□ある昼休みの戯言
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 まだ、6月だというのにこの暑さ。
 蝉が命を削りながら狂ったように鳴き続け、空は憎たらしいほどに雲ひとつないスカイブルー。
 午前中のみの課外学習をやっと終えたオイラ達は、この暑さから逃れるべく屋上の北側の日陰で時間を潰していた。


 とっくの昔に温くなっていた登校中に買った紙パックのオレンジジュースで喉を潤す。
 熱を帯びた空気がゆっくりと世界に沈殿していくようだった。
「なぁデイダラ」
「…んー?何、旦那?」
 フェンスに凭れかかりながらふいに旦那が言う。
「『幸せ』って何なんだろうな」
随分と唐突に出されたその問いは、哲学的で抽象的で、言ってみれば全く旦那の意図が読めないものだった。
 なんと答えていいか分からないで黙っているオイラの様子を見て苦笑した旦那は、これは人から聞いた話だと前置きしてから言った。
「人間ってさ、皆が皆『幸せ』になると、滅びるんだとよ」
 人類が皆幸せでいられる世界か。それは理想郷だ。いつの時代の指導者もそれを目指して奮闘してきた。結局、そんなものは神話の世界にしか存在しないのだけれど。
「まぁ…考えてみれば当たり前のことだよな。全ての人間が満ち足りていて、『幸せ』なら、その時点で人は『進化』することをやめる。…待ち受けているのは『退化』と『滅亡』のみだ。…まあ要は、完璧な『幸せ』なんてものは存在できないし、つまり結局人類は必要な犠牲の上でしか生きることはできないってことだろーな」
 そう言って皮肉げに笑う旦那。そんな旦那を可愛いなぁとか関係ないことを考えつつ、とりあえず素直な感想を述べてみた。
「…なんつーか、とりあえず人間って醜いなぁ。うん」
「俺もそう思う」
 あっさりと旦那はそう言ってのけて、ペットボトルのお茶を飲んだ。
再び、じんわりと熱を帯びた沈黙が広がりだす。何となくそれが嫌で、オイラは話を続けようとする。
「っていうか旦那、そんなこと誰から聞いたんだ?」
「…世界史の先公の受け売り」
「…へぇ。オイラ、世界史はほとんどサボってるから世界史の担当が誰なのかも分かんないんだけど、うん」
 そう言って頬を掻きながら笑って見せれば、はぁ、と深い溜息をついて旦那は言う。
「…お前このままじゃ本当に留年だぞ。全然単位足りてねぇだろ」
「大丈夫、大丈夫。どうにかなるって」
 断言し、ひらひらと手を振りながらパックのジュースをストローで飲む。
「…その根拠のない自信はどこから湧いてくるんだよ…」
 呆れたように空を仰いだその横顔を、ちらりと横目で盗み見る。そして、言った。
「あのさ、旦那」
「…なんだよ」
「さっきの、幸せとか人間とかがどうのこうのっていう話なんだけど」
 ああ、と曖昧に返事をしてそれがどうしたのかと問うようにオイラの方を見る旦那。
その、赤の強い明るいブラウンの瞳をじっと見つめて続ける。
「本当の『幸せ』が何なのかも、人類の未来がどうなるのかも、オイラには分かんないし、興味ないけどさ」
 少し戸惑いがちに、でも目を逸らさないでいてくれる旦那の、オイラよりも体温低めなその手を握って囁いた。


「オイラは、旦那が隣にいてくれればそれでいいから」
 






(御託はどうでもいい。この手を離さないことが最優先。)



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