作品集
□名無しさん宛てに書く手紙
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拝
「あ、」
不吉にも『啓』の字はシャーペンの芯切れにより書けなかった。一文字しか書かれなかった便箋。本文の無い手紙。月明かりが照らす夜の俺の部屋。芯を足そうとはしない自分。
誰宛て?
誰だっけ?
誰?
何を書く気?
何を?
震える手はシャープペンを握ることを止めた。机上を転がるシャープペンの色は青。蒼。碧。
ポタリ。
便箋に落ちた悲哀は紙に吸収されてゆく。そこだけふやけた。
愛しい人の名さえ書けずに終わった手紙は・・・。
―愛しい、だって?
気付いてしまった自分に愕然とした。
―違う。違う。違う。違う!そうじゃない!
「アイツじゃ、アイツじゃ無いんだよ!」
悲鳴と一緒に零れる大粒の涙は全て便箋の上に落ちていった。
ブーー・・・・
「いっ!」
机上の右端に置かれた赤い携帯が小刻みに震えている。いつもなら何の迷いもなく携帯をチェックするはずなのに、今はそれが出来ない。
メールじゃない。
無意識に酸素を求めた。ひゅっと笛の様な音と共に気体が喉を通る。
ガタガタと震える体。手先は冷たい。
勇気を振り絞り、携帯を掴んだ。未だ手中で震えている携帯を恐る恐る開いた。
通話ボタンを押した。
「もしもし、誰・・・?」
分かってる。誰から来た電話か分かってる。
携帯を開いた時、ちらりと見えた画面に表示された名。アイツの名。
『喜朗だろ?』
「うん、そ、うだけど。何か俺に用なの?」
妙に改まってしまう。
『いや・・・』
そう言ってアイツは黙ってしまった。空白。
カチ、カチ、カチ、
机上に置かれた置き時計が刻々と時を刻む。長針が真上を目指す。
カチ。
『誕生日おめでとう』
「え?」
アイツに言われて、壁に貼られたカレンダーを見た。そうだ・・・。今日は俺の誕生日。
『そんだけ』
「ちょ、待ってよ」
アイツが通話を切ろうとするの慌てて止めた。
「もう少し話そうよ」
『話すって何を?』
―何を・・・?
またもこの質問。
「今、手紙書いてる」
『へぇ?誰宛て?』
「分かんない」
はぁ?と苦笑するアイツの声。嗚呼、久しぶりに聞いた。
『何て書いてあるんだよ?』
まさか一文字だけしか書けなかったとは言えない。むしろ他に言うことがあるはず。書いてあるものじゃなく、書こうとしたものを。
「好き。俺、お前のこと好き」
不思議と涙は出なかった。何故だろう。
『・・・マジ?』
「うん」
携帯の向こうで、アイツが思案しているのが分かる。再び置き時計の音を意識した。
『すまん。無理だ』
その言葉はキュッと締め付けられた様な苦しさや痛みを与えた。
「うん、・・・ごめん。ありがとう」
真剣に答えてくれただけで嬉しい。嬉しい。
『・・・喜朗、何か欲しいもんある?』
「え?」
『お前の誕生日プレゼントだよ。何がいい?』
「そ、そうだなぁ・・・」
貰えるものは貰っとくのが得策。
「バースデーカードを貰いたいな」
end.