佐助受

□※Twinges in the chest
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全ては金の為。
忍なんて所詮使い捨てだ。だから、厚い忠義心なんて端から持ち合わせていない。どれだけ汚い任務でも滞りなく遂行し、相応の報酬を貰う。雇主とはただそれだけの関係だ。必要以上に慣れ合いもしないし、いつでも手が切れるようにしている。情に縛られ、無能に仕えて命を落としたくはないから。
なのに、何故――?
胸の奥底で燻っている疑問。口に出せば、恐らく解り切った答えが返って来るのだろう。


Twinges in the chest


佐助は政宗と手合わせ中の溌剌とした幸村を目で追っていた。信玄を師と仰ぎ、日々訓練に精を出している熱血青年である。好敵手と認め合った政宗とは度々手合わせをしていた。政宗が甲斐へやって来る事もあるし、幸村が奥州へ出向く事もある。そうした日取りを文で連絡しあっている仲なのである。今回は政宗が遥々甲斐までやって来ていた。そうして、幸村の屋敷の広い庭で手合わせをしている二人を、佐助と小十郎は縁側で見守っていた。ボケっと考え事をしている佐助など今まで見た事のなかった小十郎は驚いたが、それでも何も言わずに注意力が散漫になっている彼の代わりに周囲に目を配り、そして両者の勝敗の行方を見守っていた。が、幸村に疲れの色が見えだし、これ以上の続行は危険に見えても佐助が動く気配はない。見ているようで、その目には何も映っていないのだろう。そんな彼の様子に小さく嘆息すると、
「おい、猿飛。さっさと止めねェと、お前の主が怪我するぜ」
小十郎は声を掛けてやった。すると、ハッと我に返ったように顔を上げ、佐助は今更ながら幸村を目で追っていたのにも関わらず、状況を飲み込めていなかった事に驚く。
「へへ……悪いね、片倉の旦那」
苦く笑いながら即座に立ち上がると、佐助は表情を消して二人を止めに入った。その姿は普段通りの彼に見える。
「やれやれ……いつもは俺が少しでも動くと睨み付けてくるような奴が……」
何かあったか。
小十郎はいきり立っている幸村を宥める佐助を見ながら、微かに首を傾げた。常の彼とは別人のように見えたのだ。あの飄々とした姿で油断のならない気配を隠しているが、常に周りに気を配っており、そして決して隙を見せない。そんな忍が完全な無防備だったのだ。落とそうと思えば、恐らく首を落とせただろう。だが、幸村を追うその瞳が空ろで、小十郎は更に驚いたのだ。虚ろではなく空ろ。まるで抜け殻だったのである。これは只事ではないと、男も動けなかった。が、慶次のように喜んで首を突っ込んでお節介をするような性分でもなく、何よりも第一は政宗である。佐助も自ら助けを請うような真似はしない。
(次に来るまでには元に戻っているか……)
そうして佐助を見ていると、ふとこちらに視線を向け、幸村をその場に置いて駆け寄って来た。小十郎は思わず柄に手を伸ばした。その瞳が獲物を捉えた猛禽類の眼のように底光りしていたのだ。だが、――
「上だよ!」
「何ッ?」
小十郎の動きに気付いた佐助は地を蹴り、懐からくないを取り出すと、狙いを定めて投げ付けた。その瞬間、甲高い音が響き、男を狙った手裏剣が地面に突き刺さった。
「小十郎!」
「佐助、何事だ?」
政宗と幸村が同時に地を蹴った。小十郎の身に怪我がない事を確認すると、政宗は黙って佐助に視線を向けた。否、正確には彼が拾った手裏剣に。
「これは……」
手裏剣を確認した佐助は表情を曇らせ、それを横で見ていた幸村が声を落として尋ねる。
「どこの者か判るか?」
「恐らく、豊臣方の……」
佐助の言葉に幸村は驚いた。
「お前がここまで近付くまで気付かぬとは……相当な手練か?」
それには答えず、佐助は頭を掻きながら立ち上がった。
「済まない、旦那。すぐに追って始末を付ける。失敗はすぐに取り戻さないとね」
ニッコリと笑って佐助が姿を消した。幸村が止める間もない。ざわざわと揺れる木々の間に目を凝らし、
「佐助ならば大丈夫だろうが……」
不安が口を衝いて出た。それを黙って見ていた小十郎は政宗に一瞥を投げ、
「おい、真田。敵に政宗様の所在を知られたら厄介だ。今の内に俺達はここを出る」
筆頭不在の奥州と単独行動をしている当主の二つの危険性を挙げた。それを即座に理解した幸村は頭を深々と下げて失態を謝り、
「お客人を危険な目に遭わせるとは、某が至らぬ故。この上は、安全な場所までお送り致す」
国境付近までの護衛を申し出た。
「Ha!そんな大層なモンかよ。俺達の事よりアンタはこの国の事を考えるべきじゃないのか?」
「何を言われるか。確かにお館様よりお預かりしているこの地は某が守るべきものだが、貴殿等はこの上田に来られたお客人。お守りするのは当然だ」
「ふ〜ん?」
政宗のその生返事に首を傾げ、幸村は動こうとしない隻眼の男を見つめた。
「最近、あちこちの国境で小競り合いが起きているらしいが、ここもか?」
「……ここも、とは?奥州でも同じような事が起こっているのでござるか?」
返答に政宗がニヤリと口の端を上げて笑った。その笑みの意図に気付いた幸村は即座に失敗したと言う顔をした。誘導尋問に思わず答えてしまったのだ。良くも悪くも、素直な性分なのである。
「俺は別に奥州で、とは一言も言ってねェ。だが、この甲斐の国では起こっているようだなぁ。その為に、武田のオッサンの命でアンタは猿飛とここで様子を探ってる、って所か?」
「ひ、卑怯でござるぞ!」
「クックック、What do you say? 何が卑怯なんだ?アンタが勝手に喋ったんだろ。なぁ、小十郎?」
「そうですな」
「か、片倉殿まで!」
まんまとしてやられ、幸村が羞恥で真っ赤になった。佐助がここに居れば幸村が失言をする前に止めただろう。だが、頼みの綱の忍は豊臣方の者を追っている最中である。必要な情報を聴けたと政宗は満足そうに笑い、小十郎は知らん顔をして馬の背に乗った。
「Hey、真田幸村。国境まで護衛してくれるんだろ?行くぜ」
「ぐぬぬぬぬ、某はもう何も喋らぬ!」
「あぁ、いいぜ。好きにしな」
肩を揺らして笑いながら政宗が馬の手綱を引き、ゆっくりと歩き出す。その背を見送り、幸村が頭を抱えた。
「うおおおおおお!叱って下され、お館様あああああっ!」
「分かったから行くぜ、真田」
「片倉殿ぉ、何故止めてくれなかったのでござるか」
「生憎、俺はテメェの子守りじゃねェ」
甘えるなら猿飛に甘えろ。
そう言い掛け、小十郎は口を閉じた。自己嫌悪に陥っている幸村はそれに気付けず、馬の背に跨ると、項垂れたまま政宗の後を追う。佐助がこの場に居ない事自体がおかしいのだ。彼が政宗と小十郎の傍に主人を置いて行くだろうか。配下の者を傍に置いて行ってはいるが、この状況で護るべき主人から距離を置くだろうか。確かに敵方の忍の接近を許すという失態はしたが、本来ならば間者の始末は配下に任せ、忍の棟梁として幸村の傍に居るべきだろう。小十郎のように政宗が幸村を騙し打ちする事はないと、佐助が信頼を置くはずはないのだから。
「……おい、真田。猿飛と何かあったか?」
思わず尋ねていた。そして、小十郎は渋面になった。幸村がまるで捨てられた子犬のような眼を向けてきたのだ。解り易い青年だが、こうも素直に頼られると逆に照れ臭い。幸村が犬気質であれば、政宗は猫気質と言えるだろう。それ故に、小十郎は素直な反応に慣れていないのだ。
「実は……ここ最近、佐助が某を避けているのでござる」
そう切り出し、幸村が淋しそうに俯いた。いつも煩く世話を焼いてくれる母のようで、厳しい言葉で正しい道を示してくれる父のようで、頼りになる兄のようで、そして共に歩いて行きたいと思う友のようで。幸村にとって佐助は大きな存在なのだ。
「何か悪い事を言ったのかと謝ったのだが、佐助は笑って何でもないと言うし、何故避けているのかと訊いても、仕事が忙しいからと相手にもしてくれない。何故離れて行くのか……どうすればいいのか、分からぬのでござる」
本当に辛いのだろう。幸村の瞳に涙が浮かんだ。それでも唇を噛んでどうにか堪えている。佐助の様子にも驚いたが、彼がここまで参っている様子も珍しい。小十郎がチラリと政宗の背中に視線を向けると、黙って聴いている、と言う様子である。恐らく、剣を通して彼の不調を感じ取っていたのであろう。政宗は人の心の動きに敏感なのだ。
「……お前が猿飛の事をどう思っていようと、奴は忍。そこまで悩むような相手か?」
敢えて小十郎はこの言葉を選んだ。幸村の真意を量るのに最も適した問いだろう。そして、――
「それくらい、某も解っている!佐助は忍。解っている!だが、だが……ッ!」
それでも大切な……。
そう続く言葉はどうにか飲み込み、幸村が叫んだ。彼は感情的になり易い。一度溢れ出すと止められない。必死に押し殺していた想いが、涙と言う形になって溢れ出した。傍に居て当たり前の存在だったのだ。そう思っていた事が間違いだったのだと、佐助が離れて行って気が付いた。彼が必要なのだと、痛いほどに思い知ったのである。だが、
「男がメソメソ泣くんじゃねェ!」
小十郎が一喝した。相談相手は泣く子も黙る竜の右目。優しく慰めてくれるような男ではない。大声量に飛び上がるほど驚き、幸村はパチパチと瞬きをした。
「泣いて好転するなら誰も苦労しねェ。そんな暇があるなら、猿飛を捕まえて今言った事を伝える事くらいしてみせろ。話は聴いてくれるんだろ」
「それが、それが出来るのであればこんな事にはなっておりませぬ……ッ!」
「?話すら聴いてもらえねェのか?」
馬鹿な、と思いつつ尋ねた。
「いつもはぐらかされるのでござる!おやつの時間だとか、風呂の時間だとか、寝る時間だとか……!」
幸村は至極真面目に答えているのだろうが、小十郎は眩暈がしてきた。この青年はどこまであの忍にしてやられているのか。だが、その様が目に浮かぶのだ。それに、相手が政宗であれば小十郎とて同じような事をするだろう。そうしてどこかで納得してしまう自分がいて、思わず苦笑が零れた。すると、それまで黙っていた政宗が肩越しに振り返り、やれやれと言った風に肩を竦めながら口を開いた。
「なぁ、押して駄目なら引いてみろって言うだろ?いっその事、解雇してやったらどうだ?」
「それは出来ぬ!そんな事をしたら、佐助は絶対に戻って来ぬ!」
「それが解ってるんなら、アイツが根を上げるまで押しまくればいいだろ。アンタの十八番じゃねェか」
「……!」
核心を突く言葉に、幸村がグッと言葉に詰まった。そんな彼の様子に、やっぱりかと政宗が小さく嘆息した。
「心の中に迷いがあるから、はぐらかされても追わねェんだろ?それじゃいくら問答したって何も変わらねェ」
「……」
「ま、離れて行こうとしてる相手を追う事ほど怖い事はねェけどな。それでも離したくないなら、追うしかねェんだぜ」
幸村が拒絶を恐れている事を政宗は察していた。小十郎は静かに目を伏せ、微かに頭を下げた。政宗もその恐怖、その痛みを知っている。追って、追って、追って、それでも届かずに諦めた。その痛み、その哀しみを知っているのだ。
「佐助……」
手綱を握り締め、幸村がポツリと呟いた。心細そうな、まるで置いて行かれた子供のようだ。だが、それでも動けずにいる彼の代わりに政宗が動いた。手綱を引き、馬の首を返したのだ。
「あ〜、ッたく!らしくねェ!ウダウダ悩んでたって何も変わらねェだろ!行くぜ、幸村!」
「え?ど、どこへ?国境は向こうでござる」
「どう見たって今のアンタに俺達の護衛が務まるとは思えねェ。逆に護衛が必要だろ?そんな腑抜けた奴とrivalだなんて俺はご免だぜ。さっさといつものアンタに戻れ」
「し、しかし……」
「Shut up! 来ねェなら、置いて行くぜ」
掛け声と共に馬の腹を蹴り、政宗が駆け出した。佐助が向かった方向だった。
「ま、待たれよ、政宗殿!まだ曲者が近くにいるかも知れぬのに!」
慌てて馬の首を返して、幸村が後を追う。小十郎も黙って二人を追った。政宗が背中を押す役を買って出たのだ。以前、小十郎が彼にそうした事を、次は彼が幸村にしているのだろう。そんな主人の成長を嬉しく思い、口元が自然と綻んだ。が、
(問題は猿飛の方か)
向かった先の事の方が気掛かりだった。佐助は弁(わきま)えている。そして、弁(わきま)えていた。だが、そのタガがどこかで何かの拍子で外れたのだろう。今はそれに戸惑い、迷っているように見える。彼もどうしていいか分からずに、距離を置く事で気持ちを切り替えようとしているのだろう。
「いい時期に来たかも知れねェな」
思わず零れた。遅くも無く、早くも無く。問題解決にはいい時期だろう。この時、小十郎はそう思っていた。
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