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□終演アナウンス
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いつか一緒にどこか遠くまで行こうよ。と言われ、生来真面目な私が思わず首を縦に振った為にその無茶な約束を成立させてしまったのであった。
『という訳で覚えていますか、あの約束を。』
彼に問い掛ければ、僅かに目を開いて、
『約束は約束さ。直ぐに変わるんだよ。』
と掠れた声で答えた。ひゅーひゅーと唇から息が漏れる音がしてその匂いはなんとも血生臭かった。
『結局、一人で行くのですね。』
彼の目元が笑った気がする。心の臓の上に手を置けば、それはまだ動いていた、今は、まだ。
そう。この男は昔から適当な嘘を癖の様についた。
この嘘つきを殺したい衝動に駆られたが、私が殺すよりも早く彼の命が彼を止めるのである。
彼ほどに思うままにならない人間を私は他に知り得なかった。
風が頬を切るようだった。もう冬なのだ。
冷たい月夜に二人で酒を飲んだのは、雪玉をぶつけられて年甲斐もなくやり返しをして二人で風邪をひいたのは、いつの冬だったのだろうか。今は何回目の冬なのだろうか。
今年の冬も今までの冬も、それはもう、遠い場所に思えた。
彼の手が心の臓の上に置かれた私の手に被さる。かさかさに乾燥して冷たい手だった。
殺せない変わりに看取らせてはくれるらしい。変な所で優しい男だと思う。
『昆。』
一人で行こうとする馬鹿で優しい男を遠い昔の呼び名で呼ぶ。彼の目元がまた少し笑った気がした。
思えば、彼は私の人生に剥がれにくい蔦の様に絡み付いていた。蔦はここで、途切れる、私は漸く彼から解放されるのだ。
『昆。』
震える身体は、きっと冷たすぎる風のせいなのだ。
終演アナウンス