□仲直りの方法
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(ったく。いつまでもこう、だらだらとあちぃな)

昇降口から一歩足を踏みだすと、熱を帯びた空気がもやりと身体を包み込む。

その不快感に、桜井琥一は眉をひそめた。

繁華街などを歩くと、気の早い奴らが秋の装いでうきうきと歩いているのを見かけるが、あれは見ているだけでも暑苦しい。

一人ひとりに季節を考えろと言ってやりたいところだが、生憎それほど暇な人間でもない。

それに、このイライラが暑さの為だけではない事は充分に自覚していた。

『可哀そうな弟から、奪うわけにはいかないか?』

陽の落ちた薄暗い部屋の中でそう言った、ルカの顔を思い出す。

いつだってへらへらしているあいつの、初めて見せたキツイ表情に戸惑いを覚えた。

それと同時になにか得体の知れないものがぞろりと喉元を上って来るような感覚に襲われたのも事実。

『いつまで保護者ぶってんだ?迷惑なんだよ』

『……本気で言ってんのか?』

『ああ……多分な』

自分から啖呵を切った割に、歯切れが悪い。

その違和感に気づいていながらも苛立ちは膨らむ一方で、もしあの時美奈子が来ていなかったら、俺はアイツを殴り倒していたかもしれない。

最悪のタイミングだと思ったが、ともすると最高のタイミングだったのかもしれない。

あれから俺たちは必要最低限しか口を利かなくなった。

元々、俺は口数の多い方じゃないし、ルカの野郎は俺から逃げ回ってばかりいる。

(めんどくせぇ)

軽く舌打ちし、琥一はまだ高い位置でギラギラと熱気を放つ太陽を睨んだ。

襟元を摘み、はたはたとシャツの内側へと空気を送るが、生温い空気が循環するだけでどうにも気持ち悪い。

(さっさと帰ってシャワーでも浴びるべ)

さっぱりしたら、汗と共に嫌な気持ちも多少は流れて行くだろうか。

楽しそうに談笑しながら帰路につく周囲の生徒を一瞥し、足早に校門を出ようとしたところで、その中から見知った顔がこっちに向かって来るのに気付いた。

「コウくん!」

「おお、今帰りか」

「うん。一緒に帰ろ?」

言葉で同意する代わりに、美奈子の早さに歩調を緩める。

俺たちとは対照的に美奈子の態度はあれからも変わらなかった。

牛みたいにもうもう言いながら説教垂れては、俺たちの冗談にからっと笑う。

いつもの帰り道、馬鹿みたいに他愛もないことで笑い合う。

それで気が緩んでしまった、としか言いようがない。

通りの向こうを大きな花束を抱えて歩く男を見かけて、ついポロリとこぼしてしまった。

「そう言えば、ルカの野郎、今日はバイトだったな」

一拍置いて、自分の失言に気づく。

苦々しい気持ちと共に、あの日のやり取りがまた甦ってきて、嫌なものがぞろりと喉元を這い回る。

あいつだってもう一人でやってけんだ。

いつまでも教室の隅で泣いている子供じゃない。

ずっと三人で、なんて無理なことぐらい分かってる。

いつまで保護者ぶってんだ?

まさにその通りじゃねぇか。

過保護すぎる自分に嫌気がさす。

「ちょっと寄ってみようよ」

きっとルカ、びっくりするよ。

俺の胸中を知ってか知らずか、美奈子がにっこりと微笑みながら上目遣いに覗きこんでくる。

ぷっくりした柔らかそうな頬に『早く仲直りしてほしいな、てへ』なんていう言外の言葉が見え隠れする。

そうだ、何も居心地の悪い思いをしているのは俺だけじゃねぇ。

板挟みにされているこいつだって――

「おぉ、そうするか。いや……」

あいつのことだから、二人でバイト先なんかに行ったら、きっとまた変な気を回すんだろう。

「やっぱ、オマエ一人のときに行ってやってくれ。」

今はその方がいい、多分な。

残念そうに口を尖らせた美奈子の頭をがしがしとかき混ぜて、頬を膨らませながら家に向かうのを笑いながら見送った。

強がりではない。

気を遣った訳でもない。

ただこれ以上、事態を悪化させたくない。

元通りの関係を切に望んでいるのは、案外自分なのかもしれない。

(めんどくせぇな)

また軽く舌打ちすると、そのまま馴染みのマーケットへと足を向けた。

帰り道からは少し外れるそこは、近くの漁港から直に鮮魚を卸してもらっていて、新鮮で美味いサカナが得られるとルカが贔屓にしている店だった。

徒歩で学校帰りに寄るには、少し遠いが。

旬の秋刀魚なんかはどうかという店員の勧めに従って、氷の上に行儀よく並ぶすべすべした銀色の魚の品定めをする。

これは、逃げ回ってばかりいるアイツを釣る為の餌。

丸々とよく太ったのを二尾、ビニールに入れてもらいWest Beachへと足を向けた。

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「アイツ、帰ってんのか」

ルカの部屋から光が漏れているのを見上げながら、ドアノブを引く。

立て付けの悪い蝶番が一瞬だけ鈍く軋み、施錠されていない扉はそのまま勢いよく開いた。

その勢いにのって部屋から溢れだした白煙が正面からぶち当たってくる。

「なんだ……これ」

そう呟いた瞬間、いがらっぽい空気が肺の奥まで入り込みむせ返る。

「あ、おかえり」

玄関で激しく咳き込んでいる琥一に気づき、出迎えに現れた琉夏がにっこりと微笑んだ。

「おかえり、じゃねぇよ……このバカルカ!」

家燃やしちまうつもりか、テメェ。

そう続けようとして、大きく息を吸い込み、また喉がむず痒くなった。

もうもうと吹き付ける煙が目を刺激して、視界が滲む。

なんでこいつ、こんな中で涼しい顔してられんだ。

「なんかさ、晩飯うまくいかなくて」

悪びれる風もなくケロリとそう言ってのけた琉夏の言葉に、益々心がずっしりと重くなった。

「晩飯って…ホットケーキか」

琉夏に作れる料理はホットケーキくらいしかない。

今朝も食べただろ、それは。

なんでそう飽きずに毎日毎日あんな甘ったるいものが食えるんだ。

「ま、入んなよ」

絶望に近い気分で部屋に上がり、窓という窓を開け放つ。

秋刀魚には、米だろ。

秋刀魚にホットケーキは、あわないだろうが。

秋刀魚に甘いシロップなんて――想像したくもない。

なるべく調理台を見ないようにして手に持っていたビニールを冷蔵庫にしまい、さっさと部屋に上がる。

今夜の夕飯をどうしたものかと思案しながら着替えて階下に降りると、キッチンでにやにやと薄気味悪い笑みを浮かべた琉夏が待ち構えていた。

「じゃーん」

そう言って琉夏がテーブルの方へと手を広げて見せる。

「!」

テーブルの上の信じがたい光景に琥一は目を見開いた。

炭のような肉と思しき物体が皿の上に横たわっている。

というか、むしろ皿からはみ出している部分の方が多いから、肉らしきものがテーブルの上に横たわり、その一部が皿の上にまで陣地を広げている、と言った方が正しいのか。

いずれにせよ、とてつもなく巨大なかつては肉であっただろう残骸がそこにあった。

「おい……何だよ、これ」

分かっていながらも確認したくなる。

どんな答えを聞いたところで、心休まる訳ではないが。

「肉。コウ、好きだろ?」

たまたま安くで売ってるのを見かけてさ。

邪気のない笑顔でそう言うから、嫌がらせではないのだろう。

結局は互いに同じことを考えて、互いに相手を好物で釣ってやろうとしたって訳か。

喉の奥で苦笑し、席に着いた琥一はがりがりとそれの一部をナイフで切り取った。

外は黒焦げ、中は生。

どうやったらこんな焼き方出来んだよ?

レアなんて立派な代物ではないし、口が裂けてもステーキだなんて言えない代物だけれど。

(ま、悪くはねぇな)

片頬で笑んで肉を齧り、前言を撤回したくなるような味に悶絶した。

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「おいルカ。次の日曜、美奈子誘ってボーリング行くぞ」

「いいね。連勝記録更新しちゃおっと。泣くなよ、コウ?」

「誰が」


100921 結


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