リターンズ2

□60.5
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それは準備を始めていた。
終わりを迎えるための準備を。
ただひたすら、淡々と…。


「そういや明日休みでしょう?この後どうですか一杯」

タイムカードを押し会社を後にしようとした時、不意に新しい同僚達からそんな声をかけられた。残念そうに見えるように作った苦笑を顔に浮かべ首を横に振る。

「すいませんが…ご遠慮します。実はつい先日引っ越ししたばかりなんですよ。それでまだ荷解きが手付かずで…」
「へぇ、どの辺に引っ越したんだい?」

私が町名を答えると二人はさっと顔色を変えた。

「…こんなこと言いたくはないが…もう引っ越しちまった後なら気をつけた方がいい。最近、その辺りは治安があまりよくないって噂だぜ」
「うーん…若い女の子じゃありませんからきっと大丈夫ですよ」

そう返すと私より5つも年若い先輩が真剣な顔で訴えてくる。

「違いますよ!逆に男の方が危ないんです!!」
「え?」

不思議に思い首をかしげるとベテランの先輩が重々しい口を開いた。

「若い奴等がな…金目当てにナイフやら鉄パイプやらで襲ってくるんだと。あれだよあれ…親父狩り」
「違いますよ黄金バットですよ!黄金バット!黄金バットが出るんですよ」

親父狩りという物騒な単語とともに聞かされたなんとも耳に懐かしい単語に私の頭に再び疑問符がひしめく。

「黄金バット?こうもりだーけが知っているーってあの?紙芝居の」
「お前はまたそんな事言ってるのか!だからそんな奴がいるわきゃねーだろ!」
「だって目撃証言もあるんですよ!」
「ああ、バットを持った親父狩りもいるんですね」

騒がしくなった事務所の一角に夜勤の人達からの冷たい視線が集まってくる。あまり注目を浴びたくない私はさっさと退散することにした。

「そうでしたか…気をつけます。ご忠告どうもありがとうございます。それじゃあ、さようなら」

工具箱の入った鞄を持って玄関から去っていく人影を、慌てた声が追いかけるが足早に去り行く彼の耳にまでは届かなかった。

「あ、ちょっと!違うんですよ!バットを持った親父狩りじゃなくてー!!あー…行っちゃった………なんかあの人、変ですよね。愛想はいいのに冷たい感じがするってゆーか…」
「ま、変わった奴だが腕がいいのは確かだ。…欲を言えばもうちょっと打ち解けてくれりゃもっといいんだがな」

男達は軽いため息をついた後、再び今晩の晩酌に付き合う人間を探し始めた。




新しいアパートへと帰る途中。
帰り道にある公衆電話で私はとある人物に電話をかけた。数回のコール音のあとで電話に出た人物にこちらの名前を告げると、受話器ごしに相手が息を飲むのが分かる。

「やあ…久し振り。ごめんね。公衆電話じゃないと出てくれないと思ったから…」
「………何の用かしら…今更」
「僕は彼女の連絡先、知らないからさ。…あの子は…元気にしてるかな」

数秒間の沈黙の後で彼女は意を決したような固い声で答えた。

「………ええ。でもあの子には………あなたのことは…もう、」
「父親は、死んだってことになってる?」
「………」

言葉を引き継ぐように想定内の予想を口にしてみる。帰ってきた沈黙はそのまま肯定を表しているのだろう。
私は淡々と言葉を紡ぐ。

「うん。それならいいんだ。彼女達にも君にも迷惑がかからないようになっているのなら。僕はそれでいい」
「!…変なこと考えないでね」
「勿論。ただちょっと…僕も近々引っ越すかもしれないんだ。だから最後に…声が聞きたかったのかもしれない。今さら遅すぎる話だけれど…」
「………そう」

嘘をついた。我ながら最低だ。

心残りなのは彼女達のことだけ。それも真剣に彼女達の行方を調べようと思えばいくらでも見つけることは出来るだろう。
にもかかわらず、あの人に電話する辺り僕は卑怯者だ。もうあの時の関係者には誰一人…会わせる顔など持ってない。まして彼女には…。

口の中に苦いモノがせりあがってきそうで私は受話器に向かって呟いた。

「じゃあ、切るよ。ありがとう。電話を切らないでいてくれて…」
「…ごめんなさい…」

終話を知らせる音が聞こえてくる間際に耳に滑り込んできた声に苦笑する。

「君が謝ることなんか何もないじゃないか…」


あの人と話をしたことで大学時代の懐かしい思い出が脳裏に蘇ってきた。郷愁と後悔が胸を締め付ける。罪悪感に気をとられ地面に視線を落として歩いていた私は気がつかなかった。

後ろから駆け寄ってきた足音。
違和感を感じて振り返るより先に右側頭部に加えられた強烈な打撃。

脳を揺らすほどの衝撃によろめいた私は倒れながらも自分に襲いかかってきたモノの正体を確認していた。

明らかに素行が悪そうな格好をした若い男が一人、鉄パイプを持って立っている。

右側頭部にぬるりとした感触を感じた。血が出てるらしい。キャサリンが居なくて良かったが、まさかこっちでも誰かから襲われるとは全くもってツイていない。

男が再び振りかぶった鉄パイプが自分の頭めがけて降り下ろされるのを僕はぼんやりと眺めていた。

「ああ、でも…自分から『引っ越す』までもなかったか」

ようやく訪れた幕引きに僕は目を伏せる。やがて骨が殴られたガツッという鈍い音がして悲鳴が闇夜に響く。

…そして僕は『まったく何の痛みも感じない』という疑問に目を開けた。

目の前には、先ほどまで鉄パイプを持って襲いかかってきていた親父狩りが転がっている。彼は持っていた武器を取り落として腕を押さえて呻いていた。
そしてその近くには少し細めの金属バットのようなモノを片手にぶら下げ覆面をした一人の男が立っている。親父狩りの落とした鉄パイプを遠くに蹴りやって男は静かに呟いた。

「知ってるか?殴られるとくそイテェんだよ」

…状況が飲み込めない。
私を襲ってきた親父狩りはどこからか現れた謎の男の強襲に逆に痛めつけられたようだ。だが、この男はいったい何者なんだ?
襲われた私と殴られた男が目の前に転がっているのに男は一人冷静、というよりもただただ自分の話を続けていた。

「まぁもちろん知ってるよな。誰かを鉄パイプで殴るってことはよ、テメーが逆にぶん殴られて最悪殺される覚悟はしてあるってことだろ?お前」

左手にぶら下げたバットのグリップに軽く右手を乗せ、金色の髪の隙間から黒い瞳がこちらを見下ろしている。

「じゃなきゃ失せろ」
「ひッ…ひぃいいッ!!」

有無を言わさぬ威圧に親父狩りが逃げ去って行った。

金髪、金属バット。
もしかして先輩が言っていた『黄金バット』というのはこの事だったのだろうか。親父狩り狩りの通り魔。

殴られた衝撃でいまだに立つことも出来ない僕に男が歩み寄ってくる。助けてもらったお礼を言おうと口を開いた僕は言葉を失った。

オヤジ狩り狩りの顔を隠す覆面…見覚えのある赤いハンカチ。

驚きのあまり何も言えないでいる私に男が声をかけてきた。

「おい生きてるか、アンタ」



聞き覚えがあった。
忘れもしない声だ。

まぎれもない…五年前…
私が殺してしまった…男の声だった。



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