しまった!

□Y
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さて、段ボールと井戸から拾われて早一週間。何事もなく日が過ぎてくれればよかったのになぁ。と、目にうっすら涙を浮かべて空を覆う灰色の雲に思いを馳せる私は、残念ながら詩的なムードとは非常に程遠い。振り返れば、壊れた棚と雪崩を起こした調味料たちが厨房の空気を澱ませている。刺激臭が鼻を突き刺す。そして多分辛子的な香辛料が目に染みる。窓を開けて換気がてら軽い現実逃避。あぁ、新鮮な空気が美味しいなぁ。



「アリエス!何だ今の音は…痛っ目が痛っ」

「あー、おはよっすペテグリューさん」



噎せるペテグリューさん。ギョロ目が涙で潤んでいる。可愛くは、ない。うん、頭が残念な経路で禿げかけている彼に可愛さを求めたのが間違いだ。どうせなら拾い主様の様にすっぱりツルンといってしまえばいいのに。とは思うが、口には出さない。ペテグリューさんはきっとスキンヘッドが似合わないタイプだ。私の言葉に従うとは思えないが、剃ってしまってから文句を言われても困る。
ネズミと言うだけあって鼻が敏感なのだろうか、盛大なくしゃみを連発して、厨房の入り口付近で苦しみ悶えている。あっは、可哀想に。



「ご覧の通り、調味料の棚が決壊しましたがそれが何か?」

「げほっ…何で、そんなに…っ上から目線なんだ、お前はっ」

「厨房に居る限り私の天下ですよー悔しいならマカロニくらいまともに茹でれるようになれってんです」



どうせ此方まで寄って来れないので、ここぞとばかりに八つ当たる。
ペテグリューさん自体は別に嫌いじゃない。物音を聞きつけて走ってくるくらいだ。少しは私を気にしてくれているらしいし、たまに生理的に受け付けない嫌な視線を送ってくるくらいで、他には特に嫌う理由もない。だけど喋る人型ネズミという点は無理だ、許容範囲外。ネズミだなんてあの頭文字Gと並んで料理人の敵じゃないか。私がこれまで戦いを挑んでは負け、挑んでは馬鹿にされたあの哺乳類。奴らは電線をかじるし食材を食い漁るし、何といっても衛生面が最悪だ。
というわけで私はペテグリューさんに必要以上に近づきたくない。向こうからしたら理不尽だと思うが、そこは譲れないのだ。ポリシーっていうか料理人の常識。

そんなわけで衛生を非常に気にする私からすれば、この埃や害虫まみれで日光不足なこの屋敷が我慢ならない。厨房は前任者のおかげか比較的マシだが、それでも間にペテグリューさんが荒らしに荒らしているため無事とは言えない。この七日、私は食材調達と掃除に明け暮れた。正直そんなにかからないと思うが、そこは私のうっかりクオリティ。バケツをひっくり返すなんて茶飯事よ。それでも一週間頑張って漸く活路が見えかけていたのに。老朽化した調味料の棚が崩れてどんがらがっしゃん…って何の仕打ちだよコレ!



「ま、どうせ私ごときには扱いきれない香辛料とかいっぱいありましたもん。名前も分からないし、見たこともないし。何ですか、前任者は神ですか」

「いや、料理人のフリをした奴だった」

「料理人ですらなかった!うわ、何かすみません。取り柄が料理とか言っちゃって申し訳ないことこの上ないですよ。世界中の料理人に謝ります謝らせてください、ごーめーんーなーさーい!

「五月蝿い!我が君はまだ上でお休みに――っぶげほっぐっうぅぅぅ」

「えっちょっ何、えっえぇぇー!?」



噎せ方がレベルアップして、呻きだしたペテグリューさんは泡を吹き出した。香辛料にはそこまで威力があるのか、びっくりだ。痴漢撃退とか目じゃないよ。貴女のバッグに小さな用心棒っみたいな触れ込みで普及させたいくらいだ。痴漢って本当にタチ悪いよね。犯人の股間を潰して警察に連行したことあるけど、あの時は過剰防衛だって注意されたなぁ。でもこっちの心的被害も考えたら軽いものだと思う。とりあえずこの散らばった調味料たちを少し忍ばせておこうかな。ほら、いくら命の恩人っていっても貞操の危機アーッみたいな展開は避けたいじゃん。
おっと、ペテグリューさんが白目向いてるよ。あれ?何か手遅れな感じ?厨房では死なないで欲しいな。なんて本音は人道に反するので頭の片隅に追いやった。ネズミ云々を気にせず駆け寄りたいのだが、今私とペテグリューさんの間には調味料の大河が。物理的障壁ktkr。いや、何も喜ばしくないぞこの状況。だって、これを突っ切ったら私も二の舞だと思うんだが。寧ろ前は調味料、後ろは窓って逃げ場が無いのは私の方。え、どうするよ。一応アレだよ。ネズミ駆除とか外に逃がすタイプだから私。命は大事に、オケラもミミズも生きてるんだ。無惨に殺して祟られたくないじゃないか!まぁ私が近寄ったからと言って何が出来るでもないが、人―この場合は拾い主なご主人様を呼ぶくらいはしたい。何とかなるかもしれなくもない。
そうだ、呼ぶだけなら何とかなる。



「ご主人様ーヘルプですー」

「…本当に呼ぶ気があるのか、それは」



何だか疲れた顔をしたご主人様が現れた。睡眠不足の救世主の御成ーりー。











 
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