01/14の日記

22:45
63巻感想@(NARUTOについて真面目に考えてみた2)
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日記書くのめちゃ久しぶり〜!前回書いてからまた9ヶ月以上経ってるしf^_^;
ラグーナのNARUTOイベントに行ってからもうそんなに経つんですね〜 時の流れの速さにビックリしてしまいます…o(゚◇゚)o…

さて、リアルにも書きましたが、NARUTOの63巻を読んだ感想を書こうと思います。
もしかしたら、63巻の内容に対しての批判と感じられる感想もあるかもしれません。
気分を害されたら申し訳ありません。読まれる場合はどうぞお気を付け下さいm(._.)m

(以前の日記に「NARUTOについて真面目に考えてみた1」という文章を書いたんですが
その後2を書こうとしてなかなか書けなかった内容も今回含まれております。
その為文章が大変に長くなっております(汗)読み辛くてすみません;)







↓ネタバレ有りマス







さて、63巻ですよー!すごく見応えがありましたね!!
まずは62巻の最後あたりから盛り上がっていた仮面の男の正体。前フリから実際に正体がわかるまでの完成度…!
圧巻でしたね〜!ぐいぐい引き込まれる内容にページをめくるのももどかしくて…

実は仮面の男がオビトだというのはだいぶ前にピクシブでネタバレしちゃって知ってたんですがねf^_^;
それでも物語にすごく引き込まれました。カカシ先生の気持ちを考えると…なんとも辛いですよね(≧ω≦)

次に五影を軽くいなして登場したうちはマダラの圧倒的な存在感。
マダラの強さを証明する為に五影が使われたという感は否めませんが…
それに関して私は批判的な感想はありません。
いや、綱手様のヒドイ状態はもちろん胸が痛んだし、カツユ様、まずは綱手様を早急に治してあげてよ!!!ともちろん思いました。
その上で、なんとか早く我愛羅君や他の影を助けてあげてーー(>_<)!!!と胸の内で叫んでました。
ちなみに…綱手様や我愛羅君が瀕死の重傷を負うということもずいぶん前にネタバレしていまして。
ネットをしてて、ネタバレしないようにするのは難しいですね…f^_^;

それでも、マダラのケタ違いの強さを見せつけ存在感を示すのに、
ああいう見せ方はアリだと思うし、漫画としては当然な流れだと思うのです。
恐らく、岸本先生は戦争の悲惨さをちゃんと描くことも重要だと思ってると思うし、
名も無い忍達だけでなく、影達が前戦で必死に戦う姿を描きたいと思っているような気がします。
本当なら安全な作戦本部にいてもいい影達も、自分の里や民、家族や仲間、未来ある子供達の為に命がけで戦う。
そういう姿を印象的に描きたかったのでないかと思うのです。
もちろんもちろん、我愛羅君、綱手様、影達が無事であるように祈ってますよー(>_<)岸本先生、なんとかお願いしますよー!!

そしてその後のオビトの過去の回想シーンになる訳ですが…
先程も書きましたが、仮面の男がオビトだというのはずいぶん前にネタバレしていたので、
自分なりにあの明るいオビトがなぜあんなことを企んでしまうようになってしまったのか今までずっと考えていたのですが…
実は批判的な感想があるのはこのあたりでして…

さて…ここでまたちょっと話は変わるのですが……
仮面の男がオビトだとネタバレする前、私は仮面の男はシスイさんじゃないかと思ってた時期がありまして。
なぜかというと、シスイさんはどんな人でどんな過去の持ち主なのかほとんど明かされていなかったからです。
でも、イタチ兄さんが穢土転生してシスイさんのことを語った時に、シスイさん≠仮面の男かもしれない…と思いました。
なぜなら、仮面の男の正体が誰でも、その人は現実に絶望した人に違いないと思っていたからです。

どうしてかというと例の「月の眼計画」が理由なのですが…
まず言いたいことは、「月の眼計画」ってそんなに悪い計画ではないと私が思っていることです。
「月の眼計画」は五影会談で初めて仮面の男が発表しましたよね。
あの時、影達は「そんなまやかしの世界は有り得ない」みたいに言って完全に拒絶してました。
(原作52巻からしか持ってないので発言内容はうろ覚えです(>_<)すみません!)
それはもちろん影達からしたら当然だと思います。
八尾と九尾をよこせとか無茶なこと言ってるし、全くもってのめるはずないに決まってますしね。

この時トビが計画の目的を言っていたのですが、全ての人に無限月読をかける為…なんですよね。
全ての人に、苦しみも悲しみもない幸せな夢の世界の幻術をかける。
これが本当に最終目的だとしたら、私は計画自体が悪だとは言い切れないと思っています。
少なくとも悪の権化みたいな人が目的にする内容ではないと思うのです。

例えばいわゆる悪い団体の計画というのは「大量殺人」「世界征服」「金品」だったりするし
その目的は「面白いから」「楽をしたいから」「ウサ晴らしをする為」等だと思うのです。
そういう目的の為に他人を虐げたり殺害する。そういう人達は本当に悪い団体ですよね。

しかし、仮面の男の「月の眼計画」が無限月読をかけることが目的であるなら、仮面の男は自分の身勝手な欲望だけで動いているのでないと思ったのです。

「この世の中に本当の平和など有りはしない」ということをトビは何度か言っていたと思うのですが
残念ながら今のところ、それは私達の現実社会でもほとんど事実だと思います。
飢えず、凍えず、虐げられず、平和に生きることの難しさを私達は世界から教えられています。
日本は基本平和なのでちょっとわかりにくいですが
世界を見れば、戦争と飢えと差別に苦しむ人達がいかに多いかがわかります。
あのトビの言葉に私は「そんなことないよ!」などと、とても反論出来ません。なんといっても私自身もそう思っているのですから。

木の葉はNARUTOの話の中で日本の写し鏡のような役目の里として岸本先生が描いていると私は思っています。
木の葉の繁栄が小国の犠牲の上にあるということをペイン長門が言ってましたが
実際、日本の繁栄が小国(アジアアフリカの貧しい国等)の犠牲の上にあるという風に言えなくもない。

そんな小国に、守ってくれる家族も既になく、家もなく、食べる物も、明日の希望も見出だせない子供がもしいたとして
「誰もが幸せだと勘違い出来る世界」があるのなら、それが「現実ではない」という理由で現実を見なくちゃダメ!だと言う風に言えるでしょうか?

私は絶対にそんなことは言えません。むしろ、そんな幻術を私がかけられるのならかけて上げたいくらいだと思います。
なぜならそんな子にとって現実は絶望的に厳しいのですから…

だから「月の眼計画」に賛同する人というのは、人生や暮らしに絶望した人達だと思うのです。
努力が報われることもなく、愛してくれた人も愛する人も既にいなく、大事にされた経験もない…

もしそんな人がいたら、月の眼計画を神の救いの術だと思うと思います。
実際、鬼鮫や長門、小南は「月の眼計画」に多いに賛同して暁の活動をしていたんだと思うのです。
(デイダラ、飛段、角都、サソリは違うのかな。もちろんイタチ兄さんは全く違いますね)

だから、仮面の男が誰であれ、その人はこの世の地獄を見てしまった人だと思っていました。
苦しみ、憎み、絶望した人が行き着く救いの術が「月の眼計画」なのだと思うからです。
(63巻感想Aに続きます)

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