京極

□涼所
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せみの声も遠く聞える薄暗い店内には、壁を埋め尽くすのを目的に積み上げられたとしか思えないほど本が沢山あった。
その店の名は京極堂。知る人ぞ知るとある古本屋だ。
本が音を掻き消しているのだろうか、店内はいつものように静かだ。夏のさなかにあっても冷えた空気が緩やかな時の中流れてゆく。
そんな京極堂の店内に薄暗がりに隠れるように男が2人いた。
店の主人である京極とその知人の関口だった。
2人はただ黙って板間に座り、本を読んでいた。
店に他の客はいない。もっともこんな暑い中わざわざ坂を上って仏頂面を拝みに来る客もいまい。
ただいつものように静かな空間がそこにあるだけだ。

本をめくる京極の手が止まった。膝の上に上ろうとする何かがいた。
京極は本から目を離さずに左手でそれを持ち上げた。
「にゃー」
それは摘み上げられても暴れることはなく、ただ文句を言うかのように鳴いた。
それとは飼い猫の柘榴であった。
やや乱暴に下に下ろすと、懲りずにまた膝に上ろうとする。
しかしまたすぐにおろされる。あきらめきれないのか何度も挑戦するが、そのたびにおろされる。
やがてあきらめたのか今度は京極の膝にくっつくようにして丸くなって寝た。
京極はその背中を小さく一度だけなぜると、また本を読み進めていった。
またとまっているかのような静かな時があたりに満ちた。
どこかしら懐かしい気分にさせるのは、古書独特のかび臭さか。

京極は喉の渇きを覚えて湯飲みに手を伸ばすが、残念ながらすでに中身はなかった。
急須を探すと、少し離れた机の上に見つけた。
面倒だが取りに行こうと立ち上がろうとすると、後ろが引っ張られた。バランスを崩したのをどうにか立て直す。
「なんだ?」
何か引っかかるものでもあったのかと不思議に思いながら首を回し、後ろを振り返った。
するとそこには一人の男が丸まって寝ていた。
どうやら関口は本を読んでいるうちに眠くなってしまったようだ。関口の足元に落ちている本は記憶の通りなら確かに関口の読んでいたものだ。
それがなぜ自分にすりつくようにして丸まっているのかわからない。しかも自分のすそを握りこんで。
お茶をあきらめ、再び深く腰掛けた。
すると関口はさらに擦り寄ってくる。まるで柘榴のようなしぐさについ頬も緩む。
その一世紀に一回見られるか否かの貴重な表情を見るものは誰もいなかった。というよりも誰も見ていないからこそ無意識に出たのだろう。
「まったく、君は何がしたいんだ?」
頭をやや乱暴になでるが起きる気配はない。触れた髪はきめ細かいが妙にごわごわしていた。
せみの声が遠く聞こえる。
起こさぬようにそっと手をどけると、先ほどまで読んでいた本を再び開いた。
いつもの間にか膝には柘榴が乗っていたが、今度はどかすことはなかった。


猫は家の中で一番居心地のいい所で寝るそうだ。
それは場所であり、人である。


まるで世界の滅びを目の前にしたような男は膝に猫を乗せ、背中を知人に預けた形で本を読み続けていた。
そんな変わった光景を店の外を通りかかった猫が見ていた。

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