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□commemoration
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マリィとエインを預かってあげるよ、と、セラが発案したのは電話口だった。たわいないやりとりの果てに、ホープが早く帰って来れそうだと告げた途端突然で。喜びよりも、その日がなんの日かを妹が覚えていた事に酷く驚いた。

最初は断った。1歳を過ぎて落ち着いてきたとはいえ、まだ言葉もまともに話せない怪獣。それも2匹だ。セラのもとにも3歳になる娘がいる。負担は掛けたくなかった。

だが、そう言うのは大切にしなきゃ駄目と諭されて、受け入れてしまった。
もっともだと思ったのだ。一度目の時は、まだ生後半年程の双子の世話に追われてそれどころではなかったから。お互い、ゆっくり会話する機会も少なくなっていると感じていた。
だから。

「一晩だけでも、2人でゆっくり過ごして」

願ってはいけないように感じていたその言葉を投げてくれた事が、この上なく嬉しかった。

それは2人が繋がった日。
2回目の結婚記念日。







commemoration







セラの家に遊びに行くと、マリィとエインは言葉こそ無いものの、年の近いいとこと会える事をとても喜ぶ。その日もステラのお人形遊びに混ぜてもらって、スノウと駆け回って遊ぶ内、疲れ果てた双子はおやつの時間を待たずに眠ってしまった。

セラとスノウに何度もお礼と謝罪を向けて、音を立てぬように家を後にする。
自宅へ戻ると、ちょうどホープが仕事から戻ってきたところだった。

「大丈夫でしたか?」

脱いだ上着を掛けながら尋ねてくるホープを見上げてライトニングが浮かべる笑みは、安堵したような申し訳ないような複雑なもの。

「ああ、出る時は眠ってた」

見知ったセラの家だからある程度は心配ないだろうが、それでも一晩を超えるのは難しいだろう。2人きりになれる時間は、短い。

「今度、お礼しなくちゃいけませんね」

ライトニングの杞憂は伝わっているのだろう。上着をクローゼットに戻し終えて歩み寄ってきたホープの腕が腰に回り、優しい力で引き寄せられた身体が密着した。
また一回り大きくなったような胸元。視線を上げると、穏やかな笑みとぶつかった。

「夕飯、僕に作らせてくれませんか?」
「馬鹿言うな、色々献立を考えたんだぞ」
「僕だって同じです。いつも作ってもらってるから、今日は我が儘聞いてください」

お互いに、双子に合わせた食生活に慣れつつある。だからこそ今日は上物のワインまで手に入れたのだ。出鼻を弾かれて不満げなライトニングの表情を可笑しげな笑みを浮かべて見下ろすホープの腕が、抱き締める。強く。普段なら羨ましがった双子がまとわりついて悠長に抱き合う事すら出来ない。酷く懐かしく感じる温もりと香りに、最終的に何も言えなくなってしまうのは、ライトニングの方だった。

「その間に、着替えてきてください。うんと綺麗に…」

心底、悔しいと思う。
耳元で告げられる願いを聞くと、それ以上の文句が泡と消えてしまう。この効力だけは、何年経っても衰えない。



自室に戻り、クローゼットを開ける。暫く悩んで取り出したのは、胸元の開いたAラインのワンピース。ファングとヴァニラに連れられてショッピングに行って買ったものだ。深紅の生地は刺激が強すぎると感じたが、他2人からは何故か好評だった。改めて鏡の前で合わせてみると………やはり刺激が強い。
しかし、それ以外に合わせる服もなく。仕方なく化粧と髪を整えてリビングに戻る事には、部屋中に香ばしい匂いが溢れていた。

テーブルのそばには、深い紺色のスーツを身に纏ったホープの姿。食器を並べて振り向いた先にライトニングの姿を見付けて、一度開かれた双眸は眩しげに細められた。

「そのドレス…初めて見ました」
「ああ……すごい色だろう…」
「そんな事。よく似合ってますよ」

差し出してきた右手を握ると、そのまま側まで引き寄せられる。正面まで歩いた耳元近くにホープの顔が近付いた矢先「綺麗です」と囁く声が聞こえた。

体中を一気に熱が駆け上がるのを感じる。せわしなく視線を彷徨わせたライトニングの手を離したホープが次に促したのは、テーブルの椅子だった。

「どうぞ」

椅子を引いて笑顔で告げられると、一瞬言葉を失ったライトニングの顔に思わず、笑みが零れた。

「……まるでコンシェルジュだな」
「本来なら、レストランに行ってされていた分ですよ」

少しだけ茶化して笑うホープに釣られたように。笑みを深くしたライトニングが腰を下ろすのを確認して、グラスにワインが注がれた。

「他に足りないものはありませんか?」

まだ執事のつもりなのだろう。丁寧な口調を可笑しげに笑いながら見上げて、ライトニングはその手を掴む。

「足りないのはお前だ。早く座れ」

ホープの双眸が一度だけ丸められた後、嬉しげに細められた。



2人分だけの食事と、2人分だけの食器が並ぶ。普段なら向かい合って座るテーブルの椅子を横に置いて、2人は肩を並べた。
少しだけ暗めに調節されたダウンライトの下でワインの注がれたグラスを重ねると、ガラスが震える音が、普段では考えられぬ程広く響き渡るのを感じた。

「そう言えば…初めてだな、お前と酒を飲むのは」

一口含んだ赤ワインは渋く、深い香りと熱を喉から体内へと運んでくる。息をついて、改めて見た先のホープはグラスを傾けた状態のまま。丸めた目を瞬いて、飲み込んだ後には笑みを零した。

「そういえばそうですね」

ホープが20歳になる年に2人は婚約し、結婚する頃にはライトニングのお腹には命が宿っていた。マリィとエインが産まれてからは毎日が慌ただしくてゆっくり飲み交わす余裕などありはしなかったし。

「ライトさん、お酒弱いから」

からかうような笑み。しかしそれでさえ、オレンジがかった灯りの下では少し艶美に見える。
わざと、ライトニングは視線を逸らして眉間にしわを寄せた。

「お前だって似たようなものだろう」
「そんなことありませんよ。僕は父さんが強いですから」

ソルとの飲み比べでも負けた事無いんですよ、と微笑に細められる翡翠色の瞳を見上げて、頬杖をつく。
何故か、不思議な切なさが込み上げた。

「……お前のそれは、いつまで続くんだ?」

前触れ無い問いかけの真意を掴み損ねて、ホープの双眸が丸められる。

「それって……どれですか?」
「それだ」

もう一方の腕を持ち上げて指さしたライトニングの人差し指。それが指し示すものが口元だと気が付いたのだろう。徐々にホープの顔に、穏やかな笑みが戻る。

「ああ……嫌ですか?」
「そう言う訳じゃないが…」

らしくない事を聞いているという自覚はある。初めて出会った時のホープは14歳。彼はまだ子供で、7歳年上の自分は大人だった。おかしくないのだ――――敬語と言う格差は。
それが気になってしまうのは、恐らく、我が儘なのだろう。

「別に気を遣っている訳じゃないんです。ただ、慣れてしまって…」

予想通りの答えが返ってくる。見上げれば、浮かべる微笑には微かに困ったような色。
また煩わせてしまっている罪悪感に、ライトニングが前言を撤回するよりも。しかし、息をついたホープの笑みが僅かに雰囲気を変える方が早かった。

「でも、ライトさんが嫌だって言うなら……」

再び視線の交わった翡翠色はひどく――――艶やかで。

「話し方を変えても……僕は構わないよ」

痛いくらい、心臓が大きく鼓動した。

しまった。
酒など飲むべきではなかったと、今更ながら後悔した。

自分でも分かるくらいに身体が熱くなる。頬に熱が集まるのを誤魔化すように顔を背けたが、クスリと吹き出した彼の息一つで、気付かれている事など明白だった。

「おかしい?」
「い、いや…」
「じゃあ、似合わない?」
「そんなことは…」

真っ直ぐ見据える事が出来ぬまま探す言葉は、不意に伸びてきた手が頬に触れる事で遮られる。やんわりと引き上げられて見た翡翠色の瞳は、その奥に吸い込まれるのではないかと思う程に透き通っていて。
息が、止まる。

ゆっくりと唇が重なってくる。
触れた温もりからる伝わるワインの香り。繰り返される度に、より深い酔いへと突き落とされるように。
唇が離れていく頃には、強い目眩に捕らわれた身体のバランスが取れなくなっていた。

「ごめん――なんだか、この状態だと……」

耳元に、微かに乱れた彼の低い息。背中に回された腕に頼っていた身体が震えた。
分かってしまったのだ。
普段彼が置いている敬語という薄いタガを、取り外すのが―――――どんなときか。
だから。

「我慢、できそうにない…」

予期せぬ事態に、思考が完全に混乱へと転化した。

「す、すまない。そんなつもりじゃなかったんだ…っ、ただ……周りから見て不自然なのかもしれないと思って、いらない事を…!」

必死の弁解の途中。しかし耳元で聞こえたのは――――吹き出した笑い声。
形成途中の言葉が止まる。呆然と目を見開いたライトニングを解放したホープは口元を押さえて懸命に、笑いを堪えていた。

「………ホープ…」

からかわれたのだと、そこでようやく気が付いた。
弁別なく取り乱した羞恥と怒りにワントーン低くなる声を聞いて、ホープの顔に些か焦りが滲むのを目の当たりにした瞬間。思わず胸元に肘鉄を打ち込んでいた。
小さく呻いたホープの笑みが苦笑に移り変わる。

「す、すみません……ライトさんがあんまり慌てるから…」

可愛くて、もっと動揺させたいと思ってしまった。
無言で睨み付ける顔は赤い。その表情を見るだけでも――――本当は、さっきの言葉に嘘はないのだ。けれど、今2人で過ごす時間を大切にしたいから。

「浮かれてますね、僕」

飲み込んで笑むと、ライトニングの顔色がどこか言い様のないものに変化した。

弱いのだ、お互いに。
普段見せる事の少なくなった彼の少年のような顔を、言葉を、聞いてしまうと。許してしまう。つくづくやっかいな性分だ。

「そうだ……ライトさん、これ」

息をついたライトニングから怒りの雰囲気が消えた事は察したのだろう。上着のポケットを探るホープの声が穏やかな音程を取り戻す。
不思議そうに目を瞬いたライトニングの前で細長いケースを開いたホープの手が首元に回ってくる。胸元にひんやりと冷たい金属の感触。見下ろした先にあったのは、胸元で光るピンクゴールドのネックレスだった。

「この前パルムポルムに行った時見付けたんです、ライトさんに似合いそうだと思って…」

小さなバラを象ったチャームの中心には桃色のダイヤが一つ。まるで今日のドレスに見繕ったように、ライトニングの白い肌を引き立てて光る輝きが美しかった。

「思った通りでした」

満足げに、双眸を細めるホープの微笑。指先でネックレスに触れていたライトニングはしばらく言葉を失ったまま。ようやく浮かべた笑みは泣き出しそうな程、嬉しそうなものだった。

「……ありがとう…」

どこにいても、どんな状況でも、彼の中には自分がいる。それが幸せだと―――痛いくらい実感する。

「じゃあ、私からも…」

ゆっくり席を立ったライトニングがソファの側にあるチェストから何かを取り出して戻ってくる。再び腰を下ろしてホープの片手を取ると、そこに受け渡したのは、手の平に収まる程の小さな長方形。
銀色のそれには繊細な模様が施されている。見やった先のライトニングに笑顔で促されて、ゆっくり蓋を開いた。そこにあったのは――――家族の笑顔だった。

ホープの瞳が瞠られる。
マリィとエインが一歳の誕生日を迎えた時撮影した、家族4人の写真だ。バースデーケーキを中心に、全員が見せる弾けるような笑顔。

「忘れるな」

開いた手の平に、ライトニングの手がそっと重ねられる。

「何があっても、私達が一緒だ」

きっとこの先、苦難は無数に待ち受ける。彼が立つのはそう言う場所だ。
それでも。

「私がお前を守る」

間違いない光りがある。ここに。
それをくれたのは他でもない彼だ。
その光りをなくさないために。忘れないでほしい。いつだってここから、呼びかけている事を。

「……はい」

もう一方の手が、上から重ねられる。深く笑みを刻んで交わった瞳は、とても嬉しげで、

「何があっても、ライトさんを――――マリィとエインを、守ります」

とても強いものだった。

額を重ね合って微笑む。そうしてどちらともなく、唇が重なった。



背中に掛かる愛の声。
待つ人がいる場所。
その笑顔は、無限に湧く強さの泉。








Fin,

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