リクエスト

□偽りの恋唄
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場所は、周りの者には運の悪いことに、宿の2階の一室だった。

出入口の襖は廊下を挟んだ向かい側の壁に吹っ飛び、窓ガラスは破片の雨を降らし、古い畳は大きな傷を残した。

受付にいる宿の主人は何事かと駆け込もうとしたが、危ない奴らの喧嘩だと長年の勘で察し、新聞を読みながらいつもの日常のフリをする。

客も同様だった。

2階に部屋を持つ者は外へ出たり1階で茫然と静まるのを待つ。


久しぶりの汚い罵声の言い争い、それに加えて派手な殴り合いだった。


「いい加減黙らなければ殺すぞ、飛段」

「だからそれをオレに言うかよジジイ! できるもんなら今すぐやってみやがれこの守銭奴が! てめー、オレの獲物を横取りしやがっただろ!? 約束破る奴は地獄の神様に舌ァ抜かれるぜ!」


外套を放った半裸の飛段は角都を睨みつけながら、大鎌を握っていない右の手の甲で再度垂れてきた鼻血を拭った。

他にも頬やアゴ、右肩と左わき腹には痣を作っている。


「オレは「ターゲットだけを狙え」とちゃんと指示を出したはずだ。他の者に気をとられ、ターゲットを取り逃がすところだった。オレが駆けつけて殺さなければな!」


角都は左手のコブシをすぐ隣の壁に叩きつけて粉砕した。

飛段は穴が空いたばかりの壁を一瞥し、大鎌の刃先を角都に向ける。


「オレがなにも考えてないと思ったか? ヤロウが逃げようが、追いかけて追いかけて追いかけて、ジャシン様の生贄にしてやるところだったってのに…。あーあァ、温厚なオレだってガマンの限界ってのがあんだぞコラ!」


それを聞いた角都はフッと鼻で笑い、構えるのをやめて腕を組んだ。


「温厚だと? 笑わせる。今回の貴様が憤怒している理由は貴様自身にあることを忘れるな。他の敵の挑発に引っかかった、自称・温厚者が。貴様には狂信者という言葉が一番お似合いだ。違うか?」


顔を真っ赤にした飛段はコブシを握りしめ、畳を蹴って恐れもなく角都に突っ込んだ。


「角都ゥゥ!!」


ゴッ、という鈍い音とともに畳に鮮血が飛び散った。微かに首を傾けて飛段のコブシを避けた角都が飛段の左頬に己のコブシを叩きこんで返り討ちにしたからだ。


「ぐ…っ」


目眩が起きているのか飛段は膝をついたまま立ち上がれない。

角都は警戒もなく飛段の目前に近づいてしゃがみ、その髪をつかんで顔をあげさせた。


「うっ」

「ここまでだ。これ以上は店を壊すな。金がかかる」

「守銭奴らしい…クソ言葉、がっ!」


髪をつかまれたまま畳に叩き伏せられる。


「相変わらず、引き際を知らん奴だな。次はオレが貴様を破廉恥者に変えてやろうか?」


耳元に含み笑いの心地のいい声が吹きこまれる。

場違いなその声に飛段は一瞬瞳に色を纏わせたが、すぐに正気に返り、角都を挑発的に睨みつけた。


「ホント、元気だなァ、ジイさん。けど今夜はお断りだ。勝手にひとりで…」


瞬間、目の前に星が飛び散った。

投げられた飛段が壁に背中から激突したからだ。

角都の手から飛段の数本の髪がはらりと落ち、角都は背を向ける。


「これで本当に終わりだ。次に仕掛ければ窓から吊るすぞ。喚けないようにミイラのように縛ってやる」

「……………」


飛段は黙ったまま頭痛に耐えながら畳から立ち上がり、廊下へと向かった。


「どこへ行く?」

「うるせー。女買ってくるだけだ。ジジイにハレンチモノにされるよか何倍もいい」


角都はその背中に向かって傍に落ちていた飛段の外套を投げつけた。

外套は飛段の頭に被さる。


「外は冷える」

「どーも」


飛段は振り返らずにそう言うと、外套を身に纏いながら廊下を渡り、階段を下り、外へと出て行った。


嵐の過ぎ去った部屋に取り残された角都は割れた窓から飛段が出て行ったのを確認したあと、深いため息をつく。


「女を買う金など持っていないくせに…、意地っ張りめ」


自分も人のことが言えたものではない、と角都は口布の下で失笑する。


とにかく部屋だけは変えなくてはならない。

角都は部屋替えの頼みと口止め料と修理代を支払いに受付に向かった。


飛段がすぐに戻ってくると信じて。





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