小説3

□mellow
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彼の部屋に入るのには、すごい勇気がいる。閉まった扉の前で、ノックもしないまま立ち止まって百面相。一体何分くらい経っただろうか。こんな姿をマヌケメガネや理緒が見たら、きっと、腹を抱えて笑うだろうな。

「あー……どうしよう」

扉が閉まっていても、聴こえてくるピアノの旋律。音楽知識はからきしだが、私は彼が奏でるこの音がとても好きだ。扉に背中を預けて凭れ、彼を思い浮かべながら瞼を閉じる。彼がどのタイミングで身体を揺らし、指をどのように動かして弾くのか、だいたい頭の中に映像として想像出来た。

中に入るのは酷く緊張するから、いっそのこと、このまま入らずドアに凭れて聴いていれば良いんじゃ……なんて思った時、ピアノの音が止まった。あれ、どうしたんだろうか。休憩かなと一人を首を傾げた時、凭れていた扉が開けられ、世界が揺らいだ。

「うわっ!?」
「やっぱりお前か」

ボスッと倒れかけた私を受け止めたのは、肩にかかるくらいの長さの銀髪と、澄んだ青色をした切れ長の目を持つ、先程までピアノを弾いていただろうアイズ・ラザフォードだった。

「ア、アイズッ!」
「ピアノを聴きに来たなら、入れば良いだろう」
「……うーん、そうなんだけど…」

邪魔したら駄目だと思って、なんて苦笑しながら言い訳をすれば、彼は小さく笑って私をそっと離した。ピアノを聴きに来ただけじゃないんだけどね。名残惜しい気持ちを抑えながら入ってしまった部屋を見ると、中はとても閑散としていてピアノと椅子しか無い。真っ白な壁に瞬きしてしまう。

「ピアノしか無いんだ」
「他の物があると集中出来ないからな。他のものは別の部屋にある」
「ふーん……ねえ、アイズ。ピアノ弾いて」

後ろ手を組んで彼を見遣れば、アイズは椅子をピアノから少し離れた所に置いて、私を見た。良いんだと分かったらにやけるのを抑えきれそうにない。椅子に座ってから彼を見ると、丁度指が鍵盤に置かれたところで、演奏が始まった。それに耳を傾けながら身を乗り出す。

「私、アイズのピアノが好き」
「……コンサートのチケット、手配してやろうか?」
「ううん、別にいいよ」

完璧な会場で聴かなくても、こうして近くで聴くほうが、安心して聞けるから。私の返答にちらりと此方を見たアイズだったけど、譜面に視線を戻してしまった。揺らしていた足を止め、彼の横顔を見て演奏を聴いた。たくさんの慈しみと、切なさや寂しさが込められた、音に引き込まれていく。

「この曲なんて言うの?」
「フランツ・リスト『詩的で宗教的な調べ』第三番。『孤独の中の神の祝福』だ」

演奏を一旦止めて彼は小さく笑った。アイズが好きな、奇跡の曲。

「……いい曲だね」
「ああ」
「私、アイズのピアノ好きだよ」
「何度言う気なんだ」

ため息混じりにそう言う彼に、私は口角を上げた。窓から差し込む光が、白い部屋の壁に反射して拡散している。嗚呼、こんな明るく目映い光が貴方にとてもお似合いで

「何度でも」


















幸福のルフラン
(だからもっと聴かせてよ)

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