03/29の日記

08:05
63巻感想C
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ダラダラと続いた感想も今回でようやく終わりです。もうすぐ64巻が発売(4/4)されるらしいですし…早く終わらせないと(^-^;

しかし、こんなに長くなるとは自分でも全く思ってませんでした(>_<)滝汗
(この下には63巻のネタバレありま〜す)









Bからの続き…

オビトのようにかけがえのない人(愛する人や子供)を事故や事件で亡くしてしまう人は実際にいます。
なかには無惨にも殺されてしまう場合すらあります。日々のニュースなどで私達は悲惨な事件を知ることがありますよね。
被害に合われた方の家族や恋人の、苦しみや歎きの深さは想像も出来ない程だと思います。

しかし、苦しみ抜いた人の中には「自分と同じ苦しみを味わう人がもう二度と出ないように…」と考えその為に活動される方もいます。

私はそういった人達が犯人への復讐に生きるのでなく、そのように行動されるのは、
無惨に殺された自分の愛する人が、どうしたら一番報われるのか、一番喜んでくれるかという発想が出来るからなのでないかと思います。
そのように思い行動が出来るのは、その人が今まで経験してきた様々な出来事、
特に他人からもらった優しさ、思いやり、暖かさが大きかったからだと思うのです。

また世の中には全く逆に、自分さえよければいいという考え方の人もいます。
少し前ですが、癌だと診断された患者が、同じ病院に入院している人を刺して自殺するという事件がありました。
自分一人死ぬのは寂しいからという理由だったようです。もちろん重い病気に混乱しての犯行であったかもしれません。
それでも、どうせ自分が死ぬのなら他人がどうなっても構わない、と犯人が思っていたように私はこのニュースを聞いて感じました。

相手の気持ちになって考えよう、ということは小学校とかでもよく言われることだと思いますが、
実際に自分の気持ちと同じように他人の気持ちを考えることはなかなか難しいことだと思います。

それが出来る人というのは、自分の気持ちを誰かに親身に考えてもらった経験が過去に何度かある人なんじゃないかと思います。
逆に親身に考えてくれる人が周りにいなかった人に「相手の身になって考えろ」と言ってもすぐには難しいと思います。



さて…
「NARUTOについて考えてみた1」を読んでくれた方ならご存じかと思うのですが
私は岸本先生がNARUTOを描かれているとき、10年程前に起こった「NYテロ」と
それから始まったテロとの戦いについて先生が考えられたことがNARUTOの中に盛り込まれている…と思っていたりします。
(あえて描こうとなさっているとまでは思っていませんが、影響は受けられていると思っています。
というか、あの事件を目の当たりにしたほとんどの大人が何かしら思想的に影響を受けたと思います)

この同時多発テロがあったのは2000年なんですが、2年後の2002年にも日本中を揺るがす大事件が発覚しました。
「北朝鮮の日本人拉致事件」です。
それまで北朝鮮という国は、あまり知らない国だったのですが、
それから数年、テレビで北朝鮮のニュースが取り上げられない日はないというぐらい毎日北朝鮮のニュースばかりになりました。
(この北朝鮮の事件も日本人に多大な影響を与えたと思います)
その頃、北朝鮮の映像をたくさん見た訳ですが、
その中の一つに非常にショッキングな映像があったのです。

その映像は北朝鮮のある男性が国の現状を世界に知って欲しいと、決死の覚悟でビデオに隠し撮りし、日本人記者にひそかに渡したビデオの一場面でした。


…その映像は、石ころだらけの道のようなところから始まりました。そこに、ボロボロの服を着てやせ細った子供達が数人います。
それは路上生活をしている北朝鮮の子供達でした。追いかけっこをしたりして遊んでいる子もいます。
しばらくして、遊んでいる子の後ろでぼんやりと座り込んでいた一人の子供が、栄養失調の為か生き倒れのようになり倒れて動かなくなります。
しかし、周りの子供達が倒れた少年を気にかける様子は全くありません。
それどころかしばらく後、倒れた子供の背中の上に、遊んでいた子供がドスンと腰かけたのです。
子供はよくそういうことをしますが、遊びでやっているわけではなく、まるでイスだと思っているかのような様子です。
腰掛けた子が倒れた子を気にかける様子は一切ありませんでした。

私はその映像を見てしばらく声が出ませんでした。寒い時期だったので倒れた子の背中は多少暖かかったのでしょう…
その子は暖かいという理由でソコに座ったのです。それ以外の理由は無いようでした。

しばらく後、なんとも言えない悲しみがこみあげてきて、涙が止まらくなりました。

風影奪還の章で、死んだ我愛羅の上にデイダラが座っていましたね。
こんなこと言ったら我愛羅ファン失格かもですが、少なくともあの時我愛羅は死んでいました…
それにデイダラにとって我愛羅は敵でした。

映像に続きはなかったけれど、朦朧とした表情をしている座られた子供は、恐らく数時間と命が持たなかったと思います。

座られた子はもちろん、座った子もあまりにもかわいそうで、辛くてたまりませんでした。

座った子だって他人からそういう扱いしか受けたことがないのでしょう。
この子供達にとって、死とは慣れっこの現実でしかないのです。
明日は我が身であるし、例え自分が死んでも誰も何も思わないとわかっているのでしょう。

人間は人として生まれてくるんじゃない。育ててもらってようやく人になれるんだ…
そんなふうに思いました。他人に大事にしてもらったことのない子が、他人を大事に出来るわけがないのです。
優しくしてもらったことの無い子が誰かに優しく出来るわけがない。

この映像は思い出すだけで今でも辛くてたまりません。北朝鮮はまるでこの世の地獄のようだと思いました。
無限月読がかけられるなら、北朝鮮の子供達にかけて上げたいです。
あの国の子供達を本当になんとかして上げたいです…


…日本という国に多少の不平や不満はあるけれど
日本に生まれてこれて、たくさんの小さな優しさに出会うことが出来、本当に私は幸せだと思っています。



さて…ダラダラと続けてしまった感想ですが、いい加減終わろうと思います。
長々と書いてきて、一体何が言いたかったかというと

オビトのように愛情や優しさをたくさんもらって育った人は、愛する人を失うという堪えられないような悲しみにであってしまった時も
「自分と同じような苦しみを人に味合わせたくない」と思ってくれると思うのです。
そう思うまでには長い時間がかかることでしょう。でも、同じ苦しみを誰かに味あわせることを、あの少年時代のオビトなら絶対にしないと思います。

それに自分が世間に対して復讐のようなことをしたら、誰よりもリンが悲しむ…オビトなら必ずそう思うと思うのです。
九尾事件のことをリンが知ったら、いったいどれほど苦しみ悲しむでしょうか?しかも自分の死がその原因になっているだなんて…
他人の気持ちをちゃんと想像出来るオビトなら、リンの気持ちを一番に考えないはずがないのです。
(それでも、例えば月の目計画を実行すれば本物のリンが本当に生き返るとか、
リンを生き返したければ言うことを聞け、みたいにマダラに脅されている
とかなら、オビトが他人の大切な人を犠牲にする可能性が少しはあると思います。
しかし、そうではなく、オビトはリンが生きていると錯覚出来る、幻の世界を手に入れる為に
既に他人を何百人、何千人と犠牲にしているのです。
それではただの自分勝手で独りよがりな極悪犯罪者じゃないでしょうか?)

…私はオビトは「月の眼計画」にのるような子では絶対ないと思っています。
(のらないと話は始まらないのですけどねf^_^;)
オビトは自分の為に錯覚の世界を作ったり、自分の為に誰かに自分と同じ苦しみを与えたりしない…
復讐に生きようとしたりしない…と本気で確信しています。

そしてとても辛く思うことは、もし今までのオビトの罪深い行いを死んだリンが知ったら、リンはオビトを憎みかねない…と思うことです。
オビトは人の気持ちが想像出来る人だから、もしそこに思い至ったら…もうそれ以上生きていられると思えません。
オビトにとってリンは世界よりも大切な人なのですから…

オビトにとってあまりにも救いようのない状態であり展開であることが、本当に切なくて辛いです。




…以上が私の言いたかったことです。長々ダラダラと言いたい放題書きちらかしました(__;)
でも、言いたいこと全て書いたらめっちゃスッキリしました(*^_^*)愚痴愚痴ダラダラと本当にすみません!


こんなにダラダラと批判っぽく書いてしまったけれど、NARUTOのこれからの展開がめっちゃ楽しみです♪
ともかく、早く五影も助けて上げて欲しいしー(>_<)

いろいろ気になるし楽しみだけど、これからはなるべくネタバレをしないように気をつけようと思います。
もうこの後のNARUTOも2つくらいネタバレしてしまいましたけどね…(T-T)
ここまで読んで下さった方、ありがとうございました!本当に長くなってしまいすみませんでした!

お疲れ様でした(≧∇≦)/〜♪♪♪

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