しまった!
□X
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「ぶふっふぇっくしょぃ」
可愛げも品位もないくしゃみをしたアリエスは、毛布に包まってカタカタと震えていた。魔法で水を払ってやることも出来るが、俺様にそれをする義理はない。こいつが勝手に井戸に落ちた。それだけだ。拾い上げてやっただけでもありがたく思え。
「ペテグリュー」
「はっ」
「暖炉に火を」
「かしこまりました」
あせあせと暖炉に近寄っていく小男は、一瞬くいと首をひねった。その小さな目がアリエスをいぶかしげに捉える。その視線に気づかないまま、ずびずびと鼻を鳴らす姿は、確かに俺様が助ける程の価値があったのか疑わしい。いや、正直ない。料理の腕は良いようだが、あれくらい他の者でも変わりは利く。容姿も特別良いわけではなく、言動も女としてギリギリなレベルだ。それに、水を組みに行って身投げする馬鹿だ。よく考えればあの井戸は杖がないと使えない。大方汲み方に悩んで井戸を覗いて落ちたのだろう。つまりはマグルだ。総じて、俺様が直々に手を貸す相手ではない。それくらい、鼠にも分かるらしい。暖炉を暖め此方に戻ってきたペテグリューは、今度はあからさまにアリエスを睨み付けた。
流石に気づいたアリエスは首を傾げる。濡れた髪が一束、肩に落ちた。暖炉のお陰か震えは止まっている。唇も幾分赤みを帯びてきた。ぶしつけな視線に対して恐怖はないらしい。どこまで図太いのか。
「何者なんです?」
「路地裏にいた」
「言って下されば、料理人くらい連れてきましたのに」
「たまたま拾った人間が料理人だっただけだ…アリエス」
「ふゎっはいぃ!」
「こいつはペテグリュー。この家の鼠だ」
「わ、我が君!」
「ネズミ?確かに出っ歯な辺りがぽいですけど、喋ってますよ?」
「人語を解す鼠だ」
「マジっすか!?えーと、ペテグリューさん?初めまして、私はアリエスっていいます。不在中に住み家を荒らすような真似をしてしまってごめんなさい」
本気で目を丸くして頭を下げる。馬鹿だ。こいつ馬鹿だ。ペテグリューも若干口端が引きつっている。だが不思議と苛立ちはない。寧ろその光景が可笑しくて、くつりと喉が鳴る。
世界を掌握せんとする俺様を恐れない―否、恐れるべき存在であることすら気づいていない哀れなマグルは、愚かで、珍しくも愉快な存在だ。
「アリエス」
「はい」
「料理は悪くなかった」
「いやぁ、それほどでも」
「厨房は好きに使え。他のことはペテグリューに聞け」
「…へ?良いんですか?」
「俺様がわざわざ拾ってやったんだ、俺様のために働け」
「いや、確かに拾われたし助けてもらったし、もう奴隷でもメイド服でも何でもいいんですけど…」
メイド服?着たいのか?というより、奴隷でもいいのかお前は。せっかく料理人という地位をくれてやったのに。命の恩人というのは、これはなかなか良い位置関係になったかもしれない。服従の呪いなんかじゃなく、心の底から支配したも同然だ。命令せずとも、忠誠を誓う。多くの死喰い人のような恐怖政治ではない。それは何とも、心地よいではないか。
まぁそんなことはさて置き。何やら考えるそぶりを見せて、アリエスは深く俯く。言いよどんで、止めて。口をもごもごさせながらもう一度俺様を見上げた。その目付きが…いや、
「私なんかを、使ってもらえるんですか?」
「…お前に拒否権があると思うか?」
「あ…あははっそうですね!じゃ、目一杯働くんで、改めて宜しくお願いしますご主人様…我が君の方が良いですかね?」
「そのままでいい」
懐かれてしまって良いのだろうか。
戸惑う眼差しが、ほんの少し色づいて見えたのは気のせいだ。