その他

□届かぬ春の日
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ゆっくりと意識が闇からのぼる。
目が覚めるとそこは見知った風の神殿の天井―
ヤツフサは腕に力を込めると起き上がった。
記憶がはっきりとしない。
ヤツフサは頭を振ると、立ち上がり天井を見上げる。そこは何も変わっていない。
ヤツフサはゆっくりとした足取りで外へと向かう。

神殿前の長い階段を下りてゆくとそこには一軒の家がある。
村人の集会場所にもなっているそこは、妻であるフセ姫がまつヤツフサの自宅だ。
明るい配色のためいつでも明るい雰囲気のはずのそこは、なぜか暗く沈んで見えた。
空が暗い所為だろうか・・・

玄関口に立つと中から声が漏れて聞こえる。
それは泣いているような声だった。
フセ姫が泣いているのではないかと、ヤツフサは家の中にあわててはいる。
家の中は暗くよどんでいた。
ヤツフサは不安に駆られながら奥へと急ぐ。
泣き声はフセ姫の部屋から聞こえてきているようだ。
「フセ姫、どうしたのだ?」
ヤツフサはフセ姫の部屋に入る。部屋の中は夕刻なのに明かりもつけられず暗かった。
そして部屋の中心でフセ姫はヤツフサに背中を向けて座り込み泣いていた。
「フセ姫・・・」
声をかけても彼女はただ背を向けなくだけであった。
ヤツフサはそっとちかづてゆく。
一歩近づくたびに泣き声が大きくなっていく。
どうやら彼女は誰かの名前を呼んでいるようだった。
いったい誰を恋しがっているのだろうか?

「・ヤツフサさま・・・ヤツフ・ま・・」
「私・・・?」
ヤツフサはフセ姫の前に回りこむと、背をかがめて彼女の顔を覗き込んだ。
フセ姫は胸に抱きかかえた何かに向かい暗い涙を落としていた。

もしや帰るのが遅くなったから心配して泣いているのだろうか。
「フセ姫、どうした?私はここにちゃんといるよ」
優しく声をかけてやるが、フセ姫はなおもなき続ける。
「ヤ・フサさま・・ヤツフサ・・・どうして・・・」
「フセ姫?フセ姫、どうしたんだ?」
流れる涙をも拭こうともせず、ただただ泣く。それは泣くことで悲しみを体から出そうとしているかのようであった。
ヤツフサはいたたまれなくなり、そっとフセ姫の頬を流れる涙を拭こうとした。
「ヤツフサさま・・・どうして・・・死んでしまいましたの・・・」
差し出した手はフセ姫に触れることはなかった。
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