紫表紙

□可愛いひと
1ページ/4ページ

見覚えのある光景だ。


三成はこの場所には通って居なかったのだが、流れる空気を、目に肌に思い返す。
クリーム色のカーテンの向こうから聞こえてくる喧騒も殆ど同じだ。
地元で名門と言われるような公立高校なれば、どこも大した差は無いのかもしれない。

少しばかり違っているのは、黒板ではなくホワイトボードを使っている点くらいか。
窓は開け放たれて居るので、グラウンドからのキンというボールを打つ高い音が、吹奏楽部の不安定な音に混じって飛び込んでくる。

朝方までロケを行って寝不足の三成は、心地良い空気にぼんやりしそうになりそうになりながらも、目の前の男に視線を戻した。


「聞いておるのかね、家康君の兄御殿・・・確か高橋くんだったかね」
「ちゃんと聞いている」

自分よりかなり年嵩の教師に向かって、ついついぞんざいな口をきいてしまう。
昔からこの道化師めいた男は苦手で、名前を間違えられても、訂正する気すら起こらない。
つまりどうでもいいのだ。

だが、どうでもいい乍らも、こんな風に思う。

・・蚊蜻蛉の如く細くこけた頬を彩るその髭を、ざっくり斬り落としたらさぞかし見物だろうな。

三成は泡を喰う片髭の男を想像して、ひっそり笑いを噛みしめた。
彼の唯一のアイデンティティは今の時代、滑稽なイロモノでしか無いのだ。
全く、お笑い芸人じゃあるまいし。

軽く肩を竦めた瞬間、またもや鋭い声が飛んできた。

「高橋君!」
「ちゃんと聞いていますよ。最上、・・先生」
「・・・ならば良いがね。これはゆゆしき問題なのだよ。まずは此れを見たまえ」

細面の教師は細い髭の先を揺らしながら、一枚の紙を三成に突きつけた。
これこそが、先程から問題になっている代物なのだろう。
覗きこめば、性格に合ったのびやかな字で、それは書かれてあった。

―進路調査票―徳川家康。
第一志望、お笑いタレント。
第二志望、豊臣芸能。
第三志望、三成と新コンビ結成。

一見ふざけているかのような内容だが、何度も書きなおしたらしく、消しゴムの跡が微かに見える。
彼なりに悩んで書いたのだ。
それが学校にとって如何に馬鹿らしく、暗然たる頭痛の種かも知らずに。

家康は、少し前までは政治家になって、日本を良くしたいと抱負を語っていたのだという。
その為に、元総理大臣の講演を聞きに行ったり、某政党の政治塾にも参加していたらしい。
それが行き成り豊臣芸能だ。
学校側が頭を抱えたくなるのも、無理は無い。

「君も知っていると思うが。家康君は非常に優秀な生徒で、どこを選んでもA判定しか有り得ないのだよ。まあ・・、君は東大法学部を中退した変わり者だと聞いているがね」
「・・・フン」
「と、ともかく・・!我が校にとってはとんだ損失なのだ!」
「おい、貴様・・!秀吉様の・・秀吉様の作られた豊臣芸能が、日ノ本屈指のパラダイスが・・大学如きに劣るとでも言いたいのかッ?」

三成の視線が、教師の首元を凄まじいスピードで走り抜けた。
最上は、視線で斬首されたのだと気付いたらしく、慌てて両手で庇っている。
如何にも愚かな態度だ。
次に失言でもすれば、本気で斬ってやろうと、ぐるり教室内を見まわしてみる。
勿論、武器になりそうなものを探す為だった。

「お、落ち着きたまえ!我輩は何も豊臣芸能が劣るとかそんな事を言っているのではないのだ!兎に角、元の徳川君に戻って欲しいと願っておるだけなのだよ!」
「元の家康だと・・貴様、何が言いたいのだ!」
「は、母御が再婚される前の・・素敵な家康君にってことだ」

教師は両手を胸の前で組み、ガンバレ我輩、負けるな我輩と小さな声で繰り返している。
いちいち腹の立つ奴だ。剥きになる価値も無い。
三成は大きく息を吐きだして、少しだけ冷静に問うた。
思いの外声が低く篭ってしまったので、逆効果だったかもしれないが。

「・・結論、私が悪いって言いたいのだな、貴様は・・!」
「むろん君が大きな影響を与えているという事は確かだ。今日の昼休みも、君の持たせた弁当がちょっとした騒ぎを起こしたようだったし」
「弁当には何もおかしい所はないぞ。おい、どんな騒ぎだったか、私に詳しく説明してみろ」

三成は今朝用意したおかずを反芻してみる。
メインの大きなフランクフルトを真ん中に置いて・・。そのサイドにバランス良く小型の肉団子を二つ。
それからケチャップが丁度切れていたので、代わりにシーザーサラダのドレッシングを振りかけて置いた。
見栄え良くするために、パセリもちょろちょろ飾ったし、殆ど完璧ではないか。
其処に一体何の問題があるというのだろう。

「ど、どんな騒ぎだったかなんて、我輩の口からは恥ずかしくて言える訳が無かろう、高橋君!」
「妙な奴だな。ならば黙っていろ。私は家康に別段悪い影響などは与えていない」
「では、君は今日発売のフライデーをどう言い訳するのかね。朝のテレビでもしつこく流されていたよ?」
「あ、あれは!誤解だ。勝手にでっちあげられたデマだ。私には関係ないッ!」
「言い訳は結構だ。兎に角、君はきちんと家康君を説得してくれたまえ。家康君は将来の日本を背負って立つ男なのだから」
「・・・・」
「そして、そんな家康君の恩師はこの我輩。なんて素敵な話じゃないかね、高橋君」

髭を断栽しなかったのは、奇跡だと思う。単に手元に刃物が無かっただけともいうが。

三成は飴色に染まる渡り廊下を一人歩きながら、楽しげに下校する生徒たちの姿を眼下に見る。
そして、その中に家康の背を思い描けば、訳も無く胸が苦しくなった。
憐れな男だと思う。
前世では夢あふれる未来を、自分に奪われて―。
今生でも義兄となった自分に拘り、その輝くべきゆくすえの全てを委ねているのだ。
あんなに器の大きな男が・・。
度胸が据わり、人を束ねるのが得意な家康は、成程政治家になるのが良いのかもしれない。

だが、現実などは意図せずとも齟齬が生じるもの。
三成と共にありたいと願うが故に、お笑いの道を選ぼうとしている彼は、確かに愚かと言えるのだろう。
昔の彼では考えられない事だ。

そして、その愚かさは三成を幸せにし、逆に苦しめもするのだ。







「お?おかえり、三成!今日は早かったんだな」

ちょうど炊飯のスイッチを入れた所で、家康がキッチンを覗きこんだ。帰宅途中に寄り道をしてきたのか、手にはビニール袋を提げている。

「ああ、今日はオフだからな。夕飯も共に食えるぞ」
「そりゃ嬉しいな。一人の飯はどうも味気なくて好かん。はい、お土産」
「いつもすまない。家康」

受け取ったビニールを覗きこむと、出始めたばかりの李に、バナナ、さくらんぼが丁寧に詰められていた。
食の細い三成でも、果物だけはよく食べる。効率よく糖分も水分もビタミンも摂れるから、というのが持論で、存外味も気に入っている。
フルーツが好きなど、女みたいで余り言いたくはないのだが。
いずれにせよ家康は、華奢という言葉を体現したような義兄を太らせるべく、せっせと果物や菓子を貢いでくれるのだった。

「おい、夕飯の支度も大体整ったし、茶でも淹れてやろう。果物を茶うけにしたら良いかな」
「うへ、あんま合わなさそうだな。ワシは茶だけでいいよ」
「好き嫌いを言うな。ほら、先にテーブルを拭いて来い」

ダスターを放り投げれば、家康は片手で如何にも慣れた風にそれを受け取る。

三成が倒れた事が切っ掛けで、互いの想いを確かめ合ったのが一月前。
時間が許す時は、こうやって二人でお茶を飲んで、ゆったりと夕食までの時間過ごすようになっていた。

だが、今日は簡単にゆったりとはいかなそうだ。
まずは進路の話と・・。
それから家康の脇に抱えられている写真週刊誌を見て、三成は鉛のように重い溜息を吐いた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ