短編集

□花祭り
1ページ/3ページ

朝からずっと、何処からともなく甘い香りが漂ってきていた。とても懐かしい気がして、上の空になりそうだ。

「花祭りか…」

独り副長室で、雑務に没頭していたが、今日が花祭りである事を思い出し、筆を置いた。腕を組み、そっと目を閉じる。
どうりで懐かしいはずだと思った。心の奥底に沈んでいた母の面影が、香りに呼び起こされていった。

土方は母の姿をはっきりと覚えてはいない。その腕に抱かれた事も、語り掛けられた声も、ぼんやり霞がかっていて、思い出すのはいつでも閉じられた襖だ。病床の母の傍へ行く事は禁じられていたから、いつも襖の前で座っていた。亡くなって、襖が開けられても、暫くは部屋に入る事は無かった。
母を恋しいと泣いた日々も寂しさを紛らわせるかのようにがむしゃらだった日々も、既に色褪せて静かに記憶の中にある。ただ、甘茶の香りは無性に母を思い出させて、胸がうずくのだ。

.
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ