リターンズ2

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現実と迷界での奇妙な二重生活。
目覚めれば夢だったのかとすら思う幻は確実に僕を…僕の運命を変えはじめていた。
ほんの少しずつ。



「…まさか夕飯があんなゲテモノ尽くしだったとは。うぅ、思い出すだけで吐き気が…」

皆と別れ、あちらで眠ろうとした直前怒りとともにあちらの自室に来襲したシェフの用意した昨晩のとんでもない食事に思いを馳せ、パブリックフォンを逃がしてしまったのは失敗だったかも…などと夢の世界での出来事の愚痴を吐きながら、家を目指す。

迷界で住人になった『ボーイ』としての苦悩(主に食事面)について考え込んでいた僕は、突然背後から声をかけられるまでまるでその存在に気がつかなかった。

「あの…先輩!」

聞き覚えのある声に、ギシリと音を立てて歩みが止まる。とっさに手にした鞄に視線を走らせたが…そこにあるはずの凶器を今朝自分で家に置いてきたことを…そして『今朝決めたこと』を思いだした私は…ゆっくりと振り返った。

「…やぁ、久しぶりだね。まさかこんなタイミングで会うとは」

作り慣れた笑顔を貼り付けて振り返った先には、懐かしい以前の職場の後輩の姿があった。

…昨日まで、必ずこの手で殺してやろうと思っていた男の姿が。

「立ち話もなんだから、お茶でもどうだい?」

そういって踵を返して近くの喫茶店へと足を向けると、後輩はわずかな逡巡の末に後をついてきた。



「そういえば…いきなり君に後任を押しつけてすまなかったな。プロジェクトはその後進んでるかい?」

俯いたままの男は運ばれてきた珈琲にも口すらつけず、絞り出すような声で呟く。

「実は…わたし、あの会社を辞めようと思っているんです…」
「何故?全ての責任は私が背負ったんだ。今さらお前が辞める理由などないだろう…プロジェクトを潰す気か?理由を言え。私を納得させるだけの理由を」

ごくりと唾を飲み込み、覚悟を決めたのか男は切り出した。

「………あの『事故』はッ…本当は、貴方のせいじゃないんです………私が、設計図を書き換えたんです!!」


「そんなことは知っていたよ」


「…え?」
「書きかけの設計図に触れられる立場にいた人物は、ごく限られていたからな」

喉を潤した珈琲が薫りだけを残し乾いていく。くっくっと乾いた笑いだけが喉を這い上がってきた。張りつけた作り笑いが崩れていくのが自分でも分かる。

嗚呼ダメだ。これ以上は…沸き上がる哄笑を抑えられそうにない。

私は阿呆のようにこちらを凝視する男に声をひそめて囁いた。

「お前があの時、部品会社から賄賂を受け取って部品の大きさを変えたのも…その金で娘の腎臓移植をしたことも…全部『知って』いた。そういえば娘さん、2週間前にようやく退院できたんだって?おめでとう。よかったじゃないか」
「!…どうしてそれを…」

青ざめる男に私は今度こそ嘲りを隠さずに、鞄の中から『あるモノ』を取り出した。

「ちょっとしたきっかけがあって…隠れて聞き耳をたてるのが上手くなったんでね?5年の間に変わったのはお前だけじゃない。まぁ変わらない奴等もいるがな。賄賂に横領、献金と…ついでに相変わらずの隠蔽体質のようだがどいつもこいつも詰めが甘い。こっちはオマケだ。ほら、これなんて見ろよ…傑作だろう?専務と社長は同じホステスに入れあげてるんだ。ハハハッ入り婿の分際が…社長夫人がみたら何て言うだろうな?」

バラバラと写真をテーブルに積み上げてやると後輩は椅子の上で後ずさった。写真の束の中に『自分の娘の退院』の写真を見つけ、ハッとした様子で顔を上げる。

その顔にはありありと隠しようのない『恐怖』が浮かんでいた。…こんなことで震え上がるなんて、情けない奴だ。

男が再び唾を飲み込み、躊躇いがちに口を開く。

「な、なんでこんな…」
「今さらあり得ないと思ったか?もう5年も前の復讐なんて…待ってたんだよ。私と『あの人』が失ったモノ全てを清算出来る日が来るのを。ようやく皆…幸せになれただろう?あの日までの私達のように」

息を詰め今にも悲鳴でもあげそうな男の顔を充分に眺めたところで、僕は苦笑とともにため息を吐き出した。

「………と、昨日までは思っていたんだが。止めた。」
「え…?」

豆鉄砲を食らったような顔で呆然とする後輩を放って私は再び珈琲に口をつける。ふいと窓の外に目を向けると、夕闇が迫っていた。…ここも向こうも、暗闇だけは同じだ。人の心を押し潰すような暗さだけは。

「…正直、それどころじゃなくなったというのが大きいが………まだこんな僕のために泣いてくれる女の子がいたんだ。心配してくれる友達も。一緒にポーカーをしようと約束をした人も…。だから止めたんだ。これ以上誰かを悲しませるようなことは…罪を重ねるのは。…進みたいんだよ。彼女のように…光の方へと」

そう言って席を立つとガツンと大きな音がした。見下ろすと、大の大人が両目から涙をぼろぼろとこぼし、テーブルに突っ伏すように項垂れていた。迷惑な奴だという客観的な感想以外、特に何の感情もわかなかった。

「…わたしは…貴方に殺されても仕方ない人間ですッ…!!」

絞り出すように告げられた言葉に、ようやく私は理解した。

そうか…こいつは今日、私に殺されるためにきたのか、と。
私と同じように罪の重さに耐えかねて、娘の退院を期に私に真実を告げ…いずれは死ぬつもりだったか。
だから、もはや無関係の人間の私をわざわざ訪ね、プロジェクトリーダーも会社も辞めると…。

「…だったら尚更、現実から逃げるな」

自殺志願者を冷めた目で一瞥すると私は許しを乞うように下げられた頭上に吐き捨てた。

「もう二度と私の目の前に現れるな。自分の命を大事にしろ。まだお前にはあるだろう。守らなくちゃいけない家族が。潰してはいけないプロジェクトが。…それがお前が一生かけてあの人と私に償う…唯一の方法だ」

伝票を抜き取ると私は号泣する男をその場に残し席を後にした。会計へと進みかけて一度振り返る。

「そこの写真は君にあげよう。僕にはもう必要ない。それにもう…それどころじゃないんでね」

外に出ると、辺りはもはやすっかりと暗くなっていた。足元に視線を落として歩き出す。今度こそ家路へと急ぎながら僕は呟いた。

「…ここの珈琲…美味しかったけど向こうで飲んだらシェフに睨まれるだろうか…?」


本当は現実から逃げているのは私の方かもしれない。だがそれでも今日、僕は一つの選択をしたのだ。

あの事件の真犯人を、形だけでも許すということを。

胸が痛い。頭の中ではもう一人の私が血の復讐を求めて叫び声をあげていた。

どんなことをしても、私が失ったモノは戻らない。死んだ者は生き返らない。復讐を望む者も喜ぶ者もいない。だが一方で罪人どもがのうのうと生きているのかと思うだけで、虫酸が走る。


その時、脳裏に浮かんできたのは臆病者の銃士の言葉だった。

『…いつか許してやれ。アンタの過去も、これから幸せになろうとするお前さん自身も含めてな』

僕は右手を見つめて微笑む。

「…いつか、すべてを許せる日が来るのかい?そんな日が」

右手の拳を握りしめて、私は冷笑する。

「…訪れることなど、ないよ」

全ての罪人が許されないとは言わない。だが、そこに私自身が含まれてはならない。決して…。


家にたどり着くと玄関の扉に赤いペンキがぶちまけられていた。

ヒトゴロシ、と書かれた扉を開けて部屋の中に入る。またぞろ英雄気取りの暇人がやらかしてくれたらしい。敷金が台無しだ。

「…また引っ越ししなきゃなぁ…」

それにしても、と苦笑が溢れた。


「英雄気取りが迂闊に私に近づくと死ぬかもしれないぞ?」

人の心を押し潰す夜の闇が、一日くらいは大家の目を誤魔化してくれることを期待して僕はベッドに倒れこんだ。


「…あの珈琲、持ち込んだら怒られるかなぁ…」




後日、不動産屋のチラシを探して新聞を開いた僕の目に以前勤めていた会社の名前が飛び込んできた。

『役員の相次ぐ不祥事、社長が引責辞任。新社長に元社長夫人か』

どこかで見たような写真に、僕は口の端をゆっくりと釣り上げた。

「そうか…これがお前の、けじめの付け方か」


ほんの少し…ほんの少しだけ自分の足が進んだ実感を持ちながら、私は新しい家を探すのを再開した。


現実の家というのもなかなか悪くないと思いながら。
欲をいうならば、美味い珈琲を出す喫茶店が近くにあれば尚更だ。




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