リクエスト

□偽りの恋唄
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寝静まった町の中心で、飛段は川沿いを目的もなく歩いていた。

角都につけられた痣や傷は徐々に回復し、完治していく。

途中で立ち止まり、顔や体に付着した血を洗い流した。


「痛てて…」


殴られた頬にはまだ痛みが残っている。

月明かりに照らされた川を見下ろし、痛みで顔をしかめている飛段は舌打ちした。


「チッ。あのクソジジイ…」


それでも、殺したいと願うほど憎いわけでもない。

思い返せば角都の言っていたことはすべて正論だった。

今回のバイトで、飛段は自分自身にも怒りを感じていた。


(確かに他の奴に気をとられたのはオレが悪ィさ。角都がいなかったらターゲットにやられそうになってたかもしれないし、そのまま逃げられていたかもしれない)


だが、今回の角都のやり方はどうしても許せなかった。


「コンビ解消の話にならねえのは、オレが甘いからかァ?」


冗談でもその話を持ち出さないのは、角都に首を縦に振られるのが怖いからだ。

そのことはわかっていても口には出さない。


「さて、いつ戻ろうか」と考えた時だ。


ベベンッ、と絃を弾いた音がこの先の川を渡る小さい橋の方から聴こえた。

その後も弾かれる絃の音とそれに合わせて唄う男の声に、飛段は誘われるようにその方向へと歩き出す。


歩を進めるにつれて音に近づいていく。

橋の中心には、編み笠を被った着物姿の男が座り込み、楽器を弾いて唄っていた。

静かな夜に男の声が町や空に響き渡る。


唄の言葉は飛段には理解できないものだが、唄の内容がそのまま頭の中に流れ込んできた。


身分の違いで周囲から反対される男女。

女には婚約者がいた。

夜な夜な密かに会う男女だったが、女が別の男と結ばれる日は近づく。

そこで女は男に心中を申し出た。

男は躊躇なく頷き、女の手をとって走り出す。

だが、一足早くに気付かれてしまい、追手に追われ、男は腹を刺されてしまう。

それでも男女は逃げて逃げて、男女は橋まで逃げると互いを抱きしめて橋から飛び降りた。

しかし、女だけが助かってしまった。

助けられた女には障害が残ってしまう。

自力で体を動かすことができなくなり、人形のようになってしまった。

男のあとを追いたくても座敷牢に監禁され、自ら命を断つこともできず、婚約の式の時も舌を噛むことさえできない。

ああ、死ねない。

あの人のあとを追えない。

女は声も出すことができずに泣いている。

女が死んだのは、果たして男が死んで何十年のことか。


死ぬことができない苦しみは飛段が一番理解できる。

角都だけが死んでしまったら、という想いが爆発的に涙となって溢れ出た。


音が止まり、男は顔を上げる。


「おっと、失敬」


笑いかける男の顔は、中年にしては整った顔立ちをしている。

しかし、その両目は閉じられ、目蓋には横一線の傷痕があった。


はっとした飛段は慌てて外套の袖で涙を拭う。


「それ、変わった三味線だな」

「いや、これは琵琶という楽器だ」

「びわ…」


飛段は男が手にしている琵琶をじっくりと眺めた。

そして先程の唄を思い出し、目を伏せる。


「なにか悲しいことでもあったのか? オレでよければ愚痴の相手になろう。オレはカタリ。おまえは?」


カタリは再び琵琶を奏で始める。

先程よりはゆっくりとして控えめな独奏だ。


「…飛段」


飛段は名を名乗り、角都と先程悶着を起こしたことをゆっくりとした口調で話した。

カタリは苦笑し、呆れたように首を横に振る。


「酷い男だな。よく傍にいれるものだ」


気にしていることを言われ、飛段はムッとした表情になる。

まるでそれが見えたかのようにカタリは「失敬」と謝った。


「そりゃ、すぐにキレるし、殴るし、守銭奴だけどよォ…」


外套を投げ渡した角都を思い出す。


「たまに…、優しい時あるし…」

「優しい?」


カタリは鼻で笑った。


「甘いな、飛段」

「あ?」


眉間に皺を寄せる飛段に構わず、カタリは琵琶を奏でながら言う。


「それではこの先も同じ繰り返しだ。飛段はまたウロウロと彷徨うことになる。その男はどうだ? その繰り返しに耐えられるのか?」


「それは…」と飛段はうつむいた。

角都が言わないだけで、ワガママな飛段に呆れ果て、いずれは面倒が見きれないと捨てられてしまうのかもしれない。

そんな不安は確かにある。

今回のことで角都がそう思っていないとも限らない。


「……だったら、オレ…、どうしたら…」


飛段の弱い声にカタリは口端をわずかに吊り上げる。


「簡単だ。飛段から、その男を捨ててしまえばいい」





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