鬼灯の冷徹
□カカオトラップ
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ぐるぐると白澤が鍋で掻き混ぜているのは、いつもの生薬ではなく、甘い匂いを振り撒く光沢のある茶色い液体だ。
匙を持ち上げ、とろりと流れ落ちる様に唇の端を上げる。
「白澤様、何を作ってるんですか?」
店の扉を開けた桃太郎が、充満する甘い匂いに眉を寄せた。
「ん? 見てわからない? チョコレートだよ」
「あー、いや、チョコはわかるんですが、何の為に?」
「もうすぐバレンタインデーでしょ。女の子達に頼まれたんだよねー」
「……それって現世の菓子メーカーの策略……」
今は逆チョコが流行してて、カロリーを気にしなくていいチョコが食べたいとせがまれたらしい。
可愛い女の子達の頼みなら白澤が断るワケなど無く。
こうしてせっせとチョコレートを作っているのだ。
「脂肪分も糖類も抑えてあるけど、生チョコみたいに濃厚で甘いんだよ」
味見してみる? と小皿に垂らしたチョコレートを手渡された。
桃太郎は温かいチョコレートを指で掬い、スン、と先ずは匂いを嗅いだ。
「大丈夫だってば」
クスリと笑う白澤に、甘いチョコレートの匂いしかしないソレを口に含んだ。
「……ッ!」
「ね、美味しいでしょ?」
もしかしたら、もしかすると。
妙な生薬でも入れておかしな効果−−いやいや、苦いとか変な味がするのではないかと思ったのだが。
舌に纏わり付くのは控えめな甘さで、生クリームを使用したかのような重量感もあるのにしつこくない。
「……白澤様って器用なんですねぇ」
「医食同源ってね。食にも通じてないと、今の世の中モテないよ」
(……生粋の女好きだな)
それ以外は本当に尊敬に値する人−−いや、神獣なのに。
もしかしたら、神獣だからこそ、残念なところがあるのではないかと、桃太郎は楽しそうにチョコレートを冷やし固める白澤を見るのだった。
***
バレンタインデー当日。
衆合地獄の妲己とお香の元にチョコレートを届けに来た白澤と桃太郎は、目の前に広がる光景に頬を引き攣らせた。
「……何これ……」
「新手の祭……?」
飛び交う黒い物体と菱形の何か。
柱に括り付けられた亡者に投げ付ける者と、投げつけられて嬉しそうにしている者と。
一体何をしているのか、さっぱり検討もつかない。
「−−いたっ!」
流れ弾が桃太郎の額に直撃した。
反動で手元に飛んで来たその物体を受け止めて、白澤は「カカオ?」と眉を寄せる。
「あー、桃太郎だー」
「シロ、柿助、ルリオー」
カカオの実を啣えたシロと、うっかり食べてしまわないようにと取り上げようとする柿助とルリオがカオスの輪から飛び出して来た。
「桃太郎もバレンタインの行事に参加しに来たの?」
「バレンタインの行事?」
「これのどこがバレンタインなんだよ?」
首を傾げる二人に、三匹はこの節分とバレンタインを掛け合わせた斬新且つ合理的な行事を説明する。
「ぶつけられてる鬼は全員ドMなのかと思った」
「まぁ、一部にはいるみたいだけどね」
嬉々として投げ付けて欲しいと女性を追い掛けている獄卒の姿も、ちらほらと見えなくもない。
「つーか、現世の行事に踊らされ過ぎじゃない? 此処、あの世なのに」
(あんたが言うか、それ)
いそいそとチョコレートを作っている姿は、現世で想いを寄せる異性に手作りしている女の子の姿そのものだったのに。
ちらりと視線を動かせば、高みの見物をしているこの行事の発案者が、嗾(けしか)ける様に手を叩いていた。
「……この大量のカカオ豆、どうするんだろう」
シロの口からカカオを取り上げ、亡者に投げ付けられたカカオ豆が桃太郎の頭に当たって転がって行く。
黒い豆だけあって、色々な念が込められていそうだ。
「鬼灯様ーっ!」
「遊ばれても良いーっ!」
「受け取ってーっ!」
明らかに異なる声が聞こえてそちらに顔を向ければ、普段は閻魔大王が着く席からこの行事を眺めていた鬼灯に、次々と可愛らしく包装された箱が玉入れの様に投げられていた。
「うわっ、鬼灯さん大人気だなぁっ!」
「……つか、なんで豆投げないんだよ」
別に自分に向かって豆を投げてくれる女の子がいないからとか。
チョコレートをくれる女の子がいないからとか。
決して嫉妬とかそんなものではなく。
ただただ、澄ました顔をした鬼灯に投げ付けてやりたくなった。
(乱闘騒ぎみたいになってんだから、全力で投げたって気付かないだろ)
何度も言うが、不特定多数と火遊びをするのが白澤のポリシーであって、あの鬼灯が羨ましいとか、そんな事は断じてない。
丁度良い事に、自分の手にはカカオの実があるではないか。
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