長編集

□洒涙雨 new!
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近藤の妾宅から屯所までの僅かな距離を、土方は難しい顔でゆっくりと歩いていた。
強奪と言って良い形で手に入れた新しい屯所は広く豪華だ。道場はもちろん、大砲や小砲の訓練をする場もあれば、一度に大勢で使える風呂もある。煙たがられながら寺の一部を占領しているのとは訳が違う。砲術の訓練をするのに前以て断りを入れる必要も無く、肉を料理するのに躊躇する必要も無い。もっとも、土方自身は一度として気にした事はないが、大勢いる隊士の中には何と罰当たりなと嘆いていた者もいたであろうから、これで誰もが晴々としていられるだろう。漸く手にした自分達の『城』だった。壬生の屯所は八木一家や前川一家から半ば押し借りしたような形で、西本願寺は長州との繋がりを断つために睨みを効かせ資金が流れぬようする目的があった。長い間の圧力と嫌がらせが効を成し、西本願寺の全額出資で、ここ不動堂に新しい屯所が出来、移り住んだのはほんの少し前だ。誰に遠慮する事なく、堂々と使える。だが、土方は手放しで喜べずにいた。
増えに増えた隊士達の数凡そ二百、有象無象の集団をまとめあげるのは並の苦労ではない。高尚な理想と希望を抱き入隊する者、混乱の最中に一旗揚げようと云う者、或いは生活の術とし
て入隊する者…身分や経歴も違えば目指すものも望むものも違う。それらを一つにまとめあげ統一された動きを取るために必要だった物が、厳し過ぎると言われた規律であり軍律だった。試衛館からの同士ですら、反発を招きかねないと渋い顔を見せた程の規則があっても新選組が警備組織として成立していたのは、一重に局長の近藤の人望と明るく気さくな組長達の作る雰囲気に因る所が大きかった。自分が厳しい目で隊士を絞めあげ組長達が和らげる、近藤が手綱を握る新選組という馬はそうして今日まで真っ直ぐに歩いていたのだ。
だが時世は動き出した。薄氷を踏むような微妙な均衡の上に徳川の治世が続いていたこの数年、それでも自分達は頭を高くあげ足並みを揃えて同じ方向を向いていた。だが将軍家茂公が亡くなり、相次いで徳川幕府を擁護する姿勢を見せていた孝明天皇も崩御された。その後継者として徳川幕府が新しく将軍に担いだのは今まで後見職にあった一橋慶喜であった。一方新しく次代の天皇として践祚されたのは第二皇子である元服前の若すぎる皇子だった。幕府ではなく徳川家存続の為に辣腕を振るう慶喜と傀儡と言っても過言ではない幼帝、今まで煮え湯を飲まされてきた討幕派にとってこんなに都合が良い事はな
いであろう。
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