音色を響かせて

□07.面影
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陽はすっかり上り青空の真下の真っ青な海の上。
見据える先に捕えるのはまだ小さな木製の船の群れ。降ろされたままの帆に描かれているのは一文字に三つ星……豊臣と手を組んだ毛利軍の家紋だ。



「豊臣に水軍があるって話は聞いてねェ。おそらく俺らをおびき寄せて厳島の地で陸上戦に持ち込むって腹だろうな」


ピリリ、と見晴らしのいい甲板にてその身になじんだ戦場の空気に触れていた朱音の隣にピーちゃんを連れた元親が佇んだ。


「ところで、ここからじゃ下の海が丸見えなんだが大丈夫なのかよ」

「この要塞船はここより更に下の甲板の階があます。ゆえに、水に落ちる心配がないので大丈夫なのです」

「よくわからんが、なるほどなぁ。しかし身体が硬ェぞ朱音。無闇に気を張りすぎちゃあいねぇか」

「………」


気づかれまいと気をつけていたもののあっさり見破られ、ついに案じへの謝意すらも伝えられず、朱音は甲板の手すりを強く強く握りしめた。
これから起こる事、自分の立場と目的。戦場の片方の軍に明確に加担する事実。初めての水上戦。
かつて以上の緊張がその身に走り抜けるのは必然だった。

毛利の水軍がすぐにこちらへ進む気配はなく、岸で止まっているように見えた。元親が言ったようにこの船を反対岸へとおびき寄せる事を目的としているのかもしれない。


「相手方の策に乗るおつもりなのですか」

「おうよ、この富嶽の大筒を以てすれば奴らの計算以上の力を奮えんだ!凌駕して一気に毛利も豊臣も叩きつぶす!
―――――――――――――――野郎共ッ!大筒に弾を込めろォ!」



オオオオオオオオオオオオオオオオオオォオオォ!!と辺りが一気に活気だつと間を待たずして11尺の大筒から火薬弾が放たれた。
照準のズレは起こらず、毛利の旗を立てた船に吸い寄せられるように直撃すると木質は爆散し、おそらく人員も同じように砕け散ったのだろう。

その光景に覚悟していたはずの朱音は立ち竦んだ。続いて激しい眩暈が襲う。
今の一瞬で、人が死んだ。沢山の人が死んだのだ。
そして己はそれを傍観した。他でもない、『朱音』がただの傍観をした。
絶句する間にも構わず、次装填、更にその次へ次へと休む間もなく弾道が発射される。


(これは…これも、まもるための、戦い…わかっている………わかってる、のに…ッ!)



「オヤジ、」

「はいよ―――――嬢ちゃん、そこに立ってると耳がやられるぜ、一旦奥に行こう」


元親が名を呼ぶと『オヤジ』は食い入るように、強いられるように戦の光景に釘付けになっていた朱音の手を問答無用で引いた。逆らうことを許さない、有無を言わせない、彼らしくない険しい雰囲気がすぐに感じて取れた。彼に手を強く握られてから、朱音は自分の身体が震えていることに気づいた。眩暈も治まらず、脚が重くてもつれそうになる。
オヤジへの言葉を返しあぐねているうちに屋内設備の中に連れて行かれ、その中の誰もいない小さな物置の部屋へ入れられた。
オヤジは朱音と向き合った。


「戦線が安定して、余裕が出てきた頃、もう一度外に出て豊臣のと会えばいい、殿からの仰せだ。わかってるな」

「………」

「お前の目的は戦うことじゃねぇんだろ?」

「………」


その通りだ。その通りのはずなのに歯がゆくて、全身がむず痒くて気づけば朱音は強く唇をかみしめていた。
わかりきっていた。きっと戦いを避けることだってできやしないのだ。
胸が痛い。ただ今の状況を意識するだけで、張り裂けてしまうのではないかと思うくらい痛い。ぶるぶると自らでは抑えの効かなくなった震える声のまま低く 唸る。


「いや、だ………だれか、だれかが、人が、死ぬの…!」

「大筒を使う水上戦でお前に何ができるって?」

「………ッ!」

「そう苛立つな。全て が手前の思い通りになりゃ戦の世なんて来てねぇんだよ。それに大筒も殺戮兵器ってだけじゃねぇ。ああいったでかい図体や音、威力のあるモンは相手へ何よりの牽制になるんだ。出し惜しみなく威力を見せつけて、相手をビビらせてさっさと降伏させることもできる」


まるで幼子に言い聞かせるようにオヤジは朱音に正面からゆっくりと話す。言葉遣いはいささか乱暴でも声色はどこまでも優しい。
今は待てと。人ひとりで出来ることなんてたかが知れる。だから国も軍も存在する。それが今を生きる人の営みの造りである。全て頭では理解しているはずの事。
こうしている間にも船全体が幾度も振動する。きっとまだ絶え間なく大筒を敵方に打ち込んでいるのだろう。
理解しているのに、どうしても心は落ち着かない。味方も敵もなくただ弱い人だけを助けることに執着していた過去が、あるいは現在すらも、朱音を捕えたまま、一瞬たりとも離しはしない。

苦しんでいる様子は当然向き合うオヤジの目に入る。幼い娘がいるという彼はまさに朱音が自らの娘のように見えた。戦が怖くて怖くてしかたなくて、此度も行かないで、と泣きながら駄々をこねた彼の娘の様子と自然と重ねられた。きっとそれが目の前の娘の大元の本質であり、出来るのであれば、今すぐに引き返してこの娘だけでも城に留めておきたい衝動に駆られた。


「とにかく今は何かお前がするのは無理だ、ここで大人しくして…」

「何もできなくても何もしないでいるなんて!じゃあわたしは何のために―――――――――何のために生き延びてるの!?」

「お、おい、落ち着けって…!」

「ひとが、ひとが、たくさんのひとが死んでるのに!わたしはどうして、まだ、生きてるの!?」


聞き入れないんじゃない。もはや聞き入れることができなくなっているのだと、オヤジは悟った。まるで呪いのように、彼女を作り上げた経験が、歪に纏わりついている姿が見えるような気がしたのだ。
土佐に戻る途中のあの船で、無数の夜空の星に見守られながら自らが何気なく口にした言葉を思い出した。


『乱世の産物』


軽い気持ちで言ったその言葉はあまりにも的を射すぎていた。
突拍子のない、けれどどこまでも本気な、破綻の影をみせた彼女に絶句した。

オヤジの歪められた顔が朱音の目に映る。まるで幼い頃戦に出ることを懇願した時の父の表情が思い出された。

どうしてだ。もう嫌だ。何もできないのは。
嫌だから戦う力を身につけたいのに――――――――身に、つけたのに!

―――――――父上、ちちうえ、まだ、わたしは、だめですか、まだ、たりませんか、


「ど、うして…!」


結局は同じ。どれだけ足掻こうと自分は無力な一人でしかないのだ。そう悟る。
膝が崩折れた朱音の肩をオヤジが支えようと手を伸ばした。その瞬間だった。



今までとは異なる。桁違いの衝撃が船全体を襲った。

二人が話していた物置の中も大きく揺れ、部屋の壁に沿うように側まで高く積み上げられていた木箱の群れが一気に崩れ二人に向かって雪崩れ落ちてくる。

先に反応したオヤジが朱音を出口の方へ突き飛ばした。
一度の瞬きの間に重たい無数の音が彼に容赦なく圧し掛かる。その衝撃はスローモーションで見ているかのようだった。飛ばされて尻もちをついた朱音の目に酷く焼き付いた。

身体が叫ぶ。絶叫した。声になっているのかは自身ではわからない。ただ目の前に、視覚に全ての神経が集中した。


「ば…バカ!へたり込んでねぇでここから出ろッ!」


オヤジが叫んだ。彼の下半身が荷物の下敷きになっていた。他の船員達に比べ控えめな筋肉の体つきもあってか力業では出られないらしく、身動きが取れなくなっていた。
たしかに彼の叫びは朱音に届いていた。そのはずなのに、父と重ねた一瞬が全てを消し去る。そうでなくとも見過ごせる道理がない。
自分のために誰かが怪我をしたのだ。

躊躇いなく彼の元へ駆け寄り荷物を退かそうと身体に力を入れる。


「まだ他のモンが崩れてくるかもしれないだろッ!いいからお前はここから出ろ!」

「――――嫌です!ぜったいに!」


重い物に長時間敷かれて、後から救い出しても遅いのだ。解放された時に滞っていた下半身の壊れた細胞などが混じった不純物が血液と共に身体中に運ばれると命を脅かす。
この現象を言葉では説明できずとも実際の経験で知っていた朱音は一瞬の間すらも惜しんで腕に力を入れる。
倉庫の外の長曾我部軍の喧騒が耳に届いていたオヤジは異変を察していたが、それに気づかぬほど朱音は集中する。持久力が乏しいためすぐに息が上がり玉の汗が額に浮き出すが構わず続けた。

時を数えて5分経つ頃に漸く彼を荷物の山から引き出せるほどに退かすことができた。
あと一歩だと彼の身体を支えた。
気づけば今度は大筒の物とは違う衝撃がこの船を動かしている。この要塞の設計に多少関わっていたオヤジは富嶽が陸走機能を使用していることに感づいた。


朱音に引き出されながら状況を把握しようと必死に頭を回す。
海の上にある以上、陸走の必要はないはずである。なのにそれを駆使できるというのは………そうせざるを得なくなったということだ。
こんなに早く厳島の岸につく事は、どんなに速度をあげても不可能だ。だとしたら。ありえないとしても――――――それは、信憑性のない仮説のはずなのだが…、


「水が…海が、消えたのか…!?」

「え?」

なんとかオヤジを助け出して支える朱音が顔を向けた。今ので彼にどれだけの怪我を負ったのかはわからない。うまく脚を動かせないものの、ひとまず骨折はしていないようなので急いで外に出ようと支えながらも歩き出していた。

(水が消えたとして、それがもし相手方によって為されたことだとしたら…そんなことができるのだとしたら…)

この娘どころか、誰にも逃げ道はありはしないのではないか。
思わず息をのんだ。
倉庫を出て外にでる廊下を進んでいる中、焦りと緊張が二人を襲う。

そして、外の日差しが見えてきた頃。
再び、そして先ほど以上の桁違いな衝撃が富嶽を襲った。

二人おろか、今度は全ての乗員が地から弾き飛ばされる程の大きな衝撃だった。


「………ぐッ――――うぅオッ!!」


悲鳴が飛び交う中、宙に浮きながらも先程負傷のなかったオヤジの腕が朱音の身体を掴み、外の方へ投げ飛ばした。
抵抗できず浮き飛ばされる彼女と目が合った。悲痛。それ以上の絶望の表情が浮かべられていた。大きく傾きだした船に確実に二人の距離が空く。朱音は上に飛び、オヤジは下へと落ちていく。何かを少女が叫んでいるがそれも届かないほどの距離と衝撃の音にかき消された。


どちらにせよ、こんな脚じゃ戦場ではロクに戦えない。文字通り足手まといになるだろう。
だからこれでいいのだ。と。
今度こそ避けようのない壊れた船の破片たちが彼に目掛けて降りそそいだ。


(どうか この土佐を、嬢ちゃんを救ってくれ……殿……!)







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