京極

□あなたに会いたい
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「人違ェだ―人の知り合いは御座ンせん」
又市一味が百介の前から去った。
百介がただ毎日することもなく過ごしているうちに、いつしか世界は夏の日差しにあふれていた。
百介はその年の夏の暑さを疎い、部屋の中で寝転んでばかりいた。
ようやく夕刻が近づき涼しい風が髪をさらりとなでる。
百介は上半身だけを起こすと、頭をボリボリと掻いた。
ため息一つ吐くと団扇を拾い上げゆるりと扇ぐ。

 チリーン

鈴の音がした。
百介はまた幻聴かと思った。これまでもたびたび又市の鈴の音が聞こえるときがあった。
しかし、それはすべて幻だった。

 チリーン

今度はもう少し近くでした。
外のほうから聞こえてくるようだ。
百介は履物を突っかけると、団扇片手に外へ出た。
手を上げ、団扇で日差しをさえぎる。
だいぶ傾いたとはいえ、夏の太陽はまだ赤々と燃えていた。

 チリーン

一度部屋に戻ろうかと思ったが、鈴の音が百介を引き寄せる。
光の中に足を進めた。

チリンチリンチリチリン
「風鈴〜音に涼しき風の鈴〜風に歌えばチリチリリ〜風鈴〜風鈴はいかがっすか〜」
「風鈴屋?」
大通りに風鈴を沢山乗せた荷車を引いて歩く男がいた。
百介は帰ろうかときびすを返す。

 ― チリーン

足が止まる。
沢山の風鈴の中からあの懐かしい音が聞こえる。
それはたしかに又市の鈴の音だった。
百介は風鈴屋に近づく。
「いらっしゃい」
百介に気がついた男が歩みを止める。
とたんに風鈴が大きくなる。
その中から百介はたった一つだけを迷うことなく選んだ。
チリン
腕の中で懐かしい音がなる。百介の口元が自然と緩む。
百末Kは袂から多少の色をつけて金を払うと家に帰っていった。

自室に帰った百介は早速風鈴を窓枠に取り付けた。
長いすに座り風鈴に手にした団扇で風を送る。
チリーン
百介の風に応じて鈴が鳴る。
百介は目を細めて夕日の向こうに又市の姿を思い浮かべた。
昼でもない夜でもない中途半端なこの時間帯が、一番自分に近いと思っている。
そして夕日の反対側の闇は又市の化身とも言えるものだ。
百介は団扇をぱたりと扇いで迫りくる夜空を見上げる。
そろそろ何か書こう。そう百介は思った。
その考えを応援するかのように、風もないのにチリーンと風鈴が鳴った。

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