佐助受

□大阪の陣
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「旦那、徳川から密書が届いたよ」
大阪城に入った幸村の元へ、家康からの手紙を持って佐助がやって来た。幸村は視線を投げただけで、何も言わなかった。関ヶ原から以降、主人の口数は減り、笑みを浮かべる事も無くなっていた。先の大戦で友を一人失い、もう一人の友とは袂を分かつ事になったからだ。文を手渡して佐助は傍に控えていた。すると、文面に目を通していた幸村から激しい憤りを感じた。
「旦那?」
「……寝返りを要求してきた」
「ッ!」
佐助は鋭く息を呑み、主人を凝視した。内容は訊くまでもない。
「こうやって先の大戦でも小早川に寝返りを要求し、三成殿を討ったのか」
「……小早川が寝返ったのは、豊臣にも非があった為なんだろ?」
この言葉に、幸村の瞳に激しい焔が宿った。どうやら逆鱗に触れたらしい。佐助は首を竦めた。
「一度豊臣方に付いたのであれば、何があろうとそれを貫くのが道理。裏切るのであれば、端っから徳川方に付けば良かったのだ。そうすれば、無駄に死ぬ者もいなかったはずだ。その報いは必ず受けるだろう」
静かに言った言葉が大きく聞こえた。声を張り上げる事も、怒鳴る事もない。ただ、内にその想いを宿し、暗くて深い漆黒の焔を燃やしているのだ。幸村の気持ちも解る。秀秋の裏切りで多くの西軍の武士達が死んだのだ。上田の地で徳川軍の足止めをしていた幸村はその報せを聴き、激しい憤りと深い絶望に打ちのめされた。余談であるが、秀秋は早世して小早川家は断絶している。その死因は関ヶ原で命を落とした西軍の武士達の呪いであったとも言われている。
「このまま豊臣方に付く事がどういう事かは解るな、佐助?」
「御意」
掘りを全て埋められた丸裸同然の大阪城に入り、倍以上の数の敵と向かい合うのだ。ここには関ヶ原の負け組と、それ以降多くの大名が整理されて再就職に失敗したあぶれ者達、そして、仕官出来なかった武芸者達がいた。命を懸けて家康に一矢報いようとする者や、再就職の為に力量を見せる場としてこの最後の戦いに挑んできた者達である。どちらにせよ、彼らには後がないのだ。だが、幸村には道が出来た。秀頼を裏切り、徳川に付く事。それが生きる道だった。
(でも、そんな事をしたら旦那の心が死んでしまう)
佐助は主人の覚悟を知っている。だから、彼も腹を括ってきたのだ。だが、
「お前は忍。武士としての誇りを捨てられなかった俺に付き合う事はない。これより後の世に忍稼業はなくなるだろうが、何でも出来るお前なら大丈夫だろう」
「……旦那?」
「命令だ。城を出ろ、佐助。お前は生きろ」
まさかの主人の最期の命令に、瞬間呼吸を忘れた。そして、脳が全ての思考を停止する。
「給料を上げろと良く言っていたな。払えなくなった時も、それでもお前は傍にいてくれた。これを持って行け。もう俺には必要ない」
そう言って差し出されたのは金入れだった。秀頼から受け取ったものだろう。
「……共に、来いとは……?」
声が震え、最後まで言い切れない。佐助は身体の震えを止められなかった。
「これは俺の意地だ。お前を巻き込む訳にはいかぬ」
知っている。幸村がどれほど家康を憎んでいるか。どれほど己を責めているか。どれほどの哀しみと憤りをその身に宿しているか。
「去れ、佐助」
「……御意」
佐助は頭を下げ、金入れを掴んで立ち上がった。その時、幸村が笑った。どれほど振りかの笑顔だった。
(何でこんな時に……ッ!)
涙が溢れた。潔い死に様なんて忍には不要。武士と違い、その死には何の意味もないからだ。それでも。
「……馬鹿ッ!馬鹿か、あんた!ホント何て不器用なんだよ!」
金入れを投げ捨て、屈託なく笑う幸村を抱き締めた。
「金なんて要らない!あんたのいない世でなんて生きていけない!何で……何でついて来いって言ってくれないんだ!俺はどこへだってついてくよ!あんたの影なんだから……ッ!あんたが逝くなら俺も一緒だ!」
泣き叫ぶ佐助に息も詰まるほど強く抱き締められ、幸村の胸の奥から熱いものが込み上げた。それは涙となって溢れ、頬を伝い落ちた。三成が死んだと聴いた時も、兼続が徳川に屈した時も出なかったのに、何故今出るのだろう。幸村は佐助の背中に腕を回し、声を上げて泣いた。失ったものは多く、傷も大きい。それでも、自分の中にある信念だけは折れなかった。ずっと佐助が傍にいてくれたからだ。
「佐助、俺はお前に生きて欲しい!生きて、生きて、生きて……!死んでいった者達の想いを伝えてくれ!」
「俺は伝道師じゃないんだよ!戦忍だ!あんたが望む戦の下準備を俺がしてやる!家康を殺したいなら殺せ!その道を作って、あんたを走らせてやる!あんたと石田の旦那の死に様はきっと直江の旦那が語ってくれるから!」
「駄目だ……生きてくれ、佐助……!」
平行線だ。佐助は幸村の肩を掴んで体を引き離した。ぐしゃぐしゃに泣き腫らした顔でこっちを見ている。佐助も同じような顔をしていただろうが、それでも強い眼差しで主人を射抜いた。
「だったら、あんたが生き残れ!俺はあんたの影だ!」
「……ッ!」
鋭く叫んだ佐助の言葉に、幸村は言葉を失った。死を覚悟して大戦に臨むのだ。その後の事など何も考えていない。連れて行くと言う事は、同じ業を背負わせる事になるのである。
「だ……駄目だ。お前は……」
ここにきて護るものが出来た。幸村の心に恐怖が押し寄せ、佐助はそれを見逃さなかった。涙を拭いて立ち上がると、投げ捨てた金入れを拾った。
「あぁ、解ったよ。じゃあ、たった今より俺はあんたの配下じゃない。好きにさせてもらう。これは貰って行くからね」
「…!どこに行く、佐助!許さんぞ!お前は城を出て、この地より離れろ!」
「そうさせてもらうよ。じゃあね、旦那」
ニッコリと笑いながら手を振る佐助の姿が掻き消えた。幸村は床を殴り、己の失敗に舌打ちした。渡した金を元手に準備を進めるつもりなのだ。偵察も配下に任せて彼は決して傍を離れなかった。だから解雇通告をしたのだ。それが裏目に出てしまった。恐らく、利口な彼はこうなる事を見越していたのだろう。
「佐助……佐助、俺は……」
大切なのだ。己の命よりも。何よりも。幸村は拳を強く握り締めた。彼を生かす為には家康を倒すしかない。
「お前の命、俺が預かった!共に生き延びようぞ!」
家康までの道は佐助が作ってくれるだろう。幸村はその道をただ真っ直ぐに進むのみだ。
「それでも届かぬ時は……共に逝こうぞ」

また来世で逢う為に。


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