長編集

□洒涙雨 new!
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以前の近藤であれば、何よりもまず皆の心配をしただろう。だが新選組が巨大化していくに連れ、近藤は変わっていった。屯所にいる時間は減り、出仕している時間と会議に赴く時間が増えた。夜は夜で祇園や料亭で政治談義に花を咲かせ、そのまま数多い妾宅へ行き戻らない日も多い。今現在実質的に新選組を動かしているは副長の土方だった。初めのうちはそれで良かった。夜遅くでもその日の隊務の報告を聞き、労いの言葉を掛けていた。そんな近藤に、隊士達は着いて行った。だが今はどうだ。一任していると云えば聞えは良いが、何もかもを土方に押し付け直参旗本と云う身分に浮かれきっている。永倉や原田などはあからさまに嫌な顔をしているし、隊士の中には不穏な動きもある。それらに関しては、近藤に報告を上げている。もう少し内部に目を配るべきだとも進言した。苦言を呈した土方に、近藤は笑いながら

「お前がいれば大丈夫だろう」

そう言っただけだった。
土方自身、どうしたいのか分からない。横面張り倒して目を醒まさせ昔に戻って欲しいとも思う、今のままでどうするのかやってみろとも思う。だがそのどちらも出来ないのも良く分かっていた。近藤が変わってしまった一因は自分にあると土方は知っていたからだった。
池田屋騒動で名の知れ渡った新選組の顔である近藤に負けは許されなかった。命を狙われる危険も増大した近藤を市中に行かせる訳にはいかず、大将らしく屯所で皆を鼓舞してくれと言ったのは他でもない自分だった。剣を振る機会を失った近藤は、会津藩邸で政治談義をするしか無かった。いつしか近藤はすっかり政治家気取りになっていった。無理もない。そうしなければ新選組に居場所が無かったのだ。居場所を見つけるまでの苦悩はどれほどだっただろう。一度も口にしなかった辛い思いはどれほどだったろう。新選組をまとめあげ、警備組織としての地盤を固めるのに必死で、近藤の変化を見落とした責任は自分にある。近藤を責める資格が自分には無いと土方は知っていた。
何故…また土方は自分自身に問掛けていた。こうして問掛ける事が最近の土方は多かった。何故皆変わってしまったのか、何故時代は変わるのか、何故…思っても仕方の無い事ばかりが脳裏をよぎる。自分の手で変えられる物なら、何も怖くはない。どんな手段を使ってでも変えるだけだ。しかし今土方の目の前に置かれた事実は、どうやっても変えられない。人の思いも、運命も、土方の手腕をもってしても変えられない。思い知ったそれが怖かった。
思考は縮に乱れ、まとまらない。自分が考える様々な事も何処か他人事で浮いていた。現実離れした感覚は、何をしても何を見ても戻っては来なかった。可笑しいと自分でも感じていた。どうしてしまったのだろう。こんな事は生まれて一度として無かった。バラガキと言われた少年時代でさえ、自分の思いは確固たる物だった。だがこの雑然とした感覚は尻の据わりが悪く、自分の考えが思うようにままならない苛立ちと焦りが土方を蝕んでいた。判断力は精彩を欠き、八つ当たりに近い感情は近藤を始めとする身近な人間に向けられていた。彼らにしてみたらとんだとばっちりだ。分かっているのにやめられない事に、更に苛立ちは増していく。しっかりしなくてはと叱咤するのも虚しい。思考の袋小路に迷い込んで抜け出せない、今の土方にはそれすら分からなくなっていた。

「くそ…っ!」

ぐっと力の入った手の中で墨がポキリと折れた。

「邪魔するよ」

スウッと開いた障子にハッと我に返った。慌てて見上げると神妙な顔で井上が立っていた。
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