長編集

□明告鳥
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「はぁ?自分で行けば良いだろう?っていうか何で私なんだよ?」
「3人娘がお前を見てるからだ─っ!遠慮すんな!」
「遠慮なんかしてないけど…こういうのは苦手なんだってば」

心底困った顔を藤堂と斉藤に向けるが、浮足立っている二人には何の効力もない。口々に「頼む」と言って総司の拒絶の言葉など、右から左で聞いてもいない。

「…もうっ!分かったよ!行けば良いんだろ、行けば!相手にされなくても私のせいにするなよなっ!」
「さすが総司っ!恩に着るぜ!」

半ばヤケクソで言い捨てたが、喜ぶ二人の耳には届かない。満面の笑みと揉み手で見送る藤堂と斉藤を恨みがましく睨み、しぶしぶと仕方なしに娘達の方へ足を踏み出した。その途端──

「何処へ行く」

突如背後から浴びせられた地を這う土方の声音にドッと冷や汗が吹き出す。

(忘れてた…)

背中を流れる嫌な汗の感触は、江戸にいた頃にはよくあった。しかし京に来てから先行の見えない生活が続き、誰もが大なり小なりの不安を抱えていたせいで、土方の癖のような悪戯じみた行動をすっかり忘れていたのだ。総司は此処暫くご無沙汰だった空気感に小さく舌打ちをすると、立ち止まって大きな溜め息を吐いた。覚悟を決めてくるりと
振り返ると、紅い半襟を覘かせた黒い着流し姿の土方が、予想通りに腕を組みニヤけて立っていた。

「あれ?土方さん、来てたんですね。」

貴方が楽しめるような事は何もしてませんと云う風ににこりと笑って見せるが、無言であっさりと流され、ますます落ち着かない雰囲気が漂う。

「土方さんも狂言をご覧になるんですか?」
「ああ。だが女と一緒見る予定は無いな」
「…人が悪いなぁ。聞いてたならもっと早く止めて下さいよ。」

神出鬼没、地獄耳、不思議と言うより不気味な程、聞いて欲しくない居て欲しくない時現れる。それも必ず気配を消して忍び寄り、一番嫌な時に唐突に声をかけて来るのだ。顔色無くして立ちすくむ相手の様子を楽しむ為に態とやっていると、現れるあまりの間の良さに本気で皆そう思っている。今もおそらく初めから聞いていて、総司がどうするのか興味津々見物を決め込み、ウズウズしなから潜んでいたのだろう。
土方の肩越しに藤堂や斉藤が、真っ青な顔をして必死に謝っている様子が見えるが、それに応えてやろうとは思えない。彼らだって何度もやられているのだから、こうなる事くらい予想が着いたはずなのだ。もっとも、自分もすっかり忘れてしぶしぶとは言え動いたのだから、とやかく言える立場では無い。諦めて視線で「今の内に逃げろ」と合図を送れば、総司を拝むようにして2,3度頭を下げ、脱兎の如く去って行った。
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