短編(ブック)

□短編2
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始まりは些細なことだった。何が発端だったかなど思い出せないくらいに小さなことで腹を立てたのを覚えている。サブローは大きく息を吐き出すと、人が行き交う大通りから外れた裏道へと進んでいった。

通い慣れた裏道も、ほとんど陽が落ちた夜では昼間と全く違う顔を持っている。時々感じる好意的とは言えない視線に、サブローは気づかれないように眉を寄せた。その一方で、サブローの頭を占めるのは、先ほど喧嘩してしまったクルルのことだった。


(…言い過ぎだった…よな。でも、クルルだってあんなに言うことないじゃん…。)


僅かに込み上げてくる涙を堪えて、サブローは小さく溜息を吐いた。売り言葉に買い言葉の繰り返しで、気が付いた時には互いに最も言ってはいけないことを言ってしまったのだ。


〈こっちだってなァ、テメェみたいなガキなんざいなくても一緒なんだよ!〉
〈ああそう?だったらさっさと侵略でもして、星に帰ればいいじゃないか!〉


“いなくても一緒”“星に帰ればいい”

それは互いの心を深く抉る言葉だった。頭に昇っていた血が、その一言で別の感情に変化したのだから、その威力は計り知れない。おそらくクルルも自分と同じだろう。サブローが叫んだ瞬間、クルルの身体が震えたのは気のせいではない。

重い空気に耐えきれず、ラボを飛び出してしまったのはサブローだ。紛れもない、逃げの行動。それ故、クルルの顔をはっきりと見てはいなかった。呼びとめられたような気がしないでもないが、サブローは勢いに任せてクルルから逃げてしまったのだ。


「……明日、謝らないと…。」


小さく呟いた言葉に、サブローはようやく気持ちが落ち着いたのか眉間に刻んでいた皺を取った。クルルもサブローも、一時の感情に任せてすれ違いになる辛さをよく知っている。


(…仲直りのしるしにカレーでも作ろうかな。)


我ながら幼稚な方法だと思うが、あの捻くれ者の相棒にはこれが一番喜ばれるのだ。サブローは穏やかな表情を浮かべると、早めに家に帰ろうと歩を進める。

しかし、サブローの前にはいつの間にか柄の悪い男が数人立っていたのだ。サブローは穏やかになった表情を歪め、歩んでいた足を止めた。


「…何か?」
「テメェが近頃この辺りで見かけるっつーガキか。」

「だったら何ですか?別にここを通っちゃいけないなんてことはないと思いますけど。」


サブローが冷やかな声で言うと、周りにいた男たちが殺気立つのが分かった。それに少しだけ冷や汗を流す。男たちは皆サブローよりも身体が大きく逞しかった。おそらく、周囲を縄張りとしている暴走族の一団だろう。

自分たちの縄張りに入った中学生。それだけで、この男たちにとっては格好の標的に違いない。

案の定、サブローは殺気立った男に胸倉を掴まれた。


「っ…!」
「ガキが調子乗ってんじゃねぇぞ。」

「調子、なんて…乗ってないですけど。ていうか、子供相手に大人げないんじゃない?」


サブローは気管支が締め付けられ、息を詰めながらも不遜な態度で言葉を放つ。取り繕っていた口調も本来のものへと変えた。その変化にサブローの胸倉を掴んでいた男はギリ、と歯を噛み締め、サブローを壁に向かって放り投げる。

しかし、サブローは持ち前の運動能力で激突する前にそれを回避した。サブローの行動に男たちは目を見開くと、先ほどよりも殺気立った目をサブローに向ける。


「一度痛い目を見ないと、このガキは立場ってもんを理解しねぇみたいだな。」
「それってどんな立場?俺からすれば、アンタたちの方がよっぽどガキに見えるんだけど。」

「っ…やっちまえ!」


リーダー格の男が叫んだ瞬間、男たちが一斉にサブローへと襲いかかる。人数は5、6人程。多すぎることはないが、だからと言って少なくもない。もとより、サブローよりも体格が優れている男たちが相手とあっては、人数も含め、サブローにとって圧倒的不利であることに変わりはなかった。

だが、サブローは男たちよりも小さな身体を生かして、スピードで次々と相手を倒していく。力では劣るものの、重心を支えている足をなぎ倒してしまえば、男たちは体重を支えきれずに転倒する。


「ガキ相手に何やってんだ!」
「だからどっちがガキだっていうのさ。…ほんと、子供の癇癪だね。」

「っテメェ…!!」


リーダー格以外の男を倒したサブローは、呆れたように言い放つ。倒された男たちは転倒した場所が悪かったため、頭や顔を地面や壁に叩きつけられ昏倒してしまっていた。

それがサブローの計算だったことも、この男には分からないだろう。自分の弱点を補う術を、サブローは実戦のプロから教えられているのだ。いかに屈強な身体を持とうと、それを生かす術を知らない者など、サブローにとって子供と同じだった。


「そのすました面、グチャグチャにしてやる…!」
「……訂正するよ。子供の方がよっぽどアンタよりも賢い。」


男が懐から取り出したサバイバルナイフに目を細めたサブローは、溜息を吐きながら言葉を零した。夜の中にあって、場違いなほどに輝く刀身はそれが本物であることを示している。

無傷ではいられないだろうな、と他人事のように思いながらサブローは男と対峙した。


「ウラァアア!!」
「っ…!」


ビッ、とサブローの頬に赤い線が走る。思いの外深く刻まれた傷は、サブローの襟元まで血を滴らせ、衣服を赤く染め上げた。

避けたつもりでも、普通のナイフと違い、サバイバルナイフは刀身が長い。刀身の長さを見誤り、サブローは舌打ちをした。


「次はどこを切られたい?」
「どこも御免だよ…!」


サブローが男に向かって、これまでと同じように重心と崩そうと体勢を低くする。しかし、男はサブローの行動に笑みを浮かべると、持っていたサバイバルナイフをいきなり地面に向かって投げつけたのだ。


「なっ…!!っ…あぐっ…!」
「そう何度も同じ手を食らってたまるか。…さぁて、捕まえたぜ。」


サバイバルナイフに気を取られたサブローに、男は一瞬の隙を突いて近づき、その身体に馬乗りをする。それにサブローは目を見開いた。

力では到底敵わないのだ。どうにか抜け出そうにも、腕は既に男に掴み挙げられている。その握力にサブローは苦痛の表情を浮かべた。


「ぐっ…!」
「さっきまでの威勢はどこにいったんだ?…まぁ、じっくりと楽しませてもらうぜ。」
「っ…!!」

「待ちなァ。」


急にかかった声に、男とサブローが目を向ける。そこには白衣を纏った金髪の男が立っていた。見覚えのあり過ぎる姿に、サブローは驚愕の表情を露わにする。

男はこれからという時に現れた部外者に表情を歪めると、不機嫌な声を零した。


「なんだ、テメェは。」
「それはこっちの台詞だぜェ?…そいつをどうしようってんだ。」

「このガキか?くく、躾けがなってねぇんで、これから躾けるところなんだよ。分かったら邪魔すんじゃねぇ。」


男はそう言って、クルルから視線を外しサブローへと目を向ける。サブローは男の卑下た視線に嫌悪を露わにするも、拘束された身体では抵抗もできなかった。

サブローがもがくのを止めようと、男がサブローに拳を振り上げる。しかし、それはサブローに届くことなく、男は急激に加えられた力によって吹き飛ばされた。


「…クルル……。」
「躾けがなってねぇのはテメェの方だろうが。人のモンに手ぇ出しやがって。」

「ぐっ…ぁ、」


壁に激突し、痛みに悶絶する男をクルルは冷ややかな目で見下した。そして、視界に入れるのも不快だとばかりにサブローへと視線を移せば、驚愕で目を見開いているサブローの姿。

頬からは大量の血が流れ、襟元を真紅に染め上げている。男に拘束されていた手首は痣となり、紫に近い赤へと皮膚が変色してしまっていた。


「大丈夫、じゃねぇな…。」
「…クルル、どうして……。」


サブローを優しく抱き起こし、クルルは労わるようにサブローの身体を支える。そっと白衣の袖を頬の傷に当てれば、白い布はたちまち赤く染まっていった。


「お前さんが飛び出したのを追いかけたんだ。…遅くなっちまって悪い。」


クルルはそう言ってサブローを抱きしめる。サブローを抱きしめる腕は僅かに震えていた。

男に押し倒されているサブローを見た瞬間、頭の中が真っ白になった。何もなかったはずの頬には切り傷が刻まれ、首元を血で染めている。それだけでも許せないのに、男に拘束されたサブローが苦痛の表情が、クルルの心から一切の余裕を奪い去ったのだ。

クルルに抱きしめられたサブローは、その大きな背をゆっくりと撫でる。何故、と問いかけたい気持ちもあったが、何よりもクルルに対する愛しさが溢れた。


「謝るのは俺の方だよ。……馬鹿なこと言って、ごめん。」
「…俺も悪かった。やっぱ、お前さんがいないと調子が狂う。」


クルルがより一層強くサブローを抱きしめた。サブローもまた、クルルの背中に腕を回す。互いの心音が響き合い、傍にいることの安堵と幸福を教えていた。

そして、クルルは傷ついたサブローを抱きかかえ、ラボへと戻っていったのである。




後日、サブローを襲った暴走族が自ら警察に駆け込んで行き、数日間の記憶が無くなっていることが新聞の片隅に小さく載っていた。





(見えなくても繋がっている心)








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