Dream

□雨
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突然の背中への感触に、何が起きたのか理解に至るまで時間がかかった。

ダークブラウンのベストの上を這う彼女の震える手に力が込められて、これがぶつかっただけではなく背後から抱きつかれているのだとようやく分かると、飛び出るんじゃないかと思うほどに心臓が鳴り出す。

それはまるで警鐘のように早鐘を打つが、俺は頭の先からつま先まで駆け巡る甘い痺れに酔いしれてしまっていた。

背中から伝わる彼女の体温と激しい鼓動が、更に自分の胸を甘く痺れさせていく。

腹部にある白い手に自分の手を重ねると、緊張が走ったように彼女の身体がピクリと固くなるのが分かった。


「桂木さん…」


蚊の鳴くような彼女の声が聞こえると、俺は重ねていた手を掴んで自分の体から彼女の腕をそっと離した。

ゆっくり振り返ると、外された手を垂らしながら絶望的な表情を浮かべた彼女が、頬を濡らしながら立っていた。


…彼女の気持ちに、気づいてないわけではなかった。
自分を見つめるその視線に込められている意味が分からないほど愚かではない……だけど。


互いの置かれた状況や立場を考えるあまりに、俺がどうしても踏み出すことの出来なかった一歩を、この僅かな距離を…彼女は自ら歩み寄ってくれたのだろう。



身体を突き動かす衝動を、もう理性では押し留められなかった。



彼女の腕を掴んで引き寄せ、自分の胸にその身体を抱きとめる。
小さな体の輪郭をなぞるように腕を回し、彼女の髪に顔を埋めた。
彼女のシャンプーの香りを胸いっぱいに吸い込み、熱い吐息を吐き出すと、腕の中の彼女が身じろいだ。
腕の力を緩めると、目をぱちくりさせて見上げてくる彼女。
俺が微笑みかけると、彼女はふにゃりと顔を歪め、目じりに溜まっていた涙が筋となって頬を伝う。


泣かせてごめん。

何も言えなくてごめん。


胸の内だけで呟いて、緩めていた腕に再び力を込める。
そして、彼女の頭をそっと自分のドクドクと鳴り続けている胸に押しつけた。



今は、どうか…この鼓動だけで、許してくれないだろうか?

…まだ、言葉には出来ないけれど、君を思う気持ちはちゃんと、ここにあるから。




彼女の腕がためらいがちに俺の背中に回される。
遠慮がちに鼻をすする音が聞こえて、俺は彼女の涙を拭うようにそっと唇を這わせた。





俺たちはしばらくそのまま、互いの心音と止まない雨音を聞いていた。








END





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