□浮気をしました、ごめんなさい。
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(助けて)

薄暗い廊下の奥から、足音が近づいて来る。

怖い。

あの足音に捕まったら、おしまい。

本能的にそう感じる。

分かっている。

なのに身体が動かない。

廊下から上がってくる冷気に冷やされた身体が、私の意思に反して横たわったままの状態を維持し続ける。

どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

来た道を振り返っても、何処が分岐点だったのか分からない。

どこで間違いを選択したのか分からない。

ただ、今のこの悪夢が現実。

「美奈子!!」

なっちんが私を呼ぶ声。

(ここ、ここに居るよ!!)

必死で叫ぶのに、声は届かない。

まるで、透明人間になってしまったみたい。

誰にも見えない、聞こえない。

でも、見えなくていいと思う私が居るのも事実。

きっと、私と関わると皆も奴等に目をつけられる。

こんな想いをするのは私だけで充分。

足音が近づいてくる。

このままじゃだめだ。

指先に意識を集中させて、身体の下の廊下を押す。

今度は辛うじて半身が起き上がった。

(逃げなきゃ)

時間をかけてゆるゆると立ち上がる。

屋上へ。

あの場所にさえたどり着ければ。

普段は使われない、狭い階段をゆっくり上る。

思うように足が動かない。

気持ちばかりが急く。

何度も何度も蹴躓きそうになる。

(あと一階分…!)

手すりに掴まって、荒い呼吸を繰り返す。

もう少し。

もう少しだから。

お願い、頑張って。

「学習しないな」

背後の声にひやりとする。

「屋上、屋上、また屋上。いつも同じパターンだ」

冷たい声。

あいつの位置を、姿を確認したい衝動に駆られるけれど、私は振り返らない。

振り返ると、囚われるから。

これ以上、間違えると戻れなくなるから。

小さく息を吸って、次の段へ足をかける。

「まだ逃げるのか?」

にやにやしながら余裕の足取りで私を追ってくる。

「出口へと続く扉に手をかけた瞬間、希望を奪われるっていうのはどういう気分なんだろうなぁ!」

嬉しそうな声が歌うように叫ぶ。

もう、おしまい。

そう感じるけれど、私の足は止まらない。

素直に捕まってなど、やるものか。

あと三段。

暗赤色の錆びた扉が目前に迫る。

あと二段。

もう少しで手が届く。

そう思った瞬間、扉が開き真っ白な光が視界を覆った。

眩しく目を射る光を遮ろうと額にかざした私の手首を、誰かが掴んで強く優しく光の中へと引き上げる。

「ぁぷ」

私は、手を引かれた勢いのまま、顔から光の中の誰かにダイブする。

鼻が潰れて、この場に似つかわしくない、間抜けな声が出た。

自分の胸で私を受け止めた、その【誰か】にそっと抱き締められる。

「やあ、美奈子君。キミだね?」

柔らかい声。

ずっと聞きたかった声。

「貴様、邪魔する気か」

暗い階段の下からあいつの声が上ってくる。

私はそれを、ふわふわした頭で聞くとはなしに聞いていた。

これは現実?

「邪魔なのはキミの方。もう行っていいよ」

私の上で優しい声がそう囁いて、扉を閉めた。

頬から伝わる彼の体温が、これが紛れもない現実だと私に伝える。

「やっと、逢えたね」

細い綺麗な指が髪を優しく櫛ってくれる。

嗅ぎ慣れた、少し強い画材の香り。

私の、大好きなひと。

「色」

「うん」

「色」

「うん、ここに居るよ。もう大丈夫」

穏やかな微笑みに、それ以上は何も言えなくなって、私は彼の背中に回した手に力を込めた。

それに応えるように、髪をなぞる手がより一層、優しくなる。

「大丈夫、キミはボクが守るから」

光の中、天使は私にそう囁いた。

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主人公ちゃんを追っている奴等はエンデの【モモ】に出てくる時間泥棒のイメージ。

100824 結 



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