三国・戦国

□羊の月
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羊の月


やや傾きだした初夏の太陽が庭の木々を鮮やかに照らしていた。
時折吹き抜ける風がさわやかに肌をなぜていった。
そんな風景を何気なく眺めながら織田信長は縁側を手持無沙汰に歩いていた。
ふと、その足が止まる。
その視線の先では一人の男が縁側に座り庭を眺めていた。
その人物は誰であろう、信長の義理の弟である浅井長政その人であった。しかし、なぜか今その身はまだ昼だというのに湯着をまとっていた。
信長はのどの奥で笑いながら彼に近づいて行った。
「ククっ・・・長政よ、こんな時間から湯浴み、か?」
その声に気がついた長政が少し眩しそうに眼を細めながら信長の方を見上げる。
「あ、義兄上・・・・これは・・・」
濡れた髪を振りながら、長政は顔をそむける。
信長はその隣に腰掛けながら、その髪をそっと指でつまむ。乾ききっていない髪は冷たく、心地よかった。
「市が苦労をかけるな・・・」
「なっ・・・!・・・・先刻のこと、知っておいででしたか?」
長政が目を見開き、信長の方を勢いよく振り返る。
その表情に信長は静かに笑う。
「くくっ、そうか、やはり市か・・・」
ひっかけにひっかかったと分かった長政は頬を膨らまし、上目気味に信長を睨む。
「義兄上、からかわないでください」
「なに、うぬの反応が面白いのでな。それで市がいかようにした?夫婦喧嘩とやらか」
「そんなものではありません・・・ただ、執務中に市が手伝いたいと言うので墨を御頼み申したら・・・」
その言葉の先は容易に想像がついた。
おそらくは出来上がり運ぼうとして、また何もないところで転け、それが長政に直撃したのであろう。
「それでか・・・・面白い、ぞ」
信長はまた笑いながら、長政の濡れた髪を指先でもてあそぶ。
長政はそんな信長に対してどうすればいいのかわからず、ただ困惑した様子でされるがままになっていた。
ふと、信長の視線が長政から逸れ、外へと向いた。
長政も顔を動かさずに視線だけでそちらを追う。
特に何も変わったものはないように見える。
「ところで、うぬはここで何をしておったのだ?」
「いえ、ただこんな昼からでも月が出ているのだなとみておりました」
「月?」
「ええ、あそこの松の右の方にうっすらと」
なるほど確かに長政の示すとおりに青空に薄青い月が出ていた。
半月よりも少し膨らんだその月は雲に隠れながらも、そそに空に浮かんでいる。
「ふむ、夕の月や朝の月は知っていても羊の刻の月は知らなんだ、ぞ」
「ええ、某も空に見つけて驚いたものです」
そんな遠い目をして空を見上げる長政の横顔をじっと信長は見つめる。
やがてその視線に気がついた長政は少し頬を染めながら、後ろに下がる。
「某の顔になにかついておりますか?」
信長は黙って彼の頬に手を伸ばす。
「少し湯冷めしたようだな」
そう言って今度は長政の両脇に手を入れると、軽々と持ち上げて己の膝の上に置いた。
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