長編集

□明告鳥
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「やぁ、ぇぇ…と」
「…沖田です」
「沖田!そう沖田君。いや失敬!耳が早いなぁ。今一度江戸へ戻って新たな同士を募るのだよ。人手は多いにこしたことはないからな。もっと腕の立つ者を集めてくるから楽しみにしてくれたまえ」

お前達では役に立たないと言ってるも同然じゃないかと心中密かに呟いた。しかも名前すら覚えていない。覚える必要さえ感じ無かったと云う事だろう。鳩尾がチリチリと粟立つように苛立った。近藤は、総司が感じたこの苛立ちを、殿内と会話する度に募らせて来たのだろう。上司にあたるこの男を、亡き者とする事も厭わない程の憎悪と成るまで溜め込み、今にも吹き出そうとしている。
ふと、すぐにでも斬り捨ててしまいたい衝動が沸き起こった。無意識のうちに腰へと手が滑ったが、残念なことに其処には何も無かった。浪人とはいえ武士にはかわりないのに、普段から帯刀する習慣が、総司には無い。小さい頃から掃除洗濯が生活の中心で、どちらかといえば腰に刀があるのは邪魔だった。元より稽古の時は木刀であるし、腰に差すより振ってる時間が長く、終われば元の場所へしまってしまう。呑気な事この上ないが、今の今まで必要性と云う物を一度も感じなかったのだ。
これはいけないなと、妙に冷静に思った。刀は武士の魂なのだから、出歩く時は忘れないようにしようと、心中密かに決めて頷いた。
そろりと動いた手をそっと元に戻す。今すべき事は、感情に任せて斬る事では無いと、自分自身に強く言い聞かせた。先ずは殿内の予定を聞き出さなくてはならない。

「…出立つは何時ですか?盛大にとはいきませんが、同じ江戸の誼で、試衛館の皆で一席設けますよ」
「それは有難い。もうすぐ壬生狂言なるものがあると八木の御当主から聞いた。土産話にそれを見て行こうと思っている。」
「あれ?もうすぐじゃないですか。随分お急ぎなんですね。」
「早い方が良かろうと思ってな。見物したその足で江戸へ向かうつもりだ。」
「本当に随分お急ぎなんですね。何時…といっても、いろいろ御支度があるでしょうから、狂言を見た後で少しお時間頂けませんか?それとも出立つ前に一杯ってのは、差し支えありますかね?」

大きな瞳を見開いて、ひょいと小首を傾げて尋ねた。とても二十歳近い男のする仕草では無い。が、まだまだ幼さの残る外見のせいか、恐ろしい程違和感が無い。

「いやいや折角の申し出だ。断るなど申し訳ない。有難く寄せて貰うよ。」

小柄で少女めいた面差しの総司に、可愛いらしく尋ねられれば、男と分かっていても悪い気はしない。さすがに鼻の下を伸ばすような事はなかったが、殿内は警戒など微塵もない顔で、にこやかに答えた。

「それは良かった。では当日を楽しみにしていて下さいね。」
「かたじけない。」

軽く会釈をしあい、総司は殿内に背を向けた。
決行日は決まった。誘導したきらいはあるが、とにかく欲しかった情報は手に入った。先ずは良しとしなければ…。土方に報告へ向かう為にゆっくりと歩きながら、自然に笑みが浮かんできた。
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