長編集

□明告鳥
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竹を斬るのは難しい。気合いと技術、どちらが欠けてもその切口は乱れてささくれ立つ。己れの腕を試すにはもってこいだ。
あまり手入れのされていない地面からはにょきにょきと、食べるには育ち過ぎた竹の子が四方八方に向けその剣先を伸ばしている。中にはまだ頭に茶色い皮を付けたまま、空に突き刺さりそうな程真っ直ぐに高く伸びているのもある。
総司はその内の1本を選ぶと、刀を抜いて竹の前に佇み、半身を開き中段に構えた。腰を落とし、グイと見据え、呼吸を整える。一気に振り上げ気合い両とも袈裟に振り降ろす。

ヒュル…ッ!

一陣の風が巻き起こる。

ザザ…ッ

風が止み、目の前の竹がその姿をズルズルと崩す。刀を鞘に戻し、すぃと近付きその切口を確認した。滑らかで、僅かな引っ掛かりもない。見事…まさにその通りだ。総司は満足そうに笑った。
一歩二歩と後ろへ下がり間合いを取ると、短くなった竹の前に再び構えた。今度は先程より更に腰を落とし、やや前のめりに構える。刀はまだ鞘の中に納まったままだ。視線は一点に注がれる。僅かな動作で鯉口を切った次の瞬間───

ヒュッ!!

短く斬られた竹筒が宙を舞い、地面に落ちるより早く既に身体は隣の竹へと向き、切っ先を擦り上げるように諸手で斬った。

ザザ…ッ

半歩引いて次に向かう。全身から吹き出す闘気が辺りを焼き尽すようだ。勢い着いたまま真横に薙いだ刀は、斜め後ろにあった竹を綺麗に切断した。僅か半歩の間に3本、しかもうち2本の切口はほぼ水平だ。
天然理心流は、剣術の他に柔術,棒術からなる総合武術で、剣術には居合術や小太刀術も含まれている。総司も免許階伝,剣術師範であるからには当然居合術も修得している。片手抜き打ちから始まり諸手の剣捌きへ、居合いと剣術を組み合わせた太刀筋は、舞を思わせる程に流暢で美しい。
土方が若い頃「喧嘩は先手必勝」とよく言っていた。火事と喧嘩は江戸の華とはいえ、喧嘩に縁の無かった総司にはあまりピンと来るものではなかった。密かに憧れ尊敬している土方が言うのなら、いつか自分にも役に立つ時が来るのだろうと、まだ幼い少年だった総司は信じた。殴る蹴るの喧嘩は、稽古の一環で柔術を学んだとはいえどちらかと云えば不得意、実際に対峙したとしても体格の弱い総司が先手を取れる可能性は低く、ましてや多勢に無勢の状況になれば『三十六計逃げるに如かず』な事は火を見るより明らかで、上背に恵まれ場数も踏んでいる土方とではまるで話にならない。
そんな非力な総司も一度剣を持てば鬼神も斯くの如し動きをする。自分でもそれが分かっていたから自然剣術の“先手必勝”なら居合術だと考えるに至り、一人黙々と修練した結果、立姿勢の素早い抜刀から始まる流れるような一連の動きを作りあげたのだった。万が一囲まれた場合でも、一瞬で抜く最初の一太刀で正面の相手を退け、続け様にその両脇を斬り伏せられれば、それだけ自分の勝期が増し、活路を見出す事も可能なのだ。土方の言う通りだったなと、総司は思っていた。
藁束を斬るのとも、枝を斬るのとも違う感触が掌を伝う。肉を斬り骨を断つ感じとはどんなものか、総司はまだ知らない。自分の斬った命が消える瞬間、何を思うのだろう…だが、迷う事は許されない。もし迷えば、その時自分は、竹と同じく真二つに斬られて二度と再び息をする事はないのだ。
江戸の頃は、貧乏浪人を絵に書いたような生活と、下働きと稽古に明け暮れる生活。竹刀や木刀は振っても、生きている人間に向かって刀を振る事など一生無いと思っていた。だが京に来て、何もかもが変わった。剣術師範になって弟子を取り、死ぬまで木刀を握り続けるのが、此れ迄総司が思い描いていた最高の人生であった。
だがしかし、今や遠い昔の戦国の世と同じく、主君に仕え、真剣に命を掛ける武士としての人生に変わろうとしている。まさに転機であった。もし山南が浪士隊募集の話を持って来なかったなら、自分は今も道場で、近所の子供に稽古を付け、フデに八当たりされながら働いていただろう。
天へ届けとばかりに真っ直ぐ伸びた竹が風に揺れて、総司の頭上でザワザワと音を奏でる。たわんで揺れて、ゆらゆらと、止まる事なくしなり続ける。総司は再び竹に目を向け構えた。
ギィ…ンと響く金属音の合間に、崩れる竹の葉のザワザワと擦れる音が混じる。手にした真剣と心で語らうかのように、総司はひたすらにその腕を振るい続けた。
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