01/23の日記

00:13
63巻感想B
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(63巻感想Aからの続き。ネタバレとかありますから気をつけて下さいね〜!)








もしオビトが、長門のような過去の持ち主だったら納得出来たと思います。

長門は父母を幼い頃に、非常に痛ましい事件によってなくしました。
(この直後に長門が輪廻眼を開眼?したことから考えて、これら全てもマダラが仕組んだことなんですかね?
そういうことオビトは知ってたと思うのですが、リンのこともマダラが仕組んだんじゃないかと思ったりしなかったのかな…ごにょごにょ)

長門はその後、弥彦、小南と出会い三人で暮らし始めます。長門にとってこの二人はかけがえのない仲間であり家族になります。
自来也先生との出会いも長門にとっては大きな出来事だったはずです。信頼出来る大人に出会えたことは本当によかったと思います。

しかし、その後長門のたった二人の大切な友達のうちの一人、弥彦が殺されてしまいます。
弥彦は小南の恋人でもありました。(私はあの時人質になっていた小南の気持ちを考えると辛くてたまらなくなります)

長門にとってこの二人の存在は、オビトにとってのリンとカカシの存在に劣らない、
いや、長門の世界は非常に狭かったと思うので、それ以上に大きな存在であったはずです。
長門の故郷である雨隠れの里も、長門にとって幼い頃から暖かく安全な場所ではありませんでした。
戦乱に継ぐ戦乱…怯えながらの不安な暮らし、木の葉の忍によって間違って殺されてしまった父母…殺されたかけがえのない無二の親友…

長門が木の葉に対してテロ活動に走ることはほとんど必然だったと思います。
誰もが幸せで敗者のいない、苦しみのない無限幻術の世界に、長門のような人だったら惹かれて当然だと思います。

しかし、そんな長門でさえ、ナルトの考え方に触れて考え方を変えることが出来ました。
そういう風に長門が変わることが出来た背景には、子供の時に他人の自来也先生に優しくしてもらった経験があったと思います。
世の中には、損得で動かないああいう大人もいると知っていたからこそ、長門は弟弟子のナルトを信じることが出来たんだと思います。
本当に、三人が自来也先生に出会えてよかったなぁと思います。
自来也先生は長門に殺されてしまった訳ですが、自来也先生のああいう過去があったからこそ、ナルトが木の葉を救えたのだと思っています。

さて、長門と比べてオビトはどうでしょう?オビトは木の葉で育ちました。老人にも優しい、すごくいい少年でした。
オビトの知っていた世界は、長門と比べてとても広かったはずです。
木の葉のジジババ全てを知っているような子です。そんな素敵な子現実にだってなかなかいないですよね。
たくさんの人に愛され、楽しいことも辛いことも嬉しいことも悲しいこともたくさん経験したからこそ
オビトはそんな風に育ったのだと思います。だからこそ人の過ちを許すことの出来る、度量の大きな子になったのだと思います。

カカシ外伝でオビトは、カカシの行動の間違いを非難して、考えをあらためたカカシをすぐに許し、仲間として信頼していました。
あの時のオビトは、大変に男気のある勇敢な少年でした。
そして、自分の身を呈してまでリンとカカシを守り、カカシに自分の眼を授けます。
リンを守って欲しい…とカカシに願いを託して。
オビトのリンに対する想いは、片想いだったのにも関わらず大変に深く純粋なものでした。

子供の頃のオビトを思い出すと、現在のオビトのあまりの変わりように驚くし、それだけオビトにとってリンの存在が大きなものだったとわかります。
このことが物語をよりドラマチックにさせていると共に、オビトの受けた痛みの大きさを際立たせています。
NARUTOの物語の展開上、これ以上の展開も、これ以外の展開もないとは思います。

しかし、矛盾するようですが、どうしても私は納得いかないのです。
自分が死にそうになっていながら、リンの幸せだけを願っていたオビトが
今求めているのはただの幻の世界です。リンのいない世界が堪えられないから、リンが生きていると考え、勘違い出来る世界を作る。
自分の心が辛くて堪らないから、それを癒すため現実から逃げるための世界を作る。

無限月読の世界とはそういう世界です。現実ではなく逃げの世界だとオビト自身もよくわかっているはずです。

(ちなみに多くの方が思われたと思うのですが、穢土転生の術ならもっとずっとてっとり早いですよね。
被害もほとんどないし、術の解き方さえ知っていれば永遠に生きていられるんですよね
リンの意識は本物だしリンの遺体はオビトが埋葬したはずだから…f^_^;アハハ それを言っちゃあおしまいですね)

生き返りたいとリンが願ったわけではないのです。ただオビトが自分の心が痛くてたまらないから…
つまり、誰かの為でなくオビトは自分の為に無限月読を実行しようとしているのです。

私はそのことが一番納得出来ないのです。


ここからまた少し脱線ぎみになるかもしれません。以前テレビ番組で聞いた話なんですが、ずっと忘れられない話があります。

臓器移植の手術を受けないと助からない日本人のお子さんがいました。両親はお金をなんとかして集め、手術を受ける為に海外へと渡航しました。
しかし、ドナーが現れる前に残念ながらお子さんは亡くなってしまいました。
お子さんを亡くして悲しみのどん底にいる両親に医師がお悔やみを述べたあと告げました。
「あなた達のお子さんの臓器が、別の病気のお子さんの命を救います。どうか提供して下さい」
しかし、両親は断固として拒否しました。外国にまで移植を受けに来ていながら、
自分の子の臓器を提供することを拒否した親は初めてだったそうで、病院関係者は唖然とした…という内容の話です。

私はこの話を聞いてから、自分ならどうするかなぁとずっと考えていました…
実際にそういう立場になったことがないので本当のところはわからないのですが…

まずは両親の気持ちですが、その気持ちもよくわかります。
両親にしてみれば、生れつき病気があり人並みに元気に遊ぶことも出来なかった我が子のことをずっと不憫に思っていたでしょう。
死んでしまった我が子の体をもうそっとして上げて欲しい。これ以上傷つけないで欲しい。そう思ったのでしょう。

しかし、お子さんが臓器移植の為のドナーを待っていた時、両親はドナーが現れるのを天に祈る気持ちで待っていたはずです。
亡くなった子供の臓器が誰かの子供の命を救う…子供の患者の苦しみも、悲痛な思いで待っているその家族の気持ちも、この両親には痛いほどわかるはずです。
亡くなったこのお子さんに、もし聞くことが出来たなら、お子さんは「使って欲しい」と言うんじゃないかなぁとも思います。

この両親は、自分の子の命と臓器を提供してくれるドナーの子の命が同等であると考えていたのでしょうか。
もし同等だと考えていたなら、結果は少し違っていたように思います。

私にも子供がいるので、このことは何度も自問自答してきました。
自分の臓器なら、死んだ時はいくらでもどうぞと思えるのですが
子供のことを考えるとゾッとします。なかなか難しい問題ですね…

やはり脱線ぎみになってしまいました(^-^; でもこの話はオビトのことと少し繋がっていまして…
オビトにとってリンが非常に大事であったのはわかります。
しかしオビトは、誰にでも自分にとってのリンのようなかけがえのない大事な人がいる、ということをすっかり忘れています。
そんなかけがえのない誰かの命と、自分にとってかけがえのないリンの命では、リンの命の方が重いと思っているように感じるのです。

前にも書きましたが、オビトが長門だったらそれもやむを得ないと思います。
長門にとっての弥彦や小南は世界に只二人の特別な存在でした。
(実際の長門は違いましたが)あまりに辛い子供時代を過ごすと、他者の痛みを想像出来なくなることは有り得ることだと思うのです。

(いい加減長くて申し訳ないですが、まだ続きますf^_^;すみません)

(またまたCに続く)

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