だか苛らつかせる。

当たり前だろう。あんたが俺を失望させたんじゃねえか―。





幸村と佐助は幼馴染みであった。
登下校も一緒。学校でも同じクラス。部活も同じだった。
どちらがどちらに対して静電気を発しているのか判らない程くっついて居たので、血の繋がっていない兄弟みたいだと大人からはからかわれたものだ。

だが、ある日その関係は一変してしまう。
主に、佐助の方が・・。

あれは、忘れもしない小学校6年生の夏休み。今日と同じくらい暑い夏の日だった。
佐助は幸村の両親に連れられて、田舎にやってきていた。
信州は真田の出処らしく、綺麗な空気や綺麗な川の水を、佐助はすぐに気に入った。
生まれた時から東京を離れた事が無く、テレビの中でしか知りえなかった自然の美しさに狂喜したのだ。

そして、自然の恐ろしさにも―。


「かはッ・・」

水が塊りになって口の中に流れ込んできた。
流れは速いが、見た目には浅そうな川の石は、水藻に覆われていて、足指がぬるりと滑る。
バランスを崩し、前向きに倒れ込むと、容赦なく上の方から水が押し寄せてくる。
掴まるものをと探した指はまたもや滑り、佐助の体はひっくり返された。
息が出来ず、目も開けられない。
何かに掴まらねば。
このまま先に流されて、溺死してしまうだろう。
だが、水の流れが速すぎて、腕はもう1センチも動かす事すらままならなかった。

「・・だん、な・・?」

そして、ただ只管耐えていた佐助が目を覚ますと共に目にしたのは・・。隣で応急処置を施されている幸村の姿だった。
普段は健康的で浅黒く焼けた肌が、血の気を喪い青白くなっている。
水を含んだ服の色が、じっとりと重そうで。

「旦那・・どうして・・」

佐助は直ぐに悟った。
この人は自分を助けようとして、逆に溺れたんだ、と。

幸村の父が馬乗りになって、必死の形相で胸を両手で押し続けている。
苦しげに開けられた口からは、まだ一滴の水も出て来ていないようだった。

震える腕をもう一本の手で押さえ、神に祈るかのように天を仰げば、青い空に丸い雲がポンポンと浮かんでいて。
その暢気さと目の前の光景のギャップが、酷く哀しかった。

余計な事をしやがって・・。
自己犠牲の上に助けられたって迷惑なだけじゃないか。
たかだか幼馴染みの為に自分の命を犠牲にするなんざ、愚かにも程がある。

絶望の中で一気に考えたのは、もう幸村には近づくまいと言う事だった。
嫌悪感に近い感覚かも知れない。
兎も角、自分が近づくと彼にとって良くない結果になるだろうと気付いたのだ。

それで、少しずつ離れていった。

学校に行く時間もずらし、なるべく顔を合わせないようにした。すると、心の方も上手く距離が取れるのが判った。
初めは元通りになろうと躍起になっていた幸村も、高校に入るころには流石に諦めたようだった。

彼にも学校があり、友達があり、家族がいる。
いつまでも、古いだけの友情には拘っては居られないのだろう。

そして佐助が部活を止めたあたりから、幸村は異様な程サッカーにのめり込んで、今や将来を嘱望される程のプレイヤーになった。
皮肉なものである。
やっぱり佐助から離れた方が、幸村は上手く立ちゆくのだ。
自分だって、わけのわからない失望や焦燥感を持てあまさずに済む。万々歳だ。

きっと世の中の友人関係なんて、そんな微妙な事で密になったり疎遠になったりするのに違いない。
適当に、適当に・・。
口の中で何度も呪文のように呟いて。
未だ明るく青さが拡がる夏の空の下、ぶらぶらと校門を出る。

と、目の前に幸村が歩いていた。
いつもは部活で夜遅くまで残っているのに珍しい。
一瞬不思議に思うも、理由は直ぐに判った。

隣町の男子校の生徒に絡まれているのである。
確かその学校は次のサッカー地区大会予選で幸村達と当たる筈だ。

幸村を呼び出したらしい、如何にも素行の悪そうな学生たちは、サッカー部員という訳では無さそうだった。
出場停止にならずライバルを潰す為に、頼まれたと言ったところだろう。

―知った事では無い。
幸村が妨害に屈しようが、反抗しようが自分の生活には何の関係も無い。
ヘタに関わると、碌な結果にならないのだから、こんな時は見ない振りを通すに限る。

「だから、真田君はぁ、次の試合をベンチから応援してくれてたらいいんだって。ピッチじゃなくてさぁ」
「断る!」

幸村の決然とした声が響いた。

「こんなに頼んでも?日本代表を目指す大事な体がどうなっても知らないよ?」
「某にはそのような稚拙な脅しは効かぬぞ。痴れ者どもめ」
「てめえ、こっちが下手に出てたら・・調子乗るんじゃねえぞ!」

だが、無視を決め込んだ佐助の目は、あろうことか、一人の少年がこっそりとナイフの鞘を開いたのを映し出したのだ。
ナイフは背後から太股を狙っていて、幸村はそれには注意を払っていないように見える。
背後に若干の隙があるのだ。

「・・くそ・・なんだってんだ。てか俺様の知ったこっちゃねえってば」

幸村が傷つくのを見たくなくて、慌てて上を向くと、空が飛び込んできた。
夕暮れ近くの、青とオレンジの混じった微妙な色だ。
それは泣きそうな程綺麗に澄み渡って・・。

「・・旦那・・・」

突然ぶるりと体が震え、上手く息が出来なくなる。
のみならず、激しい眩暈と吐き気に襲われて、佐助は堪らずしゃがみこんだ。

「・・知ったことじゃねえ・・知ったことじゃねえ・・」

地面に手を付いた体勢のまま、深く息を吐いて。
そして更に大きく吸いこんだ。

「―知ったことじゃねえ、じゃ済まないって。俺様!」

誰に語るでもなく、話しかけて。
使えそうなものは・・と見につけているものをまさぐった。

丁度手に掛ったのは、ステンレス製の派手なウォレットチェーンだ。
それを殆ど引きちぎるように手につかみ、フックの部分を二度三度回してみる。
びゅんと風を切る音が通り抜けた。

それから空に放たれたチェーンは手裏剣の如くに自在に飛び、ナイフを持った手に絡みつく。
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