銀月 長編

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桜田門―それは江戸警視庁の別称である。
江戸中心部にあるオフィス街の中に、ひときわ高くそびえるその建物の最上階丸々全部が警視総監たる松平のとっつあん用となっている。
だだっ広い応接室や秘書室、訪問客のための控え室、そして更衣室など呆れるほど豪華絢爛といった有様は、さすが警察のトップにもなればこれだけの待遇が待っているのかと、訪れる人々は必ず同じことを思うだろう。
桜田門のヘンとの異名を取り夜の言動はアレだが、こう見えて仕事にはなかなか熱心なとっつあんは今、自分のデスクで書類を見ながら何事か検討している様子だった。
タバコを吹かしながら難しい顔をして、普段とはまるで違う真剣なまなざしには、一体何が映っているのだろうか。
部屋の中は完璧なまでの静寂。
ぷはぁーっととっつあんはタバコの煙を吐いた。とそこへ

「オイとっつあん。とっつあんいるんだろ!?返事しろやコルァァァァ!!」

大声が聞こえたと同時にバタン!とドアが蹴り開かれた。入ってきたのは烏の濡れ羽色の制服を着て、涼しい目元をしたイケメンが一人。ご存知真選組の鬼副長こと土方十四郎だ。
手にめちゃくちゃ厚いファイルを持って、鬼の形相でつかつかと上司の前に立った。
とっつあんはのんびりと顔を上げると、さも面倒くさそうに声を掛けた。

「なんだァオメーかトシィ。オリャいつも言ってんだろ、部屋に入るときはノックくれェしろっつってよゥ。こりゃあ最低限のマナーだぜマナー」

人差し指を立ててチッチッチッと横に振ってみせる。

「オメーがマナー語んな!!っつーかアンタまたやりゃあがったな!!」

土方は持っていたぶ厚いファイルをどんっ!と大きな机の上に投げ置いた。それはA4大のもので、殴ったら人を殺せそうなくらいの厚さがある。
もうパンパンの状態で、入りきらなかった幾枚かがひらひらと机の周りを舞った。

「オ〜ウ、なんだこりゃあ?」

「とぼけんじゃねー!アンタがまたオレに内緒で山崎に押し付けてた仕事だろーが!!」

とっつあんは言われるがままに、ファイルを手にとってパラパラパラとめくってみた。
…そこには様々な遊女の写真、名前、生年月日。出身地、趣味、どうやって調べたのか身長体重に始まりBWHのサイズ、そして遊女たちが所属する店の名前までがご丁寧に記されてあった。
背表紙には“吉原美女名鑑”。…要するに吉原の遊女たちの身上書である。

「おいとっつあん、そりゃオレらは確かにアンタに拾われた身だぜ。けどな、だからってアンタの私的な趣味に何回も付き合わされる覚えはねーっ…て聞けやこのエロジジィィィィ!!」

当のとっつあんは土方の怒号などどこ吹く風で、ぶつぶつ言いながら一心不乱にファイルを読んでいた。

「オオッとォ、この前あの店に入った新人ちゃんはどえれェ別嬪だっつって聞ーてたけどこりゃ本物だ…って、トシ、オメー今なんか言ったか?」

「何か言ったかじゃねーよ!そりゃなとっつあん、所詮オレらはアンタの使いっ走りだ。けどな、だからって吉原の妓たちの身体測定までぁ任務の範疇にゃ入ってねーぞ!!」

だん!と土方が机の上に勢いよく己の両手を叩きつけた。

「オオコェ〜…」

わざとらしく怯えてみせるとっつあんを、土方はぎろりと睨みつけた。
一呼吸おいて、言う。
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