長編集

□明告鳥
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ごめんなさいよ、ごめんなさいよと声を掛けながら時折歓声の上がる人垣を掻き分けて、漸く見慣れた顔の一団に辿り着くと皆舞台を食い入るように見つめ、口元は楽し気に綻んでいた。総司と藤堂の姿を見つけた近藤が、不思議そうに尋ねる。

「歳は一緒じゃなかったのか?」
「さっきまで一緒でしたけど…」
「酒の仕度に戻ると言ってました」

言い難そうな総司を察して藤堂が言葉を継いだ。
二人の様子に何かあったと気付いたのであろう、それ以上は何も追及せず、そうかと一言にこやかに言っただけで、再び舞台へ視線を戻した。つられるように総司も視線を上げた。だが視線は仮面劇の上を滑って通り過ぎ、何も見えてはこなかった。
何故こんなに落ち着かないのだろうか、考えは巡り廻ってそこへ戻る。この何日かの間に、自分の周囲りは一生分と言っても過言ではない程に変化した。近藤から一人前と認められ、土方には相棒と認められた。叶う筈の無かった願いが叶い、夢ではないかと不安だった。目が覚めたら全ては元通りで、近藤にとっての自分は相変わらず惣次郎のままであり、土方に守られるだけの存在に戻っているのではないかと不安だったのだ。あまりにも急激な変化に気持ちではなく精神が付
いていかれなかった。腹の底にくすぶる落ち着かなさが不安なのだと気付いていたなら、感じた焦りも怒りも対処の仕方があっただろう。嬉しかったから不安に目をつむり、ふさわしい自分で在りたいと願ったからうろたえる自分を叱咤激励した。浮き立つ足元を見る余裕が無い事を、高揚感に摩り替えていた。

(私はとんだ未熟者だ…)

自分がどんな状態にあるのか冷静な判断が出来なかった。混乱している心を素直に受け入れなければ、適切な判断も下せない。適切な判断が出来なければするべき事を間違えてしまうのは当たり前だ。己れを律する事がこんなにも難しい事を総司は初めて知ったのだった。土方に嫌な思いをさせてしまったと、泣きたい程に胸がチリチリと苦しくなっていく。

「答えは出たか?」
「?!」

頭上から降る優しい問掛けに、いつの間にか地面に落ちていた視線を上げれば、慈愛に満ちた近藤の、笑顔の中の緩やかな弧を描く細められた目が総司を見ていた。

「私は未熟者です…自分で変化を望んだくせに、恐れて、当たり散らしました」

わぁっと上がる歓声に消されてしまいそうな細い声でぽつりと呟いた。同等で在りたいと願ったのは他でもない総司自身だった。それなのに…土方の優しさの上
に胡座をかいた自分が情けなかった。ふがいない自分が悔しかった。
下を向いて唇を噛み締め、沸き起こる感情をぐっと堪える総司が、近藤には微笑ましく映る。誰に言われるでもなく、自ずから反省をし己の過ちを口に出来る、身贔屓と言われようが親馬鹿と言われようが何と言われようが、良くぞ気付いた天晴れと誉めてやりたかった。

「そう落ち込むな。変化を恐れるのは、当たり前の事だ。総司はまだ若いのだから尚更だろうよ。だが、それで良いんじゃないか?」
「え?」
「今の内に大いに悩め。大いに迷え。それが若さの特権だ。いずれその答えがお前の生涯において大切な糧となるはずだ。」

無駄になる経験は一つもない。この年齢になれば知っている事も、総司には新しい一つ。こうした失敗や後悔を繰り返し経験を積み重ね、懐の大きな人間になって欲しい。僅かな間とはいえ一度は兄弟だったのだ。総司ですら覚えていないかもしれない遠い昔の事ではあるが、近藤にとって総司はまるきり他人ではない。不思議な縁で繋がっている大切な“家族”なのだ。

「でも…土方さんを怒らせてしまいました」

自分自身にけりが着けば、やはり気になるのは土方の事かと、しょげ返る総司に思わず吹きそうになる。笑
っていて欲しい、幸せであって欲しいと願うのは当たり前だ。例えそれが、他の者からしたらどうしようもなくくだらない理由であっても、しゅんとした姿を見せられるのは本意ではない。子供扱いはしないと約束した手前、自分が仲立ちする訳にはいかないが、少しくらい手を貸しても良かろうと、気付かれないようこっそり笑った。

「あいつは怒ってなどいないさ。…そんなに気になるか?」

総司は小さく、それでも確かに頷いた。気にならない訳が無い。一人消えて行った背中を思い出す。全身で腹を立てていた。一度も振り返らなかった。あんな風に怒る土方は長い付き合いの中初めてだった。後悔が募る。あの時土方を引き留めていれば結果は違ったのだろうか。いや、事は更にこじれ、どちらも引くに引けなくなり、どうにもならくなっていただろう。あの時別行動を選んだからこそ今こうして己れを省みる事が出来たのだ。会って詫びたい。だがしかし…すぐにでも会いたいのに、拒絶される事が怖くて足がすくむ。後を追いたい…でも…。二つの相反する気持ちが総司の中で戦っていた。しかし、するべき事はもう分かっているのだ。行かなくては何の解決にもならない、ただ、踏み出す勇気が足りない。
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