灰華蒼月珠

□プロローグ-1-
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「……うそ、だ」


 思わず、と言った感じに少女――レンカは声を上げた。それは、少女にとって目の前の光景が信じられないものであったために、自然と上げられたもの。

 あたりに充満するは、鉄錆の臭い。鉄棒を触った後、知らずの内に手にこびり付いているような、良いにおいとは言い難いその臭気。擦り傷をつくった時に出る血の臭いより、鼻血を出した時より濃厚に香ってくるそれは、この部屋のどこに行ってもレンカについてまわった。


 ――なに、なに、なにッ!?


 へたりと膝をついてしまう少女をあざ笑うかのように、少女の前に、それはなお存在し続けていた。素足から伝わる床の温度は、目の前で起こっている出来事を否定しようとして、冷静になろうと急速に冷めていくレンカの心のように冷たかった。
 いまは、レンカのことを閉じ込めるかのように、心臓を圧迫してくる、部屋をぐるりと囲う壁には、おびただしいほどの赤が付着していた。その赤の"出所"を辿っていくと、そこにはへたり込むレンカとは別の少女――否、モノがあった。


「――……っ」


 レンカは、自分の前に在る少女に手を伸ばす。その肌はひやりと冷たく、彼女が座りこんでいる床の様であった。


 いやだ、どうして……返事をしてよ、


 現代、こういった場面を見たときに、一番努めなくてはいけないことは、現場を維持することだということは、知識で知っていたが、レンカは――を抱き寄せた。レンカには、そっけなく倒れている少女の肢体がまだ生きているように見えて仕方がなかったから。――の体から流れているように見えるその血も、実は他人のものかもしれないというありもしない淡すぎる期待があったから。


「――……? ど、して……、ねぇ、ねえってば……、目をあけてよ」


 いつもみたいに、笑ってよ。お願い、と懇願しても、少女から返って来るのは耳が痛くなるほどの静寂だけ。

 むなしさよりも、悲しさよりも、なによりも。いまレンカの中を占めているのは、自分の世界が無くなってしまったかのような、消失感だけがあった。レンカはぽたりと落ちる自分の涙に気づかずに、ただただ、無心に――のことをかき抱く。そして、何を思ったかふらりと立ち上がろうとした所で、ぷつりと糸が切れたように、倒れ込んだ。


声が、聞えた。
「おいでませ、ウツシヨのわたし」



 
 

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