長編集

□明告鳥
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「土方さん、土方さんっ!」
「おわっ!?何だよ、騒々しい奴だな」

木刀を振っていた背後から走って来た勢いごと総司抱きつかれ、よろけながらも無様に倒れる事だけは免れた。首を回して肩越しから見えた総司の表情があまりに嬉しそうで、不覚にも吊られてちょっとだけ笑ってしまった。背中に早い鼓動が伝わってくる。

「先生が私に頼むと言って下さいました!」
「ほぅ」

きゅうっと握り締められた総司の拳を包むように手を重ね、トン、トン、とそっと叩いた。

「ありがとうございます。土方さんが言って下さったんでしょう?」
「ただ、昔話をしただけだ。近藤さんが自分で決めたんだろ。俺は関係無い」
「またぁ、すぐ格好付けるんだから」

クスクスと小さな笑い声がした。ムッとして、振り向きながら総司の腕を掴んで引っ張り向き合うと、額が触れる程顔を寄せ睨んだ。

「お前なぁ…」
「大好きですよ」
「…そりゃどうも」

ニコッと笑いながら抱きつき、さらりと凄い事を言う総司に、柄にも無く赤面してしまう。そんな自分が気に入らなくて、殊更ぶっきら棒に返事をしたが、総司の方は一向に構う様子は無く、抱きついたままだ。

「クソガキ、しっかりやれよ。」
「もうガキじゃありませんよ。」

腰に手を回して軽く抱き寄せ髪の匂いを嗅いだ。土方は総司の匂いが好きだった。体質だろうか、幾つになっても子供のような柔らかな匂いがするのだ。変わらない香りに安心して落ち着く。ふいに耳元に口を近付けて、ニヤリと笑いながら囁いた。

「ガキじゃない所は知ってるさ。」

言いながらそろりと臀を撫でれば、茹で蛸よりも赤い顔して離れようとするが、腰を掴む手に力を入れて逃さない。

「真っ昼間から何すんですかっ!!」
「別に何もしないが?」
「この手は何ですか、この手はっ!?」

むぅっと頬を膨らませて、臀を這い回る手をガシと掴んだ。

「ガキじゃない所を教えてやってるだけだろ?」
「教えて頂かなくても知ってますから…っ!!」

自分で言ってしまってから気付いたのか、項まで真っ赤に染めてしまっている。その様子にほくそ笑み頷くと名残惜しい感触から手を離し、ふんと鼻で笑って見下ろした。

「ま、おちょくるのはこの辺にしといてやるよ。」
「…」

睨み上げてくる上気した顔から視線を外し、ほんの少し身体の向きをずらした。

「さてと、真面目な話だ。」
「…本当ですか?」
「おい、それは失礼だと思わねぇのかよ。」
「思いません」

きっぱり言い返されてしまい、思わず口をつぐんでしまう。胸を張って自分を見ている総司を軽く睨んだ。

「ったく、口ばっかり達者になりやがって。」
「昔からです」
「そうかよ」
「はい」

口が達者なのはお互い様なのだが当人同士は全くそうは思っていない。結局のところ似た者同士なのは、他の者なら皆が知っているのだが。

「兎に角、殿内の出立つが何時なのか調べなきゃなんねぇな」
「殿内さんに聞いたら良いでしょう?」
「はぁ?貴方を闇撃ちするんで出立つは何時ですかと聞くのか?馬鹿め」
「馬鹿とは何ですか。酒の席を設けるからと聞けば良いでしょう。難しく考えるから悪いんですよ」

豪胆なヤツだなとブツクサ言ったが、確かにそうだと土方も同意した。
江戸を離れる時、道場に通って来ていた人達が開いてくれた宴席を思い出す。殿内とて江戸の人間、同郷と言えなくもない自分達の申し出を怪しむ事は無いだろう。

「私が聞きますよ。あの人私の事など気にしてないようですから」
「余計怪しくないか?」
「では、試衛館一同で宴席を設けるという事ならどうです?それなら塾頭の私が話してもおかしくないと思います」
「…お前、案外策士だな」
「やだなぁ、土方さんじゃあるまいし」

笑った顔の瞳だけが暗く光っている。初めて見る表情に肝が冷えて、全身総毛立つのが分かった。
これで良かったのかと自問した。総司の本気の剣筋を見切れる者はそういない。最近では宗家である近藤ですら、立合いの際余裕がない程だ。もし万が一、刀が肉を斬る感触に魅せられ、虜になってしまったなら…近藤が恐れた得体の知れない人斬りの化物になってしまうのか?土方は大きく頭を振り、暗い考えを追い払った。例えそうなったとしても、自分は全力で引き留めるだけだ。

「お前に言われたかない。ま、この件はお前に任せる。巧くやれ。但し、必ず俺に報告する事。分かったな?」
「承知しました」

ふわりと答えた総司には、先程の気配はまるで無かった。何時も通りの様子に胸を撫で下ろし、そんな自分に呆れながらも何処かで変わらないで欲しいと願ってしまうのだった。
采は振られたのだ。総てが動き始めた。一歩一歩踏みしめて肩を並べて歩く道は、総司には軽く、土方には重く、それぞれ違ったふうに感じられながら目の前に伸びていた。
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