リターンズ2

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何かの選択を後悔し、過去に戻ってやり直したいと願ったことは誰しもあるだろう。
だが所詮そんな考えは無知の極みだ。


午前5時12分。
いつもより大分早く、グレゴリーハウスの方で目が覚めた。寝起きの数瞬だけぼうっとしたものの、現実での出来事を思いだし僕は慌てて布団をかぶり直す。

「うわぁ早く寝直さなくちゃ!!」

しかし寝よう寝ようとすればする程眠気は訪れない。…向こうで気絶してしまったのだから当たり前かもしれないが。いや、気絶だけならいい。もしもこうしてる間にも現実の私の方の体があの男に処分されているとしたら…。

どうしようもない本能的な恐怖に頭を抱える。あちらで目覚めた途端に殺されるかもしれない。そもそも誰なんだ。あれは…『あの人』の声で私に話しかけてきたあの男は…。

「あの男は誰だ。『あの人』のはずがない。…あの人は…私が…」
「真実が知りたいかぁ?」

パニックを引き起こした僕の耳に、他に誰もいないはずの部屋の中で響く誰かの声が聞こえてきた。

「こっちだよ。此処だ、此処。そんなにビビってるんじゃねぇよ。オレだよ…オレ」

飛び起きて見回すと薄暗い部屋の中、卓上鏡の中からずるぅり…と髪の長い男が這い出してきた。

「ひぃっ!貞子…」
「ん?まだ鼠のままか、お前。さっさと元の姿に戻れ!ただでさえお前の姿はぶれて視えるのに鬱陶しい…」

暗闇の中で燦然と輝く装飾品と赤い瞳。そしてその尊大な物言いに僕はようやく鏡から這い出してきた男の正体に気づいた。

「ミラーマン?」
「やっと気づいたのか。そうだ。明け方に悪いが、あのガールとかいう娘がいない今のうちに少し話をしておこうと思ってな…」
「それはまぁ…構いませんよ」

どうやら彼はガールに対して相当苦手意識を持ってしまったようだ。さすがにもう間接技によるダメージが残っている筈はないが、節々を苦い顔で撫でているミラーマンについ苦笑してしまった。ミラーマンが咳払いと共に仕切り直して本題に入る。

「お前達…いや、お前に聞きたい事がある。お前達のその体…いったいどうやって手に入れたんだ?」
「ああ、それなら…」

僕達の以前の滞在と僕達のかりそめの体は死神さんが用意してくれたことを説明すると、大人しく聞いていたミラーマンはそこで眉をひそめた。

「…おかしいぞ。それ」
「え?」

分からないのか?とミラーマンが嘲けるように笑みを浮かべる。

「死神に『かりそめの体』が作れるのならば、死神自身が直接こっちに来て魂を回収すればいい。何故死神はそれをしない?」
「それは…」

言葉に詰まる僕に嘲笑を深めてミラーマンは来たときと同じように卓上鏡へと姿を消した。

「案外、お前達の方があの人形の娘よりよほど良いように操られてるのかもなぁ?」



…眠れなくなってしまった。
現実での出来事も多少気にはなるが、たとえこのまま目が覚めずとも…私がもうあちらに戻らないというだけだ。

あちらで死ねば魂がこの世界に直行。…ということはなんのことはない。今度は永遠に帰らないというだけで、前回と変わらないわけだ。
それまでに迷界で死ななければガールと他の住人達との仲直りを助けることは出来るだろう。最悪、私の魂を詫びとして受け取ってもらうことでグレゴリーママの怒りも静まればよいのだが。

気になるのは死神さんの事だ。ミラーマンだけではない。以前、ネコゾンビも死神さんが何か隠しているのではないかと言っていた。

だが二度目の来訪が仕組まれたものだとしたら…目的はなんだろうか。魂の回収役にするため?いや、それなら死神さんが自らこちらに来た方が早い。それに今回の僕達の目的は魂回収ではなく住人との仲直り…死神さんには何のメリットもないはずだ。

もし仮にこのかりそめの体を用意したのが死神さんでなかったとしたら、死神さんには協力者がいるということだ。

死神さんはその人物について僕達に知られたくない?もしそうならばそれは僕達の知っている人物なのだろうか。

僕達に、この世界の住人になって欲しい、誰か。

脳裏に浮かんだこの館の主人の不気味な笑い声が耳元で聞こえるような気がして僕は頭を振った。

「…ありえないな、グレゴリーさんが死神さんに協力するわけがない。さまよう魂を奪い合っているんだから」

分からないことだらけ…ひどく嫌な気分だ。

「こちらでさえ人を疑わなくては生きていけないのか…」

時計の針は5時20分を指し…夜明けはまだ来ない。



午前8時16分。
先日戻ってきた青年による…噂によると正しくはその格好をしたパブリックフォンの仕業だったらしいが…通り魔的キノコパイテロによる酷い頭痛と吐き気という二日酔い症状にここ数日悩まされていたクロックマスターは、控えめかつ出てくるまで絶対に続けてやるぞと思わせる連続したノックの音にのろのろと立ち上がり扉を開けた。

そこにはグレゴリーが一枚の紙を持って立っている。

「明日は粗大ごみの日でございます。ご不要の物などは時間までにゴミ捨て場にお出しくださいませ、ヒヒヒヒヒ…」
「…………わかった」

人の憔悴しきった顔を心底楽しそうにニヤついて見ているグレゴリーからお知らせの紙を受け取り、扉を静かに閉める。

「まったく忌々しい…」

回覧板制度でもあればいいが、あったらあったで叩き起こされるのは変わらないし…どうせ今までみたいに途中のどこかで止まってしまうだろう。

椅子に掛けてお知らせの紙をぼんやり眺めているうちに吐き気が増してきた。天井を仰いで目頭を揉んでいると、扉の開閉音がする。

「父ちゃん、大丈夫?」

お盆にリゾットを乗せたマイサンが心配そうな顔をして朝御飯を運んできてくれた。

「おお、最初より大分よくなった。ありがとう。…すまんなマイサン」
「ううん!父ちゃんのためなら、このくらいへっちゃらだよ!…あれ?それなぁに?」

クロックマスターが手にした紙の『粗大ゴミの日のお知らせ』の文字に、マイサンが目を丸くする。

「父ちゃん…まさか、あの時計のこと捨てちゃうんじゃないよね?」

あの時計、というのはマイサンがいつも修理しようとしている柱時計の事だ。そんな事は思いもしなかったが、確かにいいかもしれない。

「マイサン…確かにお前があの時計を大切にしていることは知っているが、あの時計はいくら直してももう動かん。ぜんまいの無くなった時計はもう…」
「ダメだよそんなの!父ちゃんも昔は大事にしてたじゃないか!」

驚いたマイサンが耳元で叫ぶ。痛む頭に響いて判断力の低下したクロックマスターはつい余計なことを言ってしまった。

「…しかしなぁ、わしの若い頃からあるんじゃぞ?さすがにあの時計ももう直らんじゃろう。引退させてやったらどうだ?いい加減潮時…」

バン!とテーブルを小さな両手で叩いてマイサンが俯いている。震える小さな肩。唇をぎゅっと引き結び、二つの目には今にもこぼれ落ちそうな涙が溜まっていた。

まずい、と思ったクロックマスターが声をかけようとしたその時、マイサンがホテルに響くような大声で叫ぶ。


「父ちゃんの…父ちゃんのわからず屋ーーーッッッ!!!」
「ま、待ってくれ…マイ…サン…」

飛び出していくマイサンを追いかけようにも、クロックマスターには膝をついてキーンと響く頭を押さえるだけで精一杯だった。



午前7時37分。

僕はガールと一緒に朝食を済ませた。もう結構な人数の住人と仲直りしたため、時計親子とルーレット小僧のいない時間帯ならば食堂で食事が出来る。シェフにお礼を言って食堂を後にする途中で、ガンマンが首を傾げる。

「今朝の朝飯は美味かったけどよ、なんでかキノコが続いてるよなぁ…」
「キノコのサラダにマッシュルームリゾット…確実にクロックマスターへの追い打ちをかけてるわよねぇ〜」
「ロシアンキノコ料理…ってシェフのおじちゃんいってた…」
「やーねぇ!食べるのがユーウツになってくる事言わないでよ★まぁアタシには当たらないけど♪」
「いいなぁエンジェル!」

ガールが楽しそうに笑っている。僕はそれを少し後ろから眺めていた。穏やかな気持ちだ。…賑やかな食卓というのは久しぶりだった。

今朝のミラーマンの来訪の件はガールには話していない。死神さんが何か企んでいるかもしれない、というのはまだ疑惑の段階だ。彼女にまで人を疑うことをさせるのはなんとなく嫌だった。

僕の視線に気づいたのか…それとも『さすがにもうそろそろ誰かが言わないといけない』と思ったのか…ガールが僕を振り返って口を開く。

「そういえばボーイ、それ気に入ったの?」

一時間と少し放置された僕の頭のそれが怒りでピクピクと揺れた。

「…ちがうよガール。昨日エンジェルドッグがわざわざ直にネズミ耳を生やしてくれて…元に戻してくれないんだよッッッ!!!」

指を指して非難したにも関わらず当のエンジェルドッグは吹き出す寸前まで頬を膨らませてからかってくる。

「あらでもその変装、結構役に立ちそうじゃない?耳のインパクトがある分、よほどアンタの顔をじっくり見てない奴ならバレないわよ!」
「いいよそんなの…エンジェル変身解除してよ!」

弱りきった僕の訴えに、エンジェルドッグが静かにデビルへと姿を変える。そして…背中のその小さな羽根のどこにそんな力が隠されているのかといいたくなるスピードで逃げ出した。

「うふふ☆解除して欲しかったら、アタシを捕まえてごらんなさーーーい♪」
「待ってーーーッ!!」

僕が駆け出した後ろから、しみじみとした声が聞こえた気がした。

「馴染んできたなぁ、アミーゴ」
「そうだね…」
「平和ねぇ〜」



午前7時46分。
僕は物置付近でエンジェルを見失った。よく考えなくても運勢が常に最高調のエンジェルドッグに挑んで勝てるわけがなかった。まぁそのうち彼女が飽きたらこの変身も解いてくれるだろう。…そうだと思いたい。

「…ん?」
「探しものはなんですかー見つけにくいものですか〜♪」

不意に物置の中からどこかで聞いたような歌が聞こえてきたので少しだけドアを開けて中を見てみると、審判がガラクタの詰まった箱をひっくり返して実に分かりやすく何かを探していた。…彼はいちいち何か歌いながらじゃないと行動できないのだろうか?

そこで僕はようやく、そろそろ時計親子が朝御飯を食べる頃合いだと思い至った。このまま廊下に長居するのも危険だ。やり過ごすためにしばらく物置に避難しておこう。そう思い静かに扉を開け中にいた審判に声をかける。

「審判、何してるんだい?」
「ああボーイか…昔の宿帳でもないかなーってさ…みてみて!金の時計見つけちゃった!すごいねーたぶんメッキじゃないよこれは!!」

含み笑いをしながら想定外の掘り出し物を見せびらかす審判の手の中では壊れた古い金の懐中時計がキラリと輝いた。さすがに本物は輝きがちがう。ツッコミをいれてはいけない金メッキ発言を流して僕は尋ねた。

「昔の宿帳?そんな物を探してどうするんだい」
「ところでボーイ。その耳気に入ったのかい?」
「…質問に質問で返すんじゃあないよ審判…」

せっかく忘れようとしていた耳の件に触れられ周囲の景色が赤く照らされ始めた時、慌てて審判が探し物の経緯を説明をした。

「いやあのね!実はボク『最初の宿泊客』を探してるんだ!ただね…グレゴリーどころかネコゾンビですら忘れちゃってるみたいで…天秤がないからジャッジは出来ないし。昔の宿帳になら名前があるかとも思ったんだけど…」

確かにロストドールとの仲直りがあったため、彼の吊り椅子と天秤の修理はまだ終わっていない。まぁあと一日くらいあれば出来上がるだろうが、審判はゆっくりでいいと言ってくれている。余程訓練をサボりたいのかそれとも別に理由があるのかはよく分からない…。

「成る程そういう事か…確かにグレゴリーさんがちゃんと保管してるとは思えないよねぇ」
「そうそう。手始めにここからと思ったんだけどガラクタばっかりさ!」

肩をすくめる審判に見回すと確かに物置にはありとあらゆる物が散乱している。割れた鏡、古びた人形、すきま風の吹くあの板壁ですら前回訪れた時のまま放置だ。唯一綺麗なのはマイサンが修理している柱時計の回りやグラビアの貼ってある机の回りだけ…これは骨が折れるだろう。

「それなら僕も避難がてら手伝うよ。修理に時間がかかってるのは僕にも責任がある」
「ああ…別にいいんだよ!皆と仲直りした後でゆっくり直してくれたら…」

半ば心ここにあらずといった感じで審判が念を押してくる。
疑問がひとつ確信に変わった。『天秤がない審判には僕の心や選択は読めない』という事だ。もし天秤がなくても抱えている選択が分かるなら今の私の現状や僕が魂をグレゴリーママに渡そうとしていることに何らかのアクションをしてくるはず。

これなら大丈夫だ。彼は居心地が悪い思いをしなくて済むし、またガールやネコゾンビを泣かせなくて済む。
まぁ僕の最期までには修理は終わらせておこう。

「そっか…審判。僕からも君に頼みがあるんだ。ガールやネコゾンビには僕の考えてる事を内緒にして欲しいんだよ。グレゴリーママと仲直りするまででいいから」
「?うん」
「よかった、ありがとう審判」




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