しまった!

□V
1ページ/1ページ


はてさて、どうして目の前にスミスさんがいるのだろう。
彼は前の家の隣に住まう動物狂いの渋いおじさんだったが、年のわりに髪はふさふさしていた人だった。むしろアフロだった。もしかして山羊にでも食われたのだろうか。残念だ。だけどスキンヘッドも似合わなくもないから安心してほしい。けれどここで似合ってますと言っていいものなのか。励ましという名の嫌味にしかならない気がする。
こういうとき、私は気の利いたことを言えない。いや、言える人が果たしているだろうか。髪の毛だなんてデリケートな問題には触れずに行きたいのだが、ついうっかり毛根死滅だなんてワードを吐いてしまったからにはフォローは必要だ。とりあえず謝るべきだろうか。謝って済むのか分からないが。それより、謝ったら逆に失礼か。いやいや気にしちゃいけない、今猛烈にスミスさんの視線が痛い。早く何か言わねば。



「すいません悪気はなかったんですごめんなさい!いきなりのことに少し驚いただけです、大丈夫、思いの外お似合いですから、格好良いです、はい」



スミスさんは、顔色ひとつ変えなかった。
や っ ち ま っ た。

どうしよう、かなりお怒りの様子。この人こんなに威圧感のある人だっただろうか。怖い、目が怖い。怖すぎる。
というか、そもそもどうして私はスミスさんの目の前にいるのだろう。今気づいたが、ここは室内だ。ダンボールハウスじゃない。しかも結構豪華なお屋敷だ。暗いけど。埃っぽいけど。もしかしてスミスさんの家だろうか。同じボロアパートの隣がこんな部屋だ何て、大家さん、何の冗談だ。



「おい、女」

「はいぃぃい!」

「名前は」

「へ、え、名前…ですか?」

「お前は俺様を誰と勘違いしてる」

「お隣に住んでたスミスさんじゃ…」

「違う」

「まさかの別人!?え、じゃあ誰ですか貴方!」

「お前の拾い主だ」



冷めた目で見下すスミスさんのそっくりさん。え、じゃあスミスさんのアフロヘアーは守られたのか。とか見当違いのことを考えている場合じゃない。
どうして見ず知らずの人がこんな至近距離に立っている。ダンボールはどこにいった。親切な先住民の方々はどこに消えた。まさか本当に拾われたのか私。寝る前に何か聞こえた気がしたが、あれ、幻聴じゃなく本物だったとか?だって俺様。何者だよ俺様。これから私はメイド服を着る羽目になるのか。貞操の危機はご勘弁願いたいのだけど。拾われる気自体全くなかったのだけどっ。



「私に何か御用ですか」

「用はない」

「ならどうして拾ったんです?」

「拾ってほしかったのだろう?」

「あれは偶然拾った高性能ダンボールに書いてあっただけで、私が書いたものじゃありません、断じて違います!というか拾いますか、普通。犬猫じゃないんですよ?犬猫も責任もって拾ってくれなきゃ困りますけど、私人間ですからね?貴方と同種のホモサピエンスですからね!?」



ぜーはーと息が切れる。これが落ち着いていられようか。正念場だ。誰か夢だと言って下さい。出来ればレストランを首になる少し前から夢だと言って下さい。



「おい女、名前は」

「言いたくありません」

「喜べ、俺様が直々につけてやろう。あぁ、人間の尊厳を無視はしない、選択肢はやる。ポチとタマ、どちらが良い?」

「ペット感覚ですかこのやろー」

「まずは飼い主への態度から躾けることにするとしよう。俺様の部下にはそれはそれは悪趣味な人間が山ほど居てな…」

「名前はアリエス、23歳女、趣味と特技は料理です!他に使い道はないと思うんで、厨房に押し込んでくださると嬉しいです」



ははっ私に誇りとかないからね。怪しげなフラグを回避するためなら、いくらでもひれ伏してやります。もう拾われたことには諦めがついたから、後は自分の処遇を出来るだけよくすることに専念するんだ私。
うっかりさえなければ料理は出来る。アピールポイントは残念ながらそこしかない。こんなお屋敷で、しかも部下まで居るような人だ。きっとコックを雇っているだろう。その人の代わりに私は如何でしょう。給金かかりませんよ、衣食住さえ完備してくれたら。ほら、軽く軟禁に近いけど、ダンボール生活に比べたらマシ…なのか?うん、雨風にさらされることなく、コンクリートに雑魚寝だろうが地面に新聞紙一枚で寝るよりマシだ。ポジティブに行こうぜ、私。もう一度住めば都精神だ。少なくとも、あのままダンボール生活をしていても、きっと職は見つからなかったしそのまま野垂れ死んでいてもおかしくなかったんだから。

良い笑顔で自己紹介を決めた私に、彼は目を細めた。目覚めて数分の付き合いで、その微妙な表情が何を意味するのか分かるほど聡くない。



「料理、出来るのか…?」

「はい!前はそれなりに有名なレストランで働いていましたから!」

「ならどうしてあそこに居た?」

「あははー聞かないでください。人の傷口掘り返して楽しいですか?」

「あぁ、楽しいな」

「性格割るいっスねご主人様」

「良い褒め言葉だ」

「ありがとうございます」

「で、出来るのだな?」

「人並み以上には。あの…今雇われている方は?」

「つい先日消したところだ。あれ以来ペテグリューの奴がつくっていたが、不味くてかなわん。そのせいか近頃体調が悪くてな」

「あー、食生活ってもろ体調に影響与えますからね。大丈夫、私が栄養満点の美味しいもの作って差し上げようじゃありませんか!」

「そうだな、任せる。部屋は前の料理人のものを使え。男物だが服などは残っているはずだ」



何とか存在価値は認められたらしい。顔色がもの尋常じゃなく悪いのは、食生活の乱れが原因だったのか。Gjペテグリューさん、誰か知らないけど。にしても、なんて良いタイミングだろう。これでメイド服を着なくて済む。
果たして喜ばしい事態かどうかは甚だ微妙。一般的にみれば誘拐されて家事を強いられる可哀想な人間だが、何事も楽観的にいくのが私。そして楽観的過ぎて不安要素をまるっと忘れてしまうのも私。
成人して大分経ったが、これでいいのだろうか。何て悩むまもなく、軽く奴隷生活の始まりが決まってしまった。おーまいごっと。こんな人生アリですか。

敢えて「消した」という単語に突っ込みは入れなかった私は偉いと思う。知らなくて良いことが、世の中の大半を占めているのだ。








許されてしまった。

就職先が決まったということで良いのだろうか。



 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ