月は静かに

□嘘吐きは囀り、そして
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太陽が天頂を通り越した後、いつものように強い風が室内に澱んだ空気を洗い去る。

日向では陽炎が踊っているけれど、今日も日陰は乾いていて、涼しい。

昨日の授業のメモ書きの束を手に持って、長い廊下の行き止まりを曲がったところで、また、彼を見つけた。

(今日も)

彼に再び声をかけたのは昨日のこと。

この宮殿に、しばらく前から滞在していることはなんとなく知っていた。

けれど、会うことはないと思っていた。

会うことはない、っていうのはちょっと語弊があるかな。

正確には、【話すことはない】

そう、同じ建物の中に居ても、ここは広いし、会って話すことはないと思っていた。

どこかで出会っても、話しかけることはないと。

彼はただ、通り過ぎて行く人だと思っていたから。

夜会で偶然に出会っただけの、いつか忘れてしまう通りすがりの人なんだと。

だからあの日、あの夜会で、私は名乗らなかった。

出来るだけ、知られたくなかったから。

私の素性を。

立ち位置を。

存在を。

この宮殿で再び出会っても、それでも彼はまだ、通りすがりなのだと思っていた。

間違ってはいないと思う。

彼は確かに私の傍を通り過ぎていく筈の一人だったのだ。

あの方が、彼に目をつけるまでは。

私に接触を命じなければ。


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