MHA

□赤と白が並ぶその日まで
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「窓の鍵開けたまま寝るなんて、不用心だよ?」

いつの間に眠りに就いてしまったのか、頬を撫でる夜風に目を覚ませば、愛おしい匂いと唇に柔らかな熱が触れた。
弄っていた筈の携帯は手の平から離れて私の傍らで沈黙しており、灯りの消えた部屋には来客を迎え入れる為に開けておいた窓から差し込む月明かりが優しくその背の赤を照らしていた。

「ごめん、遅くなった」

「ううん、お疲れ様」

こちらに来る用事があるからと、連絡を受けてからもう随分と時間は過ぎてしまっていた。
きっと急いで飛んできてくれたのだろう、その頬に触れればほんのりと冷たくて、熱を移すように両の手を添えれば、それをすり抜けて彼の唇がまた私に触れた。
微かに香るアルコールが唇を介して私を酔わせるように、起き上がらせた身体をまたすぐにベッドの上に横たわらせる。

「酔っぱらって飛ぶのは危ないよ?」

「酔う程飲んでないよ。それに、飛んだ方が早いのはなまえも知ってるでしょ」

首筋に顔を埋める彼の髪を撫でながら、背にある赤い翼に手を伸ばせば、小さな羽根の一枚が遊ぶように私の手の甲を滑って跳ねた。
それを捕まえようと腕を伸ばせば、私を揶揄う様に指先を掠めて更に上へと逃げていってしまう。
きつく抱きしめられたままの身体ではそれ以上腕は上がらず、諦めてその背に腕を戻せば、羽根もゆっくりと元の場所へと帰っていく。

「あ、そうだ。ねぇ、見て欲しいものがあるの」

「ん?」

服の裾から伸ばされた指先に気が付いて、私が肩を軽く押して声を掛ければ、埋めていた顔を上げて彼は不思議そうに首を傾げた。
一度覆い被さる身体を離してもらい、横たえた身体を起き上がらせて、月明かりを背に浴びるように彼に背を向けて、私は上着を捲り上げて背中を曝け出した。

「見てて」

脱いだ服を前に抱きながら、背中を丸めて彼の視線を仰いで、私はそこに意識を集中させる。
幼い頃に何度も試し、一度も成功したことのなかったことは、いつしか出来ないものと諦め、挑戦することも忘れていた。

「先生とかにも相談してね、練習してたんだ。まだ小さいんだけど、それでもホークスさんに見て欲しくて」

「へぇ…凄いじゃん」

「これじゃあ飛ぶことも出来ないけど」

肩甲骨から僅かに伸びた白い羽は、雛鳥のように小さなものだったが、それでも私にとっては大きな進歩だった。
腕や足を変化させることなく、母のように美しい羽を背に携えることができたのならと、幼少期の切望は今になって現実へと実を結んだ。

「別に俺はハーピーの姿嫌いじゃないけどね」

「うん、ありがとう。でも、私の爪じゃ人を傷付けてしまうから…救助には向かなくて」

「誰にだって得意不得意はあるでしょ」

「そうだけど、私もホークスさんみたいに誰かを助けたくて…これなら、傷付けることなく手を差し伸べることが出来るでしょう?」

背中越しに優しい言葉をくれる彼を振り返れば、その言葉と同じ様に優しい目をして私の背に指先を伸ばした。
そこにある小さな羽根を確かめるように触れて、背中に額を寄せてそのまま抱き締めるように片手を私の腹部に回した。

「それより…自分から脱ぐなんて、誘ってるの?」

「ちがっ!私は…ただ……」

「…なまえ」

わかっているくせに意地の悪い笑みを浮かべて、胸元で服を抱えるようにしていた腕に優しく触れながら、羽根に触れていた指先も背筋をなぞるように下へと降りていく。
違うと否定する為に開いた唇は、熱を孕んだ眼差しに遮られて、小さく私の名前を呟くように呼んだ彼の唇に塞がれた。
優しく解かれて行き場のなくした腕は、自ら脱いだ上着をただ握り締めて、時折彼が歯を立てる背中の小さな羽根を仕舞うタイミングを探した。



「じゃあ、また」

「うん、気を付けて」

夜が明けきる前に、彼は窓辺に立った。
うっすらと明るくなり始めた空に追いやられるように、輝きの薄れた月が小さく佇んで忘れないでと言うように私を見下ろした。
そう頻繁に触れられるわけではない彼の背を目に焼き付けるように、去ろうと広げられた赤を恨めしそうに見つめれば彼は必ず最後に振り向いた。

「また来るよ」

「ん、待ってる」

「次会う時、どのくらい成長したか見せてね?」

「うん、楽しみにしてて」

触れるだけのキスの名残惜しさを払拭するように、彼は自分の背の赤を指差して笑う。
いつだって私の元を去る時の彼は笑顔で、つられるように私も笑って彼を見送ることができた。
本当は寂しさに押し潰されそうな夜だってあるし、まだ自由に飛ぶことの出来ない空と自分を呪うことだってある。
だけど必ず次の約束をしてから去る彼を引き止めることなんて出来る筈がなく、いつともわからない次に想いを馳せながら今は会いに来てくれるのを待つことしかできなかった。

殆どの人がまだ眠りの中にいる時間に、彼は空へと翼を広げた。
すぐに空に溶けてしまう赤が見えなくなっても、代わるように姿を現す太陽が空に昇りきるのを見つめて、それから私は少しだけ眠りに就く。
一緒に朝を迎えたのは想いを告げたあの日だけだったが、それでもあれから数度夜を共にした。
まるで夢から覚めるように、朝は彼を一緒に運んで行ってしまうから太陽が少しだけ嫌いになってしまった。


「……ばか」

目が覚めれば、太陽はまだ高いまま空に輝いていて、気怠さが残る身体を叱咤するように部屋を熱く照らしていた。
時間を確認しようと指を伸ばした携帯が、いつの間に届いていたのか、彼からのメールの受信を知らせていた。
開けば画面一杯に表示される月明かりに照らされた私の寝顔と、『戸締りには気を付けて』の文字に自然と笑みは零れた。

身体に残る彼の香りと汗を流す為に風呂場に向かい、湯気に曇る鏡に映し出された自分のぼやけたシルエットを消し去るようにシャワーのお湯を流せば、いつも残される胸元の赤が目についた。
彼の背を彷彿させる、彼が残した赤は2、3日もすれば跡形もなく消えてしまう。
それがわかっていても、残された痕を愛おしく思わずにはいられなかった。

「私も、頑張るよ」

彼の残した赤に触れながら、背中に意識を集中させて目を伏せる。
瞼を持ち上げた時に、鏡に映る姿に変化はなかったが、いつかその背に彼と同じように大きな翼が映し出されることを想像して、私はまた目を閉じた。


まだ見えぬ

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