佐助受

□命懸け
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命懸け

色々やりたい事がある。願望ばかりが大きくなって、現実とのギャップに嫌気が差す。
だから、――
「俺様、馬鹿になりたい!」
右目の男の前で大声で叫んだ。可哀想な子を見るような目で見られても構うものか。
「常識なんて要らない!しがらみ全部断ち切って自由になりたい!そんで思いっ切り馬鹿になって……!馬鹿になって……」
声が出て来なかった。言っていて哀しくなってきたからだ。雁字搦めのちっぽけな存在だと自分で暴露したようなものだ。馬鹿になり切れずに男を困らせるだけだ。後悔が押し寄せ、結局「なんちゃって」って笑って誤魔化した。臆病者。
「意味が解らん。どうしたいんだ?」
けど、穏やかに笑うこの人の顔を見たら、少しは救われたような気がした。
「へへへ……何でもない」
上手く笑えたかどうかは判らないけど、口の端は上がった、と思う。
「何でもなくて喚くのか?いいから言うだけ言ってみろ。言うだけならタダだぜ」
「俺様はそうやってタダで斬り殺されてきた人を沢山見てるよ」
「それでも馬鹿になって、俺に言いたい事があるんだろ?」
そう。この人は良く解ってくれている。この人にだけ言いたい事があるんだ。口を開いて、息を吸って。
「……」
数秒の間の後、息を吐き出した。声が出ない。
「口に出さなくても考えが全部解ると思っているのか?俺にも解らねェ事はあるんだぜ」
「わ、解ってるよ。けど……本当に何でもないんだ。気にしないで」
どうしようもないくらい憶病なんだ。嗤うしかない。そんな俺を見てやれやれと言った風に溜息を吐いた。呆れられても仕方ないけど、辛いなぁ。
「俺の心の臓か首が欲しいのか?」
「ば……ッ!違うよ、何言ってんの?俺様はただ……ッ!」
思いも掛けない言葉に、驚いて心臓が跳ねた。それで思わず口走った言葉にこの人が掛かったとでも言うようにニヤリと笑い、ハッと我に返って慌てて口を噤んだ。やられた。
「ただ、何だ?何でもなくてそんなセリフが出るのか?いい加減に言わねェと、鳴かすぞ」
「う、うぅ……卑怯者」
「今は俺とお前の二人だけだ。他には誰も聴いてねェ。言ってみろ」
耳に口を寄せてそっと抱き締めてくれた。言い難い事だから、小さな声でも聞こえるようにそうしてくれたのだと気付いた。男は優しい。優しいその心に甘えるのが怖くて、その恐怖から逃れられるくらい馬鹿になりたかった。男の着物を強く握り、男の首筋に額を埋めて、勇気を振り絞った。
「な……名前を、呼びたくて……」
「は?名前?」
男の声がいつもよりも高くなった。本当に馬鹿な事を言っている自覚はある。怖くて手が震えだしたけれど、それを止める事すら出来なかった。
「あ……はは。へ、変な事言ってごめん。ごめんなさい、何でもない」
声が震えていた。身体も震えていたかも知れない。逃げたかったけれど、身体は恐怖で委縮していて上手く動かなかったし、逞しい腕で抱き締められていて身動きすら取れなかった。
「二人の時は名で呼んでいるだろう?」
「う、うん。……」
「?違うのか?名を、どう呼びたい?」
二人きりの時は確かに下の名前で呼ぶ事を許されている。なのに、それ以上を望むなんて浅ましい。
「佐助、いいから言ってみろ」
「こ……小十郎様、俺様……俺は……」
「何だ?」
「さ……さんって呼びたい、んだけど……やっぱり、いいや。ごめんなさい、今のなし」
臆病過ぎて自分が嫌になる。こんなんじゃこの人を困らせるだけなのに。
「言ってみろ」
「……え?」
「いいぜ。それで呼んでみろ」
まさかの了承に思わず頭を上げた。すると、優しく笑って眉間に口づけられた。
「呼べ、佐助」
「あ……こ、小十郎さ……さ……」
「呼び捨てたいのか?……まぁ、構わねェが」
「そ、そそそそ、そんな恐れ多い事……ッ!た、ただ小十郎様じゃなくて、小十郎……さん?って呼べたら……」
少しは甘えられるようになるかも知れない。そう思った。いつも何も言えずに困らせるから。何も言えない俺の想いや考えを理解しようとしてくれるから。そんな風に気を遣わせてばかりだから、もう少し俺が想いを伝えられるようになれれば、この人の負担が軽くなるかも知れないと思ったんだ。けど、忍ごときが武人をさん付けで呼ぶなんて有り得ない。今更ながら冷や汗が噴き出してきた。
「呼べたら……いいなって思っただけだから……気にしないで」
最後は聴き取れるかどうか分からないくらい声が小さくなった。
「ククク、いいじゃねェか。次からはそう呼べよ」
「え……、ええ?いいの?」
「あぁ、好きに呼べばいい。可愛いお願いだな」
「……う」
ニヤリと笑うその顔が格好いい。恥ずかしくて目を合わせられずに首筋に額を寄せた。



本当は願望は沢山ある。傍に寄りたいとか、手を繋ぎたいとか、顔に触れたいとか。言えばきっとそんな事かと笑って許してくれるようなお願いばかりだ。それでも、佐助にとっては渾身の勇気を振り絞らなければ言えない言葉なのだ。
――忍ごときが――
そんな言葉が陰で叩かれている事を知っている。だから臆病にもなる。怖いのだ。許しを貰えば貰うほど小十郎が嗤われるのだから。自分が嘲笑われた方がどれだけ幸せか。なれないと解っていても、色々な事を考えないくらい馬鹿になりたかったのだ。そんな佐助の髪に口づけ、小十郎が小さく笑った。
「俺の傍にいる時くらい、何も考えずにいられねェのか?」
「……ごめんね」
「何も考えるな」
「うん……ごめんなさい」
自分の心を殺すのが忍だ。願望をこうして口に出す事だけでも賞賛ものだ。小十郎はそんな彼を優しく抱き締め、そっと耳に唇を寄せると、
「もう一度呼んでくれ、佐助」
優しく囁いたのだった。


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