T


□hope
1ページ/2ページ


一瞬の出来事だった。
グラン=パルスへ降り立ち、途方もなく壮大な大地を横断している途中避けられなかった戦闘。唯でさえ見た事もない生物が多い場所で刃を交えた相手はグランの死神と呼ばれる魔物で、
ファングが警告を発した時には、既に遅かった。

前線の守りを固めようと呪文の詠唱を始めたホープの目の前に、魔物が移動するまでは瞬きの間。
驚きに呼吸を凍りつかせたホープの視界に、しかし淡い桃色の髪が舞うのが刹那だけ―――映った。

「義姉さん!」

スノウの叫び声。
ホープを庇ってその鋭い爪を受けたライトニングが剣を振り上げた時には、魔物の姿は掻き消えていた。
振り抜いた剣を戻す事も、できないまま。
勢いよく膝をつくライトニングの腹部に滲む、鮮血。
ホープの瞳がこれ以上ない程…瞠られた。

「―――ライトさん!!」




hope



ライトニングを貫いた爪には毒があった。グランの死神と呼ばれる由来ともなる精神錯乱の毒。
それは、その人間の最も深い傷をえぐり返すという残酷なものだった。
身体の傷はヴァニラの高い治癒能力ですぐに塞がった。しかし。小刻みに身体を震わせるライトニングには、宥めるスノウの声も、ファングの手の温もりも伝わらず。
その制止を振り解いて、暗い森の茂み奥深くへと飛び込み、消えてしまった。

「ライトを止めろ!あのままじゃ危険だ!」

ファングの怒声。その言葉が何を意味しているかは、聞かなくても分かった。
服に隠れて見えないルシの烙印。心が折れるとシ骸へと変じてしまうそれは――――今の状態ではもたない。
反射的に、ホープは地面を蹴っていた。力の限りに。

自分を庇って怪我をした。

あの時、ファングは警告してくれていた。
戦うなと。
殆ど無意識だったとはいえ自分が戦闘態勢を取ってしまった。だからあの魔物は自分に向かって来たのだ。
本来であれば自分が受けなくてはいけない刃を、ライトニングが受けてしまった。自分を、守ろうとしたために。

後ろから追いかけているだろうスノウや仲間達の声も、徐々に聞こえなくなる。
一歩踏み込めば出られる確証もない、全てが途方もない広さを持つグラン=パルスの森。見た事の無い草木や鬱蒼と垂れ下がるツタを乱暴に振り払うと、小さな棘が皮膚を傷付け痛みが走った。
だが、それすらも構わずにホープは走った。
今できる全速力でも、遅すぎると感じた。

「ライトさん!!」

叫ぶ声に、答えは返らない。苦しさに歯を噛み締めながらも走るスピードを落とすことはせず。どれぐらい走ったのか、視界を埋め尽くすように生えていた木々が一気に開けた。
突然の高低差に身体が対処できず転倒する。猛スピードだった為草のクッションの上でもその衝撃は大きく、一度息をつめて腕を支えに上体を起こすと、驚くほど息が上がっていた。

ふと、自分ではない呼吸の気配。

弾かれたように顔を上げると、開けた小さな湖の畔で腰まで水に浸かって座り込むライトニングの、背中が見えた。

「ライトさん…っ!」

見つけた。
安堵と歓喜に笑みが浮かびかけた刹那―――しかしすぐに、呼び声は遮られた。

「来るなっ!!」

遠慮の無い、怒声。
駆け寄りかけていた足が強張り、止まってしまった。
こちらを振り向いて睨む彼女の瞳が…涙でぬれていたから。

「こっちへ…近付くな…!」

絞り出すように告げて表情を歪める彼女の瞳から止めどなく大粒の涙が零れ落ちる。それは…今までの彼女からは想像もできない、姿だった。
まるで頭を打たれたような衝撃がホープを凍りつかせた。

わかるのだ。この涙は―――いつかの彼女が、流していたもの。
確証は無い。だがきっと。親を亡くし、妹を守る為に大人にならなくてはいけないと、名を捨てた時の…彼女だ。

「……ライトさん…」

彼女の中に埋め込まれた毒。人のトラウマをえぐると、言っていた。
ならばこの涙は、彼女が一番つらかった時。誰にも甘えもせず、頼りもせず、心の中に封じ込めた…闇。

「来るな!セラに手を出すな!殺されたいのか!?」

ゆっくり一歩近付くと、流れる様な動きで立ち上がり後ずさったライトニングは剣を抜き放った。
震えるように、歩みが止まる。
涙を流しながらこちらを睨む彼女には……自分が自分と映っていない。まるで知らぬ他人を見るように。気遣いの欠片すらないその瞳からは、間違い無い殺気が感じられて。
今までに無い…事だった。
どんな状況でも、本気の敵意を向けられた事等、一度も無い。
冷たい言葉や厳しい視線の中でも常に、不器用な優しさと暖かさを持っている人だった。
だから、その瞳だけでまるで…心に刃を、突き刺されているようで。

「……っ違う…」

不意に、苦しげに顔を俯ける。次に視線を上げた時には、表情はライトニングに戻っていた。

「頼む……ホープ、向こうに…」

剣を握る手が、震えている。心の中で過去と現在がせめぎ合うように、必死に剣を下ろそうとするライトニングの表情からは苦しみと、涙が消えない。

「お前を……傷付けるかもしれない…!」

ホープの瞳が大きく、瞠られた。

何故―――。
今のこの状態は、彼女のせいではないのに。
こんな時にまで1人で背負いこんで。
まるで自分と言う凶器から、周りを遠ざけるように。

痛いくらい強く握り締めた手のグローブがギリッと音を立てる。
一度伏せられた瞳を上げて真っ直ぐ、ライトニングを見て。ホープは足を踏み出した。今度は迷い無く、大きな歩幅で。
怯えるようにそれを見たライトニングは再び憎悪と憎しみに色を変え剣を振り被る。

「来るな、来るな!本当に…!」
「嫌です!」

強い声を叩き付けると、強張るように一瞬動きが止まったライトニングの手を掴んだ。
驚きに見開かれたライトニングの碧眼と真っ直ぐ逸らさない翡翠色が、交わる。

怯えていると感じた。
無理もない。彼女が親木を失ったのは15歳というまだ飛び立つには若すぎる年齢だ。
ホープも母親を失った。だが、家柄に助けられ路頭に迷う事は無い。
だが彼女は、たった一人で。しかも守るべきものまで、もってしまったのだ。
自分の全てを犠牲にしても、守るべきだと思うものを。

それはどれだけの恐怖と、どれだけの痛みを伴っただろう。

「僕は、ライトさんの傍にいます」

彼女が、そうしてくれたように。
復讐と言う闇に囚われることでしか立っていられなかった自分を救ってくれた。守り続けてくれたように。
今度は、自分の番だ。

瞬きする事も忘れたようにホープを見つめていたライトニングが、ぎこちなく首を横に振る。

「やめろ…」

怖かった。どうしようもなく。
自分より7つも若い少年が、余りにも強い瞳で見つめてくる事が。
溢れ出てくる闇に支配される自分の小ささが。

「やめろ!」

余りに怖くて、振りほどこうとするが手が、離れない。
逃げようと下がる事も許されず逆手を振り上げると鈍い音と共に肘が少年の頬を打った。
はっとして動きを止める。バランスを崩し一歩後ろに足を戻した少年の周りの水が波打つ。しかしそれでも、彼はライトニングの手を離さずに。打たれた頬を押さえる事もせず逸らしていた顔をゆっくり上げてまた、彼女を見る。

「大丈夫です。これくらい…痛くありません」

彼女の傷に、比べれば。

「ごめんなさい…ライトさんを守りたいって言ったのに、結局守られて。辛い思い、させて…」

埋められない時間と、力差を、少しでも超える事が出来ればと思った。
だけど、痛感した。アレキサンダーが目の前に現れた時に。
自分はこんなにもちっぽけで、こんなにも弱い。
でも、だからこそ。迷わず一緒に立ち向かってくれた、彼女を見て。
手を取り合うことこそが強さなのだと、思えた。

「だから…一人にはさせません。これから先、ずっと」

どんな絶望が待ち受けていても。例えルシの使命から、逃れられないのだとしても。
自分だけは絶対に、彼女の傍に。

「いつも……守れないのは、私の方だ…」

独白の様な、呟き。
少しだけ驚いたように目を開くホープからここでは無い何かを見るように不安定に視線を逸らして。ライトニングは涙を零した。

「だからこそ……守りたかった。今度こそ…」

いつだって。
両親が死んだ時も、
セラがルシになった時も、
自分は守れなかった。いつだってもう一歩のところで自分の弱い心が周りを傷付けて。
結果的に守れなくなってしまう。

だからこそ、今度は間違えないように。
守りたかった。彼の真っ直ぐな瞳と、その綺麗な心を。
自分の弱さが、壊してしまわないように。
なのに…。

どくん。
左胸に黒く熱い脈がうずいた。
はっとしたようにライトニングの胸部に視線を落としたホープの顔色が変わる。
服の下からでもわかる。ルシの烙印が、血の色に脈打ち輝いていた。

「離れろホープ!」
「嫌です…!」
「シ骸になる!放せ!このままでは…!」

腕を振り払おうとするともう一方の手も伸ばして掴んでくる。いつもなら振り払えるはずなのに。烙印の疼きは焼ける様な痛みを伴い、力が入らなかった。
荒い呼吸を繰り返しもがくライトニングが、しかし力を失い身体を沈めて行くのが分かったのだろう。切羽詰まった表情を隠せないのに、ホープはその両手を強く握ったまま放さない。
渾身の力で、ライトニングは身体をよじらせた。

「このままでは…お前を傷付ける…!!」
「構わない!!」

今までに聞いたことが無い程の、絶叫にも近い、怒声。
驚いて顔を上げた刹那腕を引き寄せられ唇が――――――重なっていた。

ライトニングの瞳が大きく、開かれる。
触れ合った唇は冷えた身体に優しく熱を伝えるように、染み込んで。
痛い程強く握っていた手から剣が、滑り落ちた。
しぶきを上げて水中に剣が沈む音が響いたきり。静寂がしばし、その空間を支配した。

どれだけの時間が経ったのか。
ゆっくり唇が離れて行くのを合図にするように、ライトニングがその場に崩れ、膝をつく。握った手を離さなかった為引かれるように片膝をついたホープの瞳からは、涙が零れていた。

「……ライトさん…」

烙印の疼きは、消えていた。
ホープを見上げる形になったライトニングの碧眼からも止めどなく、涙が溢れていて。

「……ホー…プ…」

悲しみとも、喜びとも取れない表情で一言、名前を呼ぶと。どちらからともなく抱き締めていた。
お互いの温もりを確かめ合うように。





.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ